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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と決闘
16/119

剣士と少年 ②

 肌身離さず常に持ち歩いている薬入れであるポーチから、豆粒ほどの赤い丸薬をルディアは一粒とりだす。

 厨房から貰ってきてもらった飲料水の入った木のカップに丸薬を落としいれる。

 テーブルにあったスプーンを一本拝借。

 カチャカチャとかき混ぜると、すぐに薬は溶け無色透明だった水が紅茶のような色へと変化した。

 この魔術薬はいわゆる万能薬といわれる類の薬だ。

 無論万能といっても無論全ての病気に効くような物ではないが、生命力回復の他に痛み止めや化膿止め、数種類の解毒効果と麻痺解除等の複数の効果を持ち合わせた品だ。

 無人の野山を駆け巡る狩人や戦場に赴く兵士達のような職種の者達には、携行性と利便性から好まれている。

 しかしその反面、強い薬効に伴い、血圧上昇、心拍の乱れ、嘔吐感などの強い副作用を身体に与え、まさに毒をもって毒を制すという類の薬で、まだ成長期の子供に投与するには危険な物。

 無論薬師であるルディアはそんな事は百も承知。

 今手持ちである薬の中で、もっとも生命力を回復する薬で有るから選んだに過ぎない。

 しかし今必要なのはその生命力回復のため薬効のみ、だから今はその名の由来である万能が邪魔にしかならなかった。



「形は成り」



 紡ぐ短詠唱に合わせてカップの縁を指で二度、三度と弾く。

 カップの中の小さな水面に細波が立ちあがり、ルディアがさらにカップを二度弾くと、波が図形を形作っていく。

 ルディアが描くのは三重簡易魔法陣。

 変化を現す印を中央に組み、中間に判別を散らし、周囲を安定の印で包む。

 他の薬効成分を変化させて単一特化した薬へと変える薬師独特の薬効変化の魔術だ。

 陣はそこまで複雑でもなく印の配置も少ないが、この程度の術式ならば十分。



「隠れし力より一つ。にしてたる力。数多の効を昇華し汝を高めよ」



 水面に出現した陣が淡い光を放ちながら消失した。

 

 生命力回復特化薬へと変質させてから背にもたれ掛からせて椅子に座らせたラクトの顎を掴んで口を開かせたルディアは、口にカップをあてがって溶いた水薬を少しずつ流し込む。

 効能が高められた薬は、舌の上に乗った瞬間、乾いた砂に吸われる水のように体内へと吸収されて消える。

 それにともない青白くなっていたラクトの顔が、薬によって徐々に血色を帯びていく。



「……生命力はこれで戻るはずです。脈はまだ弱いですけど、強心の効能も少しは残してあるので徐々に強くなっていくので大丈夫だと思います。あとはこの娘が心臓を止めた後遺症が無ければ良いんですけど」



 ラクトの右手首を軽く掴み脈をとっていたルディアが告げると、見守っていたボイド達三人の探索者と厨房からカウンター越しに身を乗り出して様子を伺っていたミズハ。

 そして急遽呼ばれてきた父親のマークスと商隊長であるファンリアが深々と安堵の溜息をはき出した。

 特に疲れた身体で固唾を呑んで見守っていたセラなどは、緊張の糸が切れたのかテーブルの上にバタンと倒れた。

 洒落にならない事態になるのではと、食堂に集まっていた者は強い不安を覚えていたのだが、

 


「ん。だから心配ない。心打ちというちゃんとした技法だ。相手の心臓を闘気をもって打ち抜く事で生体活動全般を一時的に止め、強化系魔術や闘気強化の効果を無効化する古技制圧術だ。強者なら数秒、一般人でも2,3分で脈が戻るし、打ち込んだ闘気によって肉体保護もするので後遺症はない……ボイド。闘気を使ってお腹がすいたから炒り豆を貰うぞ」



 そんな大人達の心労を他所に、張本人であるケイスは悪びれた様子も見せず平然としたまま、とことんまでのマイペースを保っている。

 それどころかテーブルの皿にあった炒り豆を見つけ、ボイドの答えも待たずに皿を掴んで引き寄せると、包帯が巻かれて指が使えないので右腕の肘を折り曲げて、そこに皿を置いて食べ始めるほどの余裕がある始末だ。



「ケイス。簡単な説明を聞いただけじゃうちの息子が暴走し掛かってたみたいだが、さすがにやり過ぎだろ。心臓を止めたって簡単に言うが下手すりゃラクト死んでたんじゃねぇだろうな。詳しく話せ」



 息子を殺されかけた父親のマークスの声にはドスがきいている。

 その体格と顔の古傷がより凄味を増す。

 しかしケイスはその怒気を前にしても、まったく動じた様子はない。

 お腹が空いているのか豆をまた一掴み口の中に放り込んでがりがりと食べたまま一つ頷く。



「ん……ガリ……さっきも言ったが……パク……子グマの奴、必要な基礎生命力まで削るような真似を……ふむ……あっちの方が危ない。塩ッ気薄い。ルディ。塩は無いか?」



 説明の途中で豆の薄味に気をとられ塩を探し始めたケイスを見て。さすがに腹にすえかねる物があったルディアはその頭を目がけて手を振り落とす。



「っと!?」



 手首のスナップがきいた素早い一撃がケイスの頭頂を見事に捉えたと思った瞬間、ケイスは紙一重の見切りで膝を曲げてすっとすり抜けた。

 死角からの不意打ちだというのに軽々と避けるあたりが腹立たしい。

 


「むぅ。いきなり何をするんだ。危ないじゃないか」



「説明優先しろこのバカ。終わるまで食べるな」



 文句の声をあげるケイスを眼光を鋭くしたルディアが睨みつけて、ケイスの腕から皿を取り上げてテーブルの上に戻す。

 燃えるような赤い髪とずば抜けた長身がその目の強さと合わさり、まるでその様は昔話に出てくる地獄の悪魔のようだ。



「むぅ判った……説明するから怒るな」



 ルディアの剣幕にさすがのケイスも多少ひるんだのか、不満そうではあったが頷いていた。

 


「クマ。こりゃお嬢さんに任せた方が早そうだ。ミズハちゃん。灰皿を貰えるかい」



 ケイスの事情聴取はルディアに任せればいいとファンリアが懐からタバコ入れを取り出し灰皿を求めるがミズハは壁の一角をさす。

 


「今の時間はうちは食堂。あしからず」



「……禁煙かい。愛煙家に世の中が厳しくなってきたねぇ」



 ミズハが指を指した『食堂時間一切禁煙。喫煙は夜間バーのみ』と書かれた張り紙をみてつまらなそうにぼやいてファンリアは懐へとタバコ入れを戻した。



「おいミズハ。油売ってないで戻れ! パンがそろそろ焼き上がりだ! あと10分で第一陣くるぞ!」



 スープの入った大鍋に塩をつまみいれながら味を調整するミズハの父セラギの声が響く。

 パンが焼き上がる香ばしい香りが食堂にも漂ってきた。

  


「あいよ! しゃーない。セラ。親父が怒鳴るからあたしは仕事に戻るんで後で顛末を教えて」



「りょーかい。でも細かく話すと頭痛くなりそうだからはしょるよ」



 事の成り行きはミズハも気になっているようだが、テーブルに倒れ込んでいるセラに一声掛けてから乗り出していたカウンターから引っ込んだ。

 セラは倒れ込んだまま力の無い声で返事を返す。

 ケイスの話す内容はどうせ無茶苦茶で理解しがたい物だろうと、セラはこの時点で嫌な確信を抱いていた。

 ラクトの無事が確認できた事で食堂に集まっていた者達はある程度緊張が抜けた。

 今だ張り詰めた雰囲気を残しているのは怒っているルディアとマークスだけだ。



「俺じゃ、あん時みたいに冷静に話がすすまねぇな。ルディア頼む」



 しかしそのマークスも、ルディアに任せろというファンリアの提案に素直に従う。

 商売の師であるファンリアの判断を信用しているのもあるが、初対面時のケイスとのやり取りを思い出していたからだろう。 



「はい引き受けました……さてと”最初”から”順序”よく、私達にも”判る”用に説明しなさい」



 何をどのように聞きたいのかを強調したルディアが腰に手を当ててケイスを見据えた。

 ルディアがここ数日一緒に過ごして気づいたケイスの明確な欠点がある。

 ケイスは他人とのコミュニケーション能力が著しいほど幼稚なのだ。

 とにかく自分の目線で全部を語ろうとする。

 客観的な視線で物事を語ることができず、まるで幼児に事情を聞いているような物とでも言えば判りやすいだろうか。

 そして明らかに一般とはかけ離れた異常思考がさらに輪を掛ける。

   


「最初からだな…………倉庫前の通路で朝の鍛錬をしていた私に子グマが決闘を吹っ掛けてきたのが始まりだ。決闘と言うから殺し合いかと思ったら違ったんだ。単に何らかの勝負で参ったと言った方が負けというルールの遊びだ」

 


 ケイスがラクトを倒した状況を詳しく話し始めるが、その説明は最初から案の定どうにも要領を経ない。

 ルディアを始め周囲の者は、決闘と聞いて殺し合いを浮かべるなんてお前は何時の時代の人間だという目でケイスを見ている。

 大陸中が荒れた暗黒時代やその後に続いた動乱期ならともかく、今時本当の命をやり取りする決闘なんて、血気盛んな若手探索者達の間ですらもほぼ皆無。

 あっても決闘という名の模擬試合や酒の飲み比べくらいで、賭けているのは少量の金銭やら安っぽいプライドくらい。

 命をかけるなんて馬鹿馬鹿しい真似をするはずもない。

 これが今の常識。しかしその常識がケイスにはない。

 決闘といえば命をかける物と頭から決めつけているようだ。 



「だから私は子供の遊びに付き合うほど暇ではないし、子グマを障害物に見立てて回避訓練をしながら一応話を聞いてやったうえに、無理だから止めておけと忠告もしていたのだぞ。天才である私が相手では、実力に差がありすぎて、試合ではなく虐めになってしまうと言ったのだが、そうしたらなぜか怒って殴ろうとしてきたんだぞ」



「それ挑発してるから。あんたね普通は自分の事を自分を天才なんていわないわよ。しかも見下した言い方して。わざと怒らせようとしてない」



 殴りかかったのはどうかとは思うが、あれくらいの年の男の子だったら、年下しかも少女にそんな言われ方をされたなら腹が立って当然だ。

 だがケイスはその当たり前の事柄を理解できない。



「しかしルディはそうは言うが、もし私の才を持ってしても天才でないのなら、この世に天才と呼べる者はいなくなってしまうぞ。私は世の中に天才と呼べる者は私以外いないと思うほど傲慢ではない。それに人を見下すようなことしたことなど、生まれてから一度もないぞ。それは悪いことなのだろ」


 

 その口がもたらすのが傲慢その物。

 自分が天才と信じて疑わず、そして自分が天才でなければ世の中に天才と呼べる者が一人もいなくなると、徹頭徹尾、心底本気でケイスは言っている。

 納得がいかないと訴える目でケイスがルディアを見上げた。

 自分は事実しか言っていないと。

 ケイスのその表情は、巫山戯ているのでも開き直っているのでもなく、ラクトが怒った理由をケイスが本気で理解できていないと、この場にいる誰もが気づかせた。



「……心臓を止めた理由は?」


 

 ケイスの説明は非常に理解しがたい物が多い。

 だがそれにいちいち食いついていては話が進まない。

 ルディアはとりあえず後でまとめて考えようと、ともかく続きを促す。



「だから言っているだろ。子グマのやつは生命力を闘気に回しすぎていた。高揚感で理性のリミットが外れた獣人族の狂化みたいな状態だ。あのままでは生命力を使い果たす危険もあった。だから心打ちで心臓を止めて無理矢理解除したんだ」

   


「……じゃあラクト君を口にくわえてきたのは? 他に運びようなんてあったでしょ。それか誰かを呼んできて連れてきてもらうとか。何でよりにもよってあんな運び方をしたの。あれで心証が悪くなってるからねあたし」

 


「食堂に入るところでルディが倒れそうになっていたのが見えたから助けに入ろうとしたが、今私の右手は怪我で使えなかったから口にくわえた」



「…………ラクト君を扉の所に置いてくればいいでしょ」



「ちゃんと掃除してあるとはいえ、土足で歩く床に人を置くのは失礼だ」



「いやあんた……口にくわえる方が失礼だっての」

 


 堂々と胸を張るケイスの返答を聞くたびにルディアはだんだんと疲れを覚える。

 まさかここまでいろいろな意味で話が通じない相手だとは思っていなかった。

 ケイスの思考は意味不明な部分が多すぎる。

 自分が天才だと言い切り、それを他人も理解して当然だと考えて、自分を傲慢だとはかけらも思っていない。

 闘気を遣いすぎてラクトが危険だからと、ミスしていたら殺しかねない技で心臓を止める。

 他人を床に置くのは失礼だが口にくわえるのは問題ないと考えるずれまくった常識感。

 だがおかしいのは思考だけではない。

 十代前半年と見える年のわりに高すぎる戦闘能力も異常すぎるが、問題はその過去だ。

 大願を叶えるまでの願掛けに封じていると言って、『ケイス』という偽名くさい名以外は家名も出身地も一切喋ろうとせず、素性不詳と怪しいことこの上ない。

 しかも思考は異常者そのものであるくせに、性格的には基本馬鹿正直で人をだませないタイプだとルディアは見ている。



「………………どうします? たぶん全部本当みたいですけど」



 幼い子供と変わらず感情がすぐに表情に出るので、ケイスの目と顔を見ていれば嘘をついているかどうかなんてすぐに判る。

 それらから判断するにケイスは今のところ嘘はいっていない。

 頭の中で状況整理したルディアは、あんたどこまで無茶苦茶だという突っ込みを心の中に押し殺し、二人のやりとりの聞き役に回っていた周囲に尋ねる。

 ラクトを助けたといえば助けたのだが、その原因は主にケイスの無自覚な見下した言動な訳で判断に困る。

  


「むぅ、多分とは失礼だぞ。私は事実しか言ってない」



「あんたはややこしくなるからしばらく黙ってなさい…………これ食べてていいから」



 ルディアにため息混じりの一言に不機嫌そうに眉をひそめたケイスへと、ルディアは先ほど取り上げた皿の豆に塩を振って押しつける。

 ケイスは不承不承といった表情を浮かべながら、それでも空腹が勝っていたのかポリポリと炒り豆を食べ始めたが、すぐに嬉しそうなあどけない満面の笑みをうかべた。

 どうやら塩加減が丁度よかったようだ。

 食べ物を食べているときや寝ているときは年相応……というか可愛らしさの溢れる美少女と言ってもいい風貌なのに、会話時とのこの差はいったいなんだろうと釈然としない気持ちからルディアはもう一度ため息を吐いた。











「で、どうするクマよ? いろいろ問題はあるが基本お嬢ちゃんの方に悪意はない。むしろおまえさんの所の坊主のほうに気をつけた方がいいかもな。闘気まで使いだしたんじゃ子供の喧嘩っていう範疇を超えてるだろ。相手がお嬢ちゃんだから手玉にとられたようだが」



 タバコが吸えず手持ちぶさたなのかファンリアがテーブルの上にあったスプーンを弄びながら、複雑な表情を浮かべているラクトの父であるマークスに尋ねた。

 しかし尋ねられてもマークスも即答はできない。

 非常に乱暴かつ非常識な手であるが、ケイスがやったことはあくまでラクトを助けるための非常手段という意味合いが強い。

 そしてラクトが怒る原因となったケイスの言動にも、この場の中で唯一マークスだけがある確信を抱いていた。



「ケイス。一つ尋ねるがおまえ本当にラクトを馬鹿にしたり怒らせようとはしてないんだよな、っていうか俺の時と同じで”親切心”からの忠告か?」

 


 十人中十人が全員挑発ととるだろうケイスの言動は恐ろしいことに、本人からするとすべて善意から成り立っている。

 それはつい先日ケイスによって激怒させられたマークスだけが知りうる情報。

 師匠筋であるファンリアにも話していないケイスとの会話から行き着いた結論だった。



「「「「………し、親切心?」」」」」



 マークスの問いかけに周囲のルディアやファンリア達が訝しげな顔で疑問符付きの声をあげた。

 ケイスの行動から親切心という存在の欠片でいいから拾えというのがまず無茶なのだが、

 


「ん? うむ。子グマは私に意地悪するから嫌いだが、クマは武器を貸してくれるから好きだぞ。だからおまえの息子ということで特別に忠告したまでだ。他の者ならあまり邪魔をするなら叩きのめして排除するぞ。それがどうかしたか? ……ぅ。ルディ今のは聞かれたから答えたまでだからな。無視するのは失礼だからな」 



 当の本人はマークスに平然と頷いて答えてから、ルディアに黙っていろと言われたのを思い出したのか弁明じみた物を述べている。



「お、おまえって奴は。なんでそこまで判りにくいんだよ。完全にラクトの空回りじゃねぇか……しょうがねぇ。後で俺から説明しておく」



 ケイスの回答にマークスは頭痛を覚え額を押さえ、周囲は会話の意味が判らず困惑してしまう。

 唯一ファンリアだけが、マークスへとどういう意味かと視線で問いかけようとしたが、



「っく…………く、くそ……俺、俺だっておまえなんて嫌いだ……え、偉そうに、畜生」



 苦しげなか細い声がその視線が打ち消した。

 周囲が異常なケイスの言動に気をとられているうちに、いつの間にやらラクトが意識を取り戻していた。

 ケイスにいいようにやられた事を覚えているのか、血の気の引いた青ざめた顔で悔し涙を浮かべている。



「ラクト! 無事か!? よ、良かった。あんまり心配かけさせんな」

 


 息子が無事に意識を取り戻した事にマークスが安堵の息を吐き出したが、なぜかそのマークスをラクトは睨む。



「う、うるせ! な! なにが心配かけさせん……だ……バカ親父! ごほっ! ぉっ!」



 悔し泣きをしたまま怒鳴ったラクトだが、急に大声を上げた反動か激しく咳き込む。

 ルディアの薬で生命力を回復させたといってもまだまだ本調子でないのはその顔色を見れば明らかだ。

 


「てっ!? てめぇっラクト! 心配している親に向かってその言いぐさはなんだ!」



 先ほどまで瀕死状態だった息子にいきなり怒鳴られて一瞬面食らっていたマークスだったが、その言いぐさに腹が立ったのか負けじと怒鳴り返した。



「バカ親父だから……バカ親父だっつってんだよ! 自分を馬鹿にしたガキ相手にへらへらしやがってバカ親父!」



「こ、この!」



 ラクトの返し言葉に激高したマークスは、つい拳を握りしめ思わず振り上げていた。










「ま、待てクマ!」「ち、ちょっと待ってください!」「やっべっ!」



 いくらこの親子の間で喧嘩は日常茶飯事といえどラクトはついさっきまで心臓が止まっていた状態。

 ファンリア達が慌てて止めに入ろうとするが、それよりも早く小さな影が動いた。

 つい今まで豆を食べたながら親子のやりとりを見ていたケイスだ。 



「とっ」



 ラクトとマークスの間にさっと飛び込んだケイスはマークスの手首へと己の左手を伸ばす。

 マークスとの身長差は倍近く、体重差ではそれ以上あるのに、ケイスはマークスの左手首を握っただけで軽々と拳を止めてみせる。

 端からはケイスはただマークスの手首を押さえているだけにしか見えないが、それだけでマークスは身動き一つとることが出来ない。

 ケイスが行っているのは先ほどラクトに行った心打ちと同原理の闘気を用いた制圧術。

 本調子であれば本物の”熊”すらも押しとどめられる術を持って親子喧嘩を止めたケイスは不満そうに眉をひそめる。

 


「クマ。心臓が止まっていた相手を殴るのはやめておけ。あと子グマ。父親に向かってその口の効き方は失礼だぞ。クマが怒っても当然だ。こういう時は『心配してくれてありがとうございます』だ」



 二人の間に割って入ったケイスは説教じみた苦言を二人へと呈して、それが常識だと言わんばかりにうなずく。

 確かに言っていることは至極まともなのだが、それを言っている人物が問題だ。

 


「げ、元凶はあんたでしょうが」



 この場にいる誰もが思っているであろう一言をルディアが突っ込むがケイスは首をかしげた。



「ん。そうか? まぁいい。子グマの話でだいたい理由も事情もわかった。そういうことか。よし決めた」



 いったい今の短い親子喧嘩の中で何を知ったのか?

 ルディア達にはもちろん当事者であるマークス親子にも理解できない中、ケイスはしたり顔で頷いてから不満顔から一転、今度は満面の笑顔を浮かべる。

 その笑顔はケイスが本来持つであろう美少女としての魅力を十分に発揮する人の目を引きつける実に嬉しそうで楽しげなあどけない少女の笑み。

 ルディア達はもちろん激昂していたマークスやラクトも、思わず見惚れそうになる天然の笑顔だった。

 突然の雰囲気の変化に誰もが困惑する中、ケイスはそのマイペースぶりを遺憾なく発揮する。



「おい。子グマ」



 ケイスはラクトへと振り返り、おもしろいことを思いついたとばかりの弾ませた声で話しかけた。

 だが先ほど結果的に助けられたとはいえ、殴り倒されていたラクトは我に返り警戒の表情を浮かべる。



「な、なんだよ」



 不審げなラクトの態度をケイスは気にする様子もなく胸を張ると力強く宣言する。



「私はおまえが好きになった。だからおまえの決闘を受けてやろう。それどころか私に勝てるように私が訓練をつけてやろう。うん。だから感謝しろ」



 極めて理解不能な思考の為に非常に他人には判りにくいが、ケイスは基本的に他者に”親切”であり”寛大”である。

 ただしその寛容と親切が世間一般の基準から大きく外れたケイス基準とも言うべき、ケイスの中での尺度であるが。

 その行動原理自体は至極単純。

 好きな者は助ける。

 自分は嫌いだが好きな者が好きな者だったら、嫌いな者でも極力我慢するし助ける。

 命の危機であれば”敵”でなければ、嫌いな者でも極力助ける。

 この基準に当てはめると、ラクトは嫌いだがマークスは好きだから”親切心”から危ないと助言はし、ラクトの攻撃くらいでは命の危機でもないので”寛大心”から攻撃を回避しただけで済ます。

 命の危機であったので、ラクトは嫌いでも”敵”ではないので助けた。

 ケイスにとっては至極単純明快な理屈理論から行動した結果だったのだが、それらが年不相応な尊大な物言いと相まって外からは全く判らないことが問題だった。

 そしてケイスは好きになるのも嫌いになるのも一瞬。

 一瞬一瞬を生きる。

 それがケイスという少女である。 

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