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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と薬師
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剣士と薬師①

 神の一柱にミノトスという神がいる


 生命に試練と褒賞を与える迷宮を司るミノトスは常に悩みを抱えていた。


 いかに趣向を凝らした悪辣な罠を仕掛けようとも凶悪なモンスターを徘徊させようとも一度踏破されたダンジョンはその意義を失う。


 難敵を攻略する為の情報が飛び交い、迷宮の秘密は暴露され、略奪された宝物が戻る事はない。     


 何千、何万の迷宮を製作し、やがて彼は一つの答えに到達する。


 そしてその答えを、長い年月をかけ、形として作り上げた。


 それこそが『生きる迷宮』 


 街を飲み込むほど巨大な蚯蚓が、複雑に入り組んだ主道を作る。


 地下を住処とする種族が、その穴を通路へと変え、末端を広げていく。 


 迷宮から持ち出された宝物は、所有者の死亡や物理的な消失に伴い、神力、魔力の粒となり大気へと消えやがて、風や水に運ばれて迷宮に再び舞い戻り宝物として再生する。


 神域へと近づいた職人や理を知る魔術師。


 異なる世界を観る芸術家。


 彼らによって生み出された新たなる宝物には、神印と呼ばれる記章が浮かび上がり、やがて運命に導かれるように迷宮へとたどり着く。


 数多く存在する宝物が放つ神力、魔力に魅了されたモンスターが自然に集まり、大規模な群れを形成し異種交配を重ねて新たな種族が生まれていく。


 その存在が世に知れ渡って既に幾年月。 


 いまだ拡張を続け、古き宝物が戻り、新しい宝物が発生し、太古より生き続ける伝説のモンスターが徘徊し、日々図鑑にも載っていない未知の種族が生まれる。


 世界で唯一の生きたダンジョン。


 そこは【永宮未完】と呼ばれていた



















 トランド大陸は世界でもっとも大きな大陸である。


 北は年中凍りつく極寒の海に接し、南は赤道を少し超えて、南方ルクセライゼン大陸との間に狭い海峡を作る。


 南北よりもさらに横は長い。


 大陸の東の端から西の端まで歩けば、それだけで世界を半周した事になるほど長大だ。


 広大と呼ぶのが馬鹿馬鹿しくなるほどに、ひたすらに広い広いトランド大陸。


 ここは別名【大陸迷宮】とも呼ばれている。


 その理由は数多くの迷宮があるから…………ではない。


 厳密に言えばトランド大陸に現存する迷宮は一つしかない。


 その迷宮こそが【永宮未完】と呼ばれし、迷宮神ミノトスの手による迷宮である。


 大陸の隅から隅まで根を広げる永宮未完は、地上、地下だけでは飽きたらず果ては天空までも迷宮化させ、日々拡張し形を変え続けている。


 その規模は大陸その物が迷宮と言っても、あながち大袈裟な表現では無い。


 大陸のあちらこちらに特徴が大きく異なる迷宮が群をなし、到る所に迷宮への入り口が口を開いている。


 迷宮への入り口近くには迷宮探索によって富や名声を得ようとする者達、所謂探索者達が集まり、彼等に物資を売る商人や武具を整備する職人達が商店や工房を開き、彼等が持ち帰る迷宮資源による利益によって其処に街が出来て、やがては国へと発展していく。


 迷宮に隣接し発展していった拠点都市は大陸中に数え切れないほどある。


 トランド大陸内陸部。


 世界地図では下手な島より大きく描かれるほどの砂の大海【リトラセ砂漠】と、其処に存在する砂漠迷宮群に隣接したオアシス都市ラズファンもそんな拠点都市の一つである。


 南方の山岳地帯で降った雨が地下に染み込み、長い年月をかけて砂漠の一角に湧き出る。


 湧き出るその水量は年に雨の降る日が一,二回という極乾燥地帯にあるラズファンに【水都】と異名を与えるほどに膨大であり、過去にはこの都市の所有権を巡り幾たびも戦争が起きている。


 だがそれも昔の話。


 今はラズファンとその周辺地域は、戦争という一点のみで考えれば平和その物といっていい。


 その理由は全世界の国家に対して大きな影響を持ちつつも、国の大小に関係なく中立的立場をとるある組織がこのオアシス都市を運営管理しているからに他ならない。


 組織の名はミノトス管理協会。


 迷宮へ潜る探索者達の支援及び迷宮資源を管理する巨大組織である。


 迷宮資源の転売や高い加工技術による商品製造などで潤沢な資金を誇る管理協会直下のラズファンでは、交易の活発化を促すため税率が極端に下げられている。


 各種娯楽施設も豊富な事もあって、探索者のみならず個人旅行者や団体観光客、大陸中を行き来する交易商人や大キャラバン隊が日々訪れる活気ある都市として、ますます発展していた。


 そんなラズファンの南噴水広場は、夕食一回分ほどの手数料を払えば、誰でも三日間の間、店が開ける自由市が常設されていた。


 自由市といっても馬鹿には出来ない。


 日中は外を出歩くのも嫌になるほど暑くなる砂漠の都市にとって、露店商のチャンスは朝と夕方の涼しい時間帯に限られる。


 短いピークタイムに少しでも多くの売り上げを出そうと、どの露天もあれやこれやと知恵を絞っている。


 この自由市には日用品から食料品、そして砂漠越えのための道具や武器防具まで多種多様の商品が並ぶ。


 店を開く資金は持たないが目利きの若手商人が仕入れてきた値段が安い割りには優良な品や、新進気鋭の職人が作り出した新規技術を用いた試作品等、所謂掘り出し物が時折出てきたりもする。


 その反対に、低品質な品や形だけ似せた模造品がゴロゴロしているといった一面もあるが、だからこそ白熱した値段交渉や、喧嘩腰の真贋論争が市場のあちこちでやり取りされ、ラズファンの中でも、もっとも活気に溢れている地域の一つといって良いだろう。


 そんな市の北の角。


 武具を売る者達が自然と多く集まって、まるで世界中の武器を集めた展示会の様相を呈している見た目から、通称【武器庫通り】と呼ばれる場所に店を開いた一軒の露店の前では、朝も早くから店主と客が激しいやり取りを繰り広げ衆目を集めていた。






「てめぇには無理だ! こいつは売る気は無いって言ってるだろうが!」



 周囲一帯に強い怒鳴り声が響く。


 その怒鳴り声に、露店を息子に任せて奥の方で折りたたみの椅子に腰掛け新聞を手にうつらうつらと船をこいでいた老人は目を覚ます。


 眠りを妨げられた老人は、凝り固まった肩をごきごきとならしてからタバコを取り出し火をつけると、聞こえてくる怒声を肴に煙を美味そうに吸い始める。



「またクマの所か。あいつ客の選り好みが激しいからな。商売気あるのかね。ふぁぁぁ……あいつの顔で怒鳴られたら客が逃げるじゃねぇか」



 聞こえてくるのはクマという通称に合った外見を持つ交易商人仲間の声だけだ。


 相手の客の声が聞こえてこないのは、怖がって声も出ないのだろうと老人は欠伸混じりに煙を吐き出しながら考える。



「商売気って……人の事は言えんだろ親父。居眠りしてる暇があるならクマさん所にいって仲裁してきてくれ。騒ぎを起こしてると、うちの商隊そのうち出入り禁止になるぞ。店は俺が引き継いだけど商隊長は親父だろ」



 メモを手に客の応対をしていた二代目である老人の息子が持っていた鉛筆を振って、暇しているならとっとと仲裁に行ってくれと催促する。 


 店主と客の喧嘩一歩手前の交渉は市の名物だが、あまり度が過ぎると警備兵に目をつけられる。


 人脈を財産とする交易商としては大店との取引だけでなく、こういった市での個人客との関係も大事だと息子達に教えたのは老人自身であった。


 その手前、市の出入り禁止も困るし、自分の客をほっぽり出して仲裁にいけとは息子や近くで店を構える仲間にも言えない。



「やれやれしゃあねぇな。いってくらぁ」



 結局半隠居状態の老人本人しか適任がいない。


 タバコの煙と溜息を吐き出すと老人は面倒そうに立ち上がった。













「おう兄ちゃんごめんよ。関係者だ。通してもらうよ……っておいおい。なんだよクマの奴は。あんなおちびさん相手に大人気ねぇな」



 騒ぎが起きている露店の前にできた見物人をかき分けて、飄々とした態度で一番前に出た老人は、その喧嘩を見て咥えタバコで呆れ顔を浮かべる。


 投擲用、狩猟用と用途別になった各種ナイフや革製の小手が移動式のケースに並び、その横の簡易台には長さと太さが微妙に違う一般的なロングソードや、小さめのスモールシールドの類。


 後ろの方にある頑丈な作りの組み立て台には、長槍やぶ厚い両手剣が立てかけられている。


 露店の一番手前には簡易机と、その上に商隊が共同で借り受けた短期倉庫に預けてあるかさばる防具や武具の記載されたカタログが置かれたオーソドックスな構成。


 そんな武器露店の真ん前で、四十ほどの日に焼けた浅黒い肌の店主が額に青筋を立てて怒鳴っていた。


 筋肉質の大男で獣の爪痕の二筋の傷が頬に平行にはしり、その体格と爪痕から仲間内ではクマと呼ばれており、体格に似合った大きすぎる声はよく響き騒々しい武器庫通りでの客寄せには良いが、喧嘩となると途端に悪目立ちしていた。


 一方その相手はというと、砂漠越えの旅人によく使われる日避けの厚い外套に全身を覆い隠している。


 全身が隠れているために種族は判らないが、身長は怒鳴っている店主の半分ほどしかない。


 それほど小さい。いくら店主が大柄と言ってもあまりに差がありすぎる。


 成人しても人の子と同じ大きさにしかならない種族は数多くいるが、長年交易商人として数多くの種族と関わってきた老人の勘が、その立ち姿から想像できる骨格や見せる仕草で中身は人間だと見抜く。


 人間であの大きさでは、さすがに小さすぎる。まだ年幼い子供だろうか。


 己の技量を考えずに高い武器をほしがる子供を、武具一筋の店主が一番嫌うと知っている老人だったが、子供相手ならもう少し穏便に諭せないのかと呆れていた。



「あーそうでもねぇぞ爺さん。あれが相手じゃ怒るの無理ねぇわ。むしろ殴らねぇから人間種は我慢強いって感心してた。俺等の種族ならとっくに殴り合いだ」



 老人の隣に立つ獣人の若者が話しかけてくる。


 どうやら若者は最初の方から見ていたらしいが、客よりも店主の方に同情しているようだ。



「どういう事だい。獣人の兄ちゃん?」



「見てりゃわかるよ」



 尖った爪先で獣人が指し示した小さな客は、店主が浮かべる剣呑な色を含んだ鋭い視線に臆する様子も見せず真正面から向き合っていた。










「とっと失せろ!」



「お前が売ったらすぐに去るぞ。急いでいるからな。それとさっきから気になっていたんだがあまり大声を出すな。周りに迷惑だぞ」



 大の男でも震え上がりそうな店主の怒声に対して、小さな客はまったく動じる様子もなく、むしろ煽るような内容を口にする。


 客の声は口元に巻いた砂避けのスカーフでくぐもって濁り男女の区別がつかない。


 だが煽るというよりも本人的には本気で忠告しているような雰囲気が声の何処かにあった。


 それがさらに店主の怒りを刺激する。



「ぐっ……迷惑なのはてめぇだ! あぁ! どう考えてもでかすぎるだろうが! 無理に決まってる! さっきから延々言ってるだろうが! 商売の邪魔しやがって!」



「邪魔ではない。お前の店で買ってやろうというのだぞ。感謝してとっとと私に売れ」



「く、口の減らないガキが!」



 何を言っても、すぐに傲岸不遜に言い返してくる相手に店主は苦々しげに歯ぎしりする。


 恐ろしいのはその物言いに人を小馬鹿にしていたり、無理して使っている感じがない事だ。


 あくまでも素でこの口調だと感じさせる。


 普段からこのような傲慢な口調を使っている子供など大貴族の子弟でもそうはいない。


 よほど甘い親に我が儘放題に育てられたのだろう。


 しかし貴族の子弟と考えるには妙な事もある。


 その服装はいつ洗濯したのかも判らないほどの汚れた外套。


 とても金を持っているようには見えず、これだけの騒ぎになっているのにお付きの従者の姿も見えない。


 その事から目の前にいるのは没落した貴族の子弟ではないかと、怒り心頭ながらも商人として、何とか残していた冷静な一面で店主は勘ぐる。


 迷宮で一旗揚げて没落したお家再興でもしようとしている世間知らずの元貴族子弟だろうか。


 ここで一つ言っておこう。この店主は別に貴族が嫌いで武器を売らない訳ではない。


 武具を扱う交易商人として各国を回る店主は、お得意様としての貴族も僅かながら抱えている。


 そして潰れた家の復興を、他人に頼ったり神に祈るのではなく、自ら頑張ろうとする者がいれば、貴族だろうが庶民だろうが関係なく応援しようと思う熱苦しい昔気質な所がある男である。


 では、なぜ売らないのか?


 それはこの男が武具商人として、一端の矜持を持っているからに他ならなかった。



「おうクマ。あんまり騒ぎなさんな。良い気持ちで寝てたのが叩き起こされたじゃねぇか」



 どうすればこの生意気な客をやり込めるかと、沸騰していた頭で考える店主に対して、落ち着けと言わんばかりのゆったりとした声がかけられる。


 それは店主が所属する商隊の長であり、商売の師匠でもある老人の声だった。












「親方か! あんたからも言ってくれ! この糞ガキにてめぇじゃ扱えないって!」



「む……おい。お前はこの男の知り合いか。私は忙しいんだ。早く剣を売るように言ってくれ」



 相手の怒りを意にもしない客に良いように振り回されている店主を見かねて声をかけた老人ではあったが、老人の顔を見るなり懇願してきた店主と、店主の糞ガキ呼ばわりに多少気を悪くしたようだが、あくまでも剣を買う事にこだわる客が同時に詰め寄ってきて、二人の圧力を持った真剣さに老人は思わず後ずさる。



「まてまて。クマもお客さんも。俺は今来たばかりでさっぱり見当がつかないんだがどれを売る売らないで揉めてるんだい? 店頭のかい。それともカタログかね」



 まずは何で揉めているのかしっかり聞き取らないと仲裁のしようもない。


 店主は弟子であり商隊仲間でもあるが、なるべく中立な仲裁役に徹しようと二人を落ち着かせるために、老人はわざとのんびりとした声で尋ねる。



「「あれだ!」」



 老人の問いかけに二人が異口同音で答えて店の奥を指さす。


 二人の指さす先には組み立て式の頑丈な台に立てかけられた剣が一振り。


 片手持ち、両手持ち両用剣バスタードソードであった。


 鋼で出来た鈍く輝く長い刀身は斬り突きの両様に適した形状となっており、持ち手に合わせて柄も長くなっている。



「…………あれか」



 剣をまじまじと見た老人は客を見て、もう一度剣を見る。


 生粋の両手剣であるクレイモアーやトゥハンドソードに比べれば、バスタードソードは多少は短いが、柄から切っ先までの長さを合わせれば、目の前の客とほぼ同等の長さはあるうえに、刃も分厚く重さもそれなりにある。


 ただ持ち上げるだけとかならばともかくとして、それで戦闘をやるとなればかなりの筋力を必要とする。


 客の素肌は外套に隠れて見えないとはいえ、どう見てもほっそりとした……幼児体型といっても差し支えないその身体に、この剣を振る為に必要な筋力があるとは思えない。


 探索者であれば闘気による身体能力強化で、自らの体格とは不釣り合いな超重武器も振り回すことは出来るのだろう。


 しかし使えるのと使いやすいのはまた別問題。


 身長と同等の長さの剣は扱いやすいのかと聞かれれば、商人としての絶対の自信を持って否定できるほどに無謀だ。


 この小さな客に両手剣の類は、もっとも不釣り合いな選択肢といっていい。


 そしてここの店主は客に合う武具を売る事を信条としている。


 どう言っても売らないだろうし、老人が同じ立場であれば、もう少し言い方を変えて別の剣、体格に合った小振りなナイフやショートソードを勧めている。


 周りで見ていた見物人が店主に同情的なのも、どう考えてもこの客の方が無理難題を言っていると判るからだろう。



「あれはそこそこにいい品だ。この店の質も他に比べて良い。だからここならと思い剣を買おうとしたのに店主が売ってくれなくて困ってるんだ。説得してくれ。あの剣がほしいんだ」



 しかしこの場にいる者の中で唯一この客だけはそうは考えていないようだ。


 その言葉だけでも本気でバスタードソードを欲しがっているのが老人には判る。


 店主もそれが判っているのか、どうにかしてくれと目で老人に訴えかけている。


 本人が欲しがっているなら何でも売ってしまえばいい。


 それは利益だけを求める二流の商人がやること。


 これが老人の商売学であり彼等の商隊での教えである。


 あくまでも顧客に適した物を。


 ましてやそれが武器防具と直接命に関わる物ならなおのことだ。


 それで売った客が死んだとあれば、商人としての名折れであり信頼にも関わってくる。


 あの商人は欠陥と判っていて客に売ると悪評でも立てられれば、失った信頼を取り戻すのには膨大な時間と手間が掛かる。


 売らないという店主の選択は老人的にも正解なのだが、この客はそれでは納得できず、店主と揉める事態になったようだ。



「お客さん、一応尋ねるんだが誰かに頼まれたのではなくて、ご自分でお使いになるおつもりかい」



「当然だ。自分の命を預ける剣を自分で選ばない剣士がどこにいる? 私が使うに決まっているだろ。細い剣だと私はすぐに叩き折ってしまうから頑丈そうなあの剣がほしい。ん……そうだ。出来れば二本くれ。予備だ」



 至極当たり前とばかりに小さな客が胸を張って答える。


 長年客商売をやっている老人は、相手の話し方だけでその真意や嘘をある程度なら見分けることが出来た。   


 この小さな客はほぼ本心で喋っている。


 身の丈ほどもある剣をちゃんと使う事ができて、しかも頑丈でぶ厚い剣でないとすぐに叩き折ってしまうと困っている。


 本人が妄想の中だけで信じきっているだけなのかも知れないが。



「あー…………長くて重すぎないかね。あれは」



「む。お前も同じ事を聞くのだな。だからこそ良いのではないか。私は背が低くて手足もまだ短い。長さの分だけリーチが伸びるし、重さがあれば斬る時に力を込めやすくなるからな。丁度良いあの剣がほしい」



 老人の問いかけに対して客からは先ほどからほしいの連発の即答が続く。


 ここまで来ると嫌がらせや冗談の類では無くて、この客は本気で欲しがっており、無理だから諦めろと説得するのは難しいと認めるしかなさそうだ。



「判った。少し待ってもらえるかいお客さん。売ってくれるようにクマを説得するんで」



「いいのか。助かる。礼を言うぞ。ありがとう」



 愛想笑いを浮かべる老人が快諾したと思ったのか小さな客は深々と頭を下げて礼を述べる。


 口調は傲岸不遜だがその謝辞の礼儀は何処か堂々としていてかつ上品であった。 


 だがそれでは納得がいかないのは店主の方であった。


 味方になってくれると思った老人が、まさか売れと言ってくるとは思わなかったのか慌てて詰め寄ってくる。



「親方! 説得ってどういう事だ! いくらあんたの仲裁でも今回ばかりは」



「判ってるよ。耳貸せ…………この客の説得は無理だ。搦め手でいけ」



 咥えタバコの老人は慌てるでもなく店主の首を掴むと耳打ちする。



「クマ。お前さんは値札を出してなかったよな。ちゃんと武器の価値を見られる客に売りたいなんて青臭いこと言ってよ、交渉ん時の初値を客に決めさせてたな」



「あぁ、そうだけど勿論赤を喰うような商売はしてねぇからな。才能ある若いのにはちょっとばかし安く売ってやるだけだぞ」



 客自身にまずは値段を決めさせて、その提示した値段から客の武器を見る目やどのくらい欲しがっているのかを判断して、それから値段交渉に臨むというのがこの店主のやり方。


 だから店に並ぶ商品もカタログにも値段の類は一切提示されていない。


 これでは客が寄りつきにくいとは思うのだが、店先に並ぶのは店主が選んだ良品ばかり。自然と目の肥えた価値の判る客が集まり、半年に一回で廻ってくるこの自由市でもそれなりの常連を掴んでいた。



「あんまり客を選り好みしない方がいいんだけどよ。それはともかくだ。俺の見たところあの剣の仕入れは金貨で四枚って所か? それで何時ものお前さんなら、交渉で十枚前後辺りの売値にするだろ。だが今回はお前が値段を決めろ。買う気が起きなくなる程度の高値でな。買う気だけはあるお客を、商売を妨害されたって警備兵に突き出すわけにもいかんだろ。自分からご退散願うのさ」


 

「なるほど……さすがは親方。面倒な客の扱いは慣れたもんだな」



「てめぇが下手なだけだ。この程度そこらの若造でもすぐ思いつくんだよ。とっとと騒ぎ納めろ。それとあとで周りに詫び入れとけよ。同業に恨まれると商売がやりづらいからな」



「任せろ親方」



 吹っ掛けて追い払っちまえと囁く老人の言葉に合点がいったのか、店主は小さく頷くと内緒話を切り上げて客の方へ向き直る。



「ガキ。売ってやる……ただし共通金貨で百枚だ。一枚たりともまけねぇからな」



「おいおい。いくら何でもそいつは」



「共通金貨が百もあったら一年は遊んで暮らせるぞ」



「……吹っ掛けすぎだ。相手が買うのを諦める程度に抑えろってんだ馬鹿野郎が。それじゃさっきまでと同じだ」



 買える物なら買ってみろと言わんばかりの獰猛な顔で睨みつける店主の口からでた値段に周囲がざわつき、背後の老人がこりゃぁ長引くなと煙と共に溜息を吐き出す。


 どうやら店主はよほど腹にすえかねているのか、あまりにも大きな金額を呈示していた。


 トランド大陸のほぼ全域で使われる共通金貨だが、それが百枚などよほどの高額取引でも無ければ出てくる金額ではないし、人混みに溢れたこの自由市でそんな大金を持ち歩いている不用心な者がいるはずもない。


 店主の発言は売る気はないと言ってると同じような物である。


 一方肝心の客の反応と言えば、提示された値段に腕を組んで何も答えようとはしない。


 異常すぎる高値に呆気にとられているのか、馬鹿にされたと怒りのあまり声も出ないのだろうかと反応を見守っていた誰もが思った。


 だが違った……



「ん、百か…………二本は無理か…………それに足が無くなるが、何とかなるか。よし買った。丁度百枚入っているから受け取れ」



 少しだけ悩んだ素振りを見せていた客はあっさり頷くと、外套の中に手を突っ込み腰に下げていた革袋を二つ取り外して机の上にどかっと乗せる。


 二つの革袋には、大陸全土で信頼のある銀行の屋号印が刻印され、共通金貨五十枚と書かれた保証書付きの封印が厳重にされていた。



「一つ開けるから中身を確かめろ」



 客は躊躇う様子もなく革袋の一つに手をかけると、びりびりと封を破って口を開く。


 ずっしりとした重そうな革袋の中に満帆に詰まっていたキラキラと光る金貨が机の上に音を立ててこぼれ落ちていく。


 無造作に置かれた大金に店主は声もなく固まり、周りの見物人も静まりかえる。


 飄々としていた老人も口に咥えていたタバコが地に落ちたのに気づかず唖然としていた。


 老人もやり手の交易商人として長年商売をやっているが、いくら良品とはいえ魔術付与もされていない、ただの新造剣に金貨百枚を出すような者は見たこともなかった。 


 みすぼらしい外套を纏った客が惜しげもなく大金を支払う。


 誰もが白昼夢を見ているかのような現実感の無い光景に言葉を無くす。



「もらっていくぞ」



 しかし当の客本人は平然とした涼しい声で言い切ると、固まっている店主達を尻目に勝手に露店の奥へと進む。


 背伸びして手を伸ばし棚のバスタードソードを外すと、横に合った付属の鞘にボタン式のベルトで固定する。



「まったく余計な時間を食った。剣を一振り買うだけで何でこんなに苦労しなくてはならないのだ」



 身長ほどある剣を背負うのは無理だと判断したのか、柄を右手に持ち刀身を肩に担ぎあげると、ようやく用事が終わったと文句をぶつぶつと言いながら早々に去ろうとする。


 その背は何処か急いでいた。



「ま、まて! おい! 勝手に! 持ってくな! 偽金かどうか確かめてもねぇぞ」



「クマ……こりゃ本物だわ。革袋も中身も。あの銀行は協会関連で管理がしっかりしているから偽が混じることもない。共通金貨で一袋五十。2つで百。きっちりあるぞ」



 慌てて呼び止めようとした店主の横で、未開封の革袋とこぼれ落ちた金貨の一枚を手にとってしげしげと見ていた老人が驚きの声を上げる。


 身につけている外套は薄汚れているが、どうやらこの客は相当な金持ち……それもバカな金の使い方をする放蕩家なのかもしれない。



「本物なのは当たり前だ。その銀行は信頼があると聞いている。それに先ほど開店と同時に受け取ったばかりだからな。一枚たりとも使っていないぞ」



 呼び止められた客は振り返る。


 疑われるのが心外だと言わんばかりに答える胸を張ったその様子は、小さな体格に似合わず何処か偉ぶっているようにも見える。



「くっ! 自分の姿を見てみろ! あんたはそいつを肩に担ぐのがやっとじゃないのか?! 使えない武器を持ってて死なれたとあっちゃ売った側の俺が商人として納得いかないんだよ! だから頼む! その剣はやめてくれ! 他のあんたの体格に適してる剣ならいくらでも安く売るからよ!」



 使いこなせるはずもない長大な剣を売るなど出来ないという商人としての矜持が頑固な店主に頭を下げ、先ほどまで怒鳴っていた客に対して頭を下げ懇願するという最後の手段を使わせる。


 しかしそんな店主の言葉に顧客は少し不機嫌そうなうなり声を上げた。



「む……しつこいぞ。私の技量を疑っているのか。なら良い。見せてやる」



 客は左手を外套に突っ込んだかと思うとごそごそと漁って何かを取り出し、店主に向かってその手を突きつける。


 その手の中には硬い殻に包まれた小さなクルミが一つ握られていた。


 このクルミで何をしようというのか? 


 店主や老人。そして周囲の見物人の疑問の視線がそのクルミに集まるなか、客は手首のスナップで小さなクルミを高々と真上に放り投げる。


 周囲の者達の目が思わずそのクルミの動きに合わせて上空を見上げた瞬間、バチバチと何かが弾け飛んだ音が聞こえる。


 それは剣を固定していた鞘のベルトを留めるボタンが弾ける音。


 店主や老人達が音の正体に気づくのよりも早く、彼等の視界の中を黒い影が走り抜け、微かな風斬り音が響く。


 圧倒的な速度で通り過ぎる影が空中に浮かんでいたクルミを真っ二つに断ち切った事に気づいたのは、数多くの見物人のなかでも動体視力のよい獣人や現役の探索者達などごく僅かな者達だけだ。


 大半の者は次に響いた声で何が起きたのかを知る事になる。


 

「まったく……私の腕を疑うとは失礼な奴だな」



 幼くもよく響く声が響く。


 その声の主はいつの間にやら抜き身となったバスタードソードを右手一本で軽々と構えた小さな客。


 左手には一切の乱れなく綺麗に真っ二つになったクルミが握られていた。



「……お、女?」


 

 剣を振るった勢いで外套のフードが外れたのだろうか、露わとなった客の素顔をみて見物人の一人が唖然と呟く。


 少し吊り気味の勝ち気な黒眼と、あまり手入れをしていないのかぱさぱさした質感の長そうな黒髪を首の襟口から無理矢理外套の中に突っ込んでいる。


 口元に巻かれた砂避けのスカーフの所為で下半分は隠れているが、十代前半の少女……それも整った造型の見目麗しいというべき顔が姿を覗かせていた。



「これで今度こそ文句はないな。私は忙しいんだ。余計な手間を取らせるな」



 左手で掴んでいた真っ二つに割れたクルミを机の上に放り投げた少女は地面に落ちていた鞘を拾い剣を鞘に仕舞っていく。


 机の上に置かれたクルミの殻はヒビ一つ無く、真っ二つに断ち切られている。


 小さく硬い殻に包まれたクルミを叩き割るのではなく綺麗に両断し、しかも弾き飛ばさず真っ直ぐに手元に落として見せた。


 それも自分と同じ長さの剣を用いて。


 その卓越した腕と人混みで混雑した通りのど真ん中でいきなり剣を振るう非常識さ。


 それはどちらも信じがたい物であり、誰もが凍りついて何の反応も示すことが出来ずにいる。



「だがやはりそこそこに良い剣だったから特別に許してやる……ん。そうだ店主。ついでに一つ忠告をしてやろう。心して聞け」



 右肩に剣を担ぎ直した少女は凍りついた周囲の様子を気にも止めず去ろうとしたが、一端立ち止まって呆然としている店主の顔をまじまじと見つめた。

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