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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と決闘
15/119

剣士と少年 ①

 砂船トライセルは全長約150ケーラ。

 その最下層は隔壁で隔てられ船首側は機関部、船尾側は倉庫となっている。

 厨房の仕込みを手伝い終えたケイスは、人気のない船尾側最下層まで降りていた。

 倉庫のスペースを少しでもとるために通路の横幅は両手を伸ばしたくらいと狭いが、長さは約60ケーラほどもあり、闘気の底上げ無しでのケイスの全力疾走では7秒ほどかかる。

 早朝の人気のない時間を使い、ケイスはこの通路での走り込みを行っていた。

 ケイスの目的はスタミナ増強の為の走り込みではない。歩法の鍛錬がその主な目的となっていた。 


「はっ!」



 息を軽く吐き出しケイスは跳び出す。

 柔らかな砂漠と違い、木製の硬い床は、1歩目からトップスピードに乗せる事を可能とする。

 広い歩幅でしかも常に一定になるように気をつけ、すり足気味に床を蹴りながら、通路の端を目指してケイスは疾走する。

 最初に歩数を決めてから、歩数に合わせて通路を平均分割して頭の中で線を引く。

 線を捉えて良いのはつま先のみ。

 最初は20歩から初め、成功したら1歩歩数を増やしていく。

 線を踏み外したのなら失敗。全力疾走時のタイム+1秒を超えても失敗。

 もう一度20歩からやり直す。

 それがケイスが行う歩法鍛錬の基本ルールだ。

 朝食の時間までの一時間を目処に今日の目標は40歩とケイスは決めて、ここまで5回目のやり直しでようやく30歩目まで進んだ。

 闘気を使い身体能力強化をすれば、目標の数倍までも無理なくこなせるが、それでは意味がない。

 闘気を用いれば身体能力を数倍、熟練者であれば数十倍にあげることが出来るが、元となる基礎能力自体が鍛えられるわけではない。

 ケイスが今求めているのは高い基礎能力。

 正確無比な距離感。

 精密な身体操作。

 どちらも敵と触れ合うほどの近距離での近接戦闘を唯一の戦闘手段とするケイスにとって必要な能力だ。

 


「はっ……はぁ……むぅ」



 31歩目を踏んで壁際に到着。

 本来ならこのままターンして次の歩数へと入るのだが、ケイスは肩で息をしながら不機嫌に眉を顰めた。

 立ち止まったのは息が切れたからではない。

 予定より壁が近い気がしたからだ。



「むぅ。だめか」



 足元を見下ろして壁との距離を測ってみると、やはり指一本分ほどだが近すぎた。

 1歩前までは満足のいく出来だったが、どうやら最後だけ止まろうとした分の動きが遅れ超過してしまったようだ。

 指一本分の僅かな誤差。

 これを許容範囲とみるか失敗ととるか。

 

  

「ふぅ……むぅ。もう一度最初からだな」



 ケイスは後者である。

 軽く息を整えて、唸ってからケイスは反対側へと振り返る。

 踏むべき場所は壁の汚れや床の木目を目印にして頭の中でイメージとして作り上げてある。

 後は自分がその思った位置を正確に踏み切れるかが問題なだけの単純だが難しい作業だけだ。



「はぁっ!」



 大きく息を吸い混んでからケイスは反対の壁に向かって飛び出す。

 指一本分だけといえ、ケイスからすれば誤差は大きい。

 その僅かな誤差でも間合いを読み間違えれば、重要な腱や血管を切り裂かれてしまうかもしれない。

 余分に踏み込んでしまえば、振るった剣の狙いがそれてしまうかもしれない。

 紙一重の近距離戦闘を生きるケイスにとって、指一本部の誤差は十二分に生死を分ける。

 これくらいは良いかと自分を誤魔化してしまえば、後で泣く羽目になる。

 変な部分で生真面目なケイスは、鍛錬には一切の妥協をせずただ黙々と繰り返す。

 


「ふ……ふっ……次!」



 20歩は問題無し。

 壁にタッチしたケイスは振り返ると共に即座にスタートを切り、21歩であっという間に通路を走破し反対の行き止まりに辿り着き、次の22歩目の為に折り返す。

 息を整える暇もない短距離走の連発。

 1歩ごとに歩数を増やしていく分、スライドが小さくなり遅くなるタイムは足の回転をあげる事で維持する。

 躍動する心臓と駆け巡る血で熱くなる身体の熱さがケイスの心をより滾らせ、鍛錬へと意識が集中していく。 

 ケイスの行う鍛錬には休憩などという概念は存在しない。

 ただひたすらに、身体を限界以上に酷使し続けるという馬鹿げた物だ。

 こんな事を毎日繰り返していれば、常人であればすぐに身体が壊れる。

 しかし御殿医から先祖返りと診断されたケイスの肉体がその無茶を可能とする。

 鍛えれば鍛えた分だけ強くなり、怪我を克服すればするほどより肉体は強靱となっていく。

 無限とも思える潜在能力の底はケイス自身にも見えない。

 だが今のケイスには己の稀有な体質は好都合以外のなんでもない。

 ケイスは強くならなければならない。

 胸に抱く大願を叶える為に。

 願いを人に聞かせれば馬鹿げていると笑われるか、幼すぎる外見故に現実を知らない子供らしい夢とほほえましく見られるだろう。

 しかしケイス本人は心底本気であり、自分が出来ないわけがないと微塵も疑っていない。

 自信過剰とも言うべきケイスの生まれ持った心根が、無理な鍛錬にも心を折らせず続けさせる原動力となっていた。

  

 

「っぁ……26っ!」



 26歩までは順調に数を積み重ねてきたが、きついのはここから先。

 歩数を増やしながら速度を維持するのは骨が折れる。

 だが同距離同速度で歩数を増やせるということは選択肢を増やす事に他ならない。

 荒れる息もそのままにケイスは折り返す。


 1歩目。床木目細めの渦……成功。


 2歩目。右側壁のへこみ……成功。


 3歩目。左壁の倉庫扉蝶番……成功


 4歩目。天井ひっかき傷先端……成功。



 目標を一つ一つ確かめながら、狭い通路をケイスは全力で走る。

 わざわざ上下左右に目標を分けたのは、動体視力の強化と広い視野の確保も鍛錬目的の一つだ。

 深い森に姿を潜める射手の僅かな動作がうむ違和感を見つけ出す為に。

 乱戦の中で敵魔術師が唱える詠唱や組んだ印を読み取り展開した魔法陣から魔術の種類を一瞬で判別する為に。

 飛翔魔獣が雲の隙間から放つ広範囲ブレス攻撃を避ける為に。

 地中から突如襲いかかってくる地生魔獣が地下を移動する時の微かな地表の異変を感じ取る為に。

 攻撃の兆候を少しでも早く正確に認識し対処する事が出来るようにと鍛えるその知覚能力は、身体強化と違いすぐに必要となる力ではない。

 ケイスの反応速度を持ってすれば、先日のサンドワームとの戦闘のように大抵の攻撃を躱し弾くことができるからだ。

 高い知覚能力が必要となるのは今より数年後。

 中級探索者となる頃に必要となる力と定めケイスは鍛錬を続ける。

 そしてその先も勿論視野に入っている。

 上級探索者となり生き残る為に必要な高度な身体力、強靱な精神力は現状より遙か高みにある。

 さらにその先。

 自らの生まれがもたらすであろう戦乱を勝ち抜き、家族を守る為の圧倒的な対人、対軍戦闘能力。

 これから先の人生。

 自分の生涯全てが戦いの中にあるという確かな予感を抱くケイスの鍛錬は20年30年先を見据えている。



  

 8歩目。上階へと通じる階段扉の一つ前の壁掛光球ランプ……成功


 ここまでの目標を正確に捉えた事に心中で満足を覚えながら8歩目を踏みきろうとしたケイスだったが、その目の前でいきなり階段へと続く扉が通路側へと開きはじめた。

 どうやら上から誰かが降りてきたようだ。

 鍛錬に集中しすぎて周辺警戒がおろそかになっていたと反省する間も無く不意の来訪者が姿を現す。

 しかし、スピードに乗っているこの状況下では、さすがのケイスでも立ち止まるには距離が足らない。

 このままでは降りてきた人物へと体当たりをする羽目になる。

 かといってこの狭い通路では扉を避けることも出来ない。

 むやみやたらと人に怪我をさせるのは好きでないが、自分が怪我するのも嫌だ。

 なら残った選択肢は一つ。



「っの!」



 ケイスはとっさに8歩目を強く蹴り跳躍する。

 扉までの僅かな距離で空中へと身を躍らせたケイスは、不意の侵入者の顔を掠めるように飛び越えながら、そのままくるりと回転し扉の上部に浴びせ蹴りを打ち放つ。

 扉を破壊して進路を確保するついでに勢いをかき消せばいいと単純明快な答えをケイスの思考ははじき出していた。

 

 

 












「ここかっ!? どぁ!?」 

 

 

 怒り心頭で最下層通路へと続くドアを開けた瞬間、目の前をいきなり小柄な身体が横切り、ついで派手な衝撃音と共にラクト・マークスは強い衝撃を受けて握っていたドアノブから思わず手を離す。

 ベキと音を立てて木枠が砕けて蝶番が外れた重く頑丈な木の扉が、バタンバタンと音を立てながら風に流されるゴミくずのように通路を転がっていく。

 ドアノブを掴んだままだったら、ラクトも扉と一緒に転がっていくことになっただろう。



「はぁはぁ……なんだ……子グマか……ふぅ……すまん。避ける暇が無かった」



 恐ろしいまでの勢いと衝撃をドアに叩きこんだのはケイスと名乗る黒髪の少女。

 ケイスはスタっと床に降り立ち振りかえってラクトの顔を見て頬を膨らませる。



「しかしお前も気をつけろ。『訓練中立ち入り注意』と張り紙を貼ってあっただろ。いきなり扉を開けるからびっくりしたじゃないか」


 

 すぐに息を整えたケイスは謝る気があるのかと、疑いたくなる傲岸不遜な言葉を打ち放つ。

 長い黒檀色の髪と多少吊り気味だが意志の強そうな目と整った顔立ちは、ラクトの幼学校時代の同級の少女達とは比べものにならないほど際だっている。

 都会の着飾った見目麗しい少女達の誰よりもさらに強い存在感を放ち、外見だけで見るならば、まだ幼い雰囲気を色濃く残しながらもながらも、ケイスは最上級の美少女といって過言ではない。

 だがそれは見た目だけだ。 



「て、てめぇケイス! いきなり人のこと蹴り飛ばそうとして偉そうだなおい!? それに俺は子グマじゃねぇ!」



 ラクトの当然すぎる抗議に対してケイスがなぜか不機嫌に眉を顰めてから、転がった扉を指さして胸を張る。



「失礼なことを言うな。私がこの程度の速度と距離で目標を外すわけがないだろ。狙い通り扉だけ蹴ったんだ。見れば判るだろ。それにクマの子供だから子グマだ。二つとも問題無しだ」     



 ケイスが指さした扉上部にはくっきりと足跡が残っており、どうやらここを狙って蹴ったと言いたいようだが、そう言う問題ではない。

 失礼なのはお前の方だと言い返したくなる言いぐさにラクトは苛立ちをより強める。



「問題しかねぇよ! それに親父のクマは渾名で俺には関係ない……ってまて! 逃げるな! 俺の話を聞け!」



 ラクトの言葉を最後まで聞かずケイスは転がっていった扉を壁に立てかけると、すたすたと歩き出した。

 まるで話は終わったと言わんばかりのケイスをラクトは追いかける。

  


「むぅ心底失礼な奴だな。別に逃げたわけではない。後で扉を壊してしまったことはちゃんと船員に伝えるがまだ時間が早い。朝食時にでも伝え謝るつもりだ。無論修理も手伝う。そして私は走法鍛錬の途中だ。時間が惜しい。他に何か言いたい事があるなら走りながら聞いてやるから、階段側の所で言え。邪魔だから通路には出るなよ」



振り返ったケイスは不満げに唸ってからおざなりに今ラクトがおいてきた階段を指さし、通路から引っ込んでいろと上から目線で言う。

 しかし階段の位置は長い通路のほぼ中間地点だ。



「それと大声は出すな。たぶん大丈夫だと思うが、上の客室まで響いたら早朝でまだ寝ている者もいるから迷惑だぞ。小声で話せ。お前には常識が無いのか?」



 通路には船首側の転血炉が稼働する重低音が響いていて、近い位置ならともかく離れていれば音は聞き取りづらい。

 ましてや小声で話したら、ますます聞こえなくなる。

 ケイスの言いぐさは、お前の話なんて聞いていられないと遠回しに言っているような物だ。  

 


「んな所から声届くか! しかも大声出すなって! お前絶対聞く気ないだろ!」



「一々しつこい奴だな。聞いてやると言っているだろう。心配するな私は耳が良い。だから大声を上げるな。さっきも言っただろ。貴様こそ人の話を聞かないのは駄目なんだぞ」



 お前が言うなと返したくなる内容をほざいてから、ケイスは踵を返し早足で通路を歩き出した。

 自己中心的で身勝手な上に自信過剰で鼻持ちならない。

 誰と比べても群を抜いて断トツで生意気で憎たらしい年下ガキ女だと、ケイスと知り合って数日でラクトは嫌になるほど思い知らされていた。



「こ、このっ!!………っくぅっく!」



 ラクトはその無防備な背中につい掴み掛かろうとしたが、年下女しかも怪我人である事を思いだして歯ぎしりをしながらも何とか踏みとどまる。

 それに昨日のこともある。

 剣を取り上げようとケイスに近付いた所、ケイスに思い切り投げ飛ばされ気を失う羽目になった。

 一晩経ってようやく強く打った身体の痛みも引いて動けるようになったので、昨日の喧嘩の続きとケイスの所へ出向いたのだが、その初っ端からケイスの傲岸不遜で自分勝手なペースに巻き込まれていた。



「いいか! このちび女! 俺が昨日投げられたのは油断してたからだからな! あれで勝ったと思うなよな!」



 ケイスに追いついたラクトは、前に回り込むとその行く手に立ちふさがり睨みつける。

 年下。しかもこんな小さく細い少女に負けたとあってはラクトとしては立つ瀬がない。

 ラクト自身も負け惜しみだとは判っている文句だったのだが、ケイスはきょとんとした顔を浮かべた。



「ん? 別にお前と勝負した訳じゃないから勝ったなんて思ってないぞ。それよりあの程度の投げならちゃんと受け身をとれ。お前が気絶なんかしたからルディから叱られたんだぞ……よし話は終わったな。鍛錬時間がおしいから邪魔をするな」



 ラクトなぞ喧嘩相手にならず、元々眼中にないとケイスの言葉と態度は雄弁に物語っている。

 他人事であれば、どうやったらここまで人を怒らせる事ができるのかむしろ感心しそうになる。

 だが当事者であるラクトとしてはたまった物ではない。



「っく!……それと! お前今日は絶対親父の店の剣を使うっ!?」



 言葉の途中でケイスが動いた。

 立ちふさがっているラクトの足の間へと右足をすっと滑り込ませ右足を払いながら、左手でラクトの右腕を掴んで軽く引っ張る。 

 たったそれだけのケイスの動作でラクトの視界が反転して、気がついた時には床に投げられていた。

 昨日と違うのは床に落ちる直前で勢いが弱まってふわりと浮き、ケイスが差しだした右足の上に身体が着地したことだろうか。



「温厚な私でもいい加減に怒るぞ。剣はクマの好意に甘えさせてもらっているが貴様に口出しされる謂われはない。まともに受け身も取れない未熟者が私の鍛錬の邪魔をするな」



 眉根を顰め実に不機嫌そうな顔を浮かべているケイスは右足をずらして、ラクトを通路の端にポイと置いた。

 あまりに簡単に投げられたことにしばし呆気にとられていたラクトだったが、我に返りワナワナと肩を震わせながら跳ね起き、ケイスへと指を突きつける。



「っ…………くくくくくっ……このガキ上等だ! てめぇ決闘だ!」



 ここまで虚仮にされたのはもうじき14になるラクトの人生の中でも初の経験だ。

 怒りを通り越して笑うしかない。

 こうなれば相手が女であろうが年下だろうが怪我人だろうが関係ない。

 絶対に泣かしてやるラクトが意気込むが、怒声にケイスはきょとんとした顔を浮かべている。

 頭二つ分ほど大きいラクトの剣幕にひるんだ様子も無かったケイスはしばらくしてから溜息を一つはいた。



「はぁ……器量が狭い。もう少し心を広く持った方が良いぞ。私は貴様は気に食わないが殺したくはならないぞ。この程度で殺し合いなんて貴様おかしくないか?」



 訳の分からない事を言い出したケイスが同情的な目を浮かべた。

 だが返されたラクトは唖然として言葉を失っていた。

 決闘しろとは言ったが殺し合おうなんて一言も言っていない。

  


「しかし貴様がどうしてもと望むなら致し方ない。ルディに立会人をやって貰うがいいか? それとも他に希望する者がいるか? 出来たらクマは止めてくれ。いくら私でも父親の前で息子を殺すのは忍びない」



 あまり気乗りしないと言いたげな顔を浮かべながらも、ケイスは一人で納得して話を進めているのを見てラクトは慌てて止めに入る。



「……い、いや!? ま、待てって!? お、お前何言ってんの!?」



「何って決闘だろ? どちらかが死ぬまでの。ふむ。しかしそうなると場所をどこに…………」



 何でそんな常識を確認するんだと言いたげな顔を浮かべたケイスは、場所はどこが良いかや、長剣でいいかとやたらと具体的な内容をあげ始める。

 ケイスが冗談や脅しで言っているのならまだいい。

 しかし極めて不本意だと感じさせる困り顔を浮かべながらも、その表情や口調が至極真面目なのが怖い。

 どうやら本気のようだと嫌でも伝わってくる。

 子供同士の間で決闘と言えば、それはあくまでも喧嘩の延長線上でしかない。

 ラクトはケイスを同じ子供としてみている。

 しかしケイスは違う。



「…………お、お前馬鹿だろ!? 何で殺し合い!? っていうか何でそうなるんだよ?!」



「誰が馬鹿だ本当に失礼な奴だな。決闘に殺し合い以外の何がある?」



 ラクトが言っている意味が本当に分からないのかケイスがちょこんと首をかしげる。

 仕草だけ見れば可愛らしいのだが、言っている事はとてもまともじゃない。



「あ、あるにきまってんだろうが……」  



 怒りが通り越して笑いへと変化していたラクトだったが、おかしすぎるケイスの言動に段々疲れすらも覚え始めていた。










 

 食堂へと手伝いに向かったケイスを送り出した後、ルディアは自分の身だしなみを整えてから、朝食までの時間を制作中の新触媒液のレシピと調整をノートへと記載をしながら、ゆったりと過ごしていた。

 乗員乗客数に対しトライセルの食堂は手狭な為に、食事は部屋事で三回戦に分けられ一食ごとに順番がずれていく。

 朝が一巡目なら昼は二巡目。夕食は三巡目といった具合だ。 

 ちなみにルディアは朝が一巡目のグループで船内時間での午前7時から。

 普段の習慣からすれば朝食時間は一時間ほど早いが、相乗りさせて貰っているので我が儘は言えない。

 それに夕食は最後の回なのでゆったりと食事が出来て、その後も居座って船内バーへと変わった食堂で、ちびちびと飲むのにも都合が良い。

 夕食の三巡目のメンバーはルディアも含め、毎日晩酌を楽しむ酒飲み連中で占められ、逆に一巡目と二巡目には、女子供や祝い事の時だけしか飲まないタイプや下戸だという男性商人達が固まっている。

 食事順はある程度意図的なのに決められているようだ。

 年の半分近くが極寒期である冬大陸の生まれであるルディアにとって、身体を温めてくれる酒は身近な存在。

 真っ昼間から飲んだくれるような事はないが、幼い時に寝る前に飲んでいたホットワインのミルク割りや蜂蜜入りから始まり、雪国では滅多にお目にかかれない芳醇な南国果実の香り漂うリキュール系のカクテルに嵌ってみたり、薬師見習い修行中には覚醒効果を施したオリジナルの薬草酒傍らに徹夜で調合といった風に、夜の共として常に傍らにあった。

 おかげでアルコールにたいしては大分強くなり、さすがに『底の抜けたビア樽』とまで言われるドワーフ族とまではいかないが、どれだけの飲もうが滅多に悪酔いする事もなく、むしろ晩酌を欠いた時の方が寝付きが悪い程度には嗜んでいる。

 そんなルディアが、夕食三巡目に回ったのはおそらく偶然ではない。

 最初に会ったラズファンの酒場で交わした世間話を覚えていたファンリア辺りの気遣いだろうとルディアは予想していた。

 飄々としているようで、些細な会話を覚えておき細かい気遣いが出来る辺りが、やり手の老商人といった所だろうか。

 しかしそんな老獪なファンリアを持ってしても全くの計算不能な存在が一人。

 それが、ひょんな縁からルディアが同室となったケイスと自称する謎の少女だ。

 

 

「……何か問題を起こしてないと良いんだけど」 



 整理の手を止めたルディアは軽く息を吐き額を抑える。

 知り合ってまだ数日しか経たないのだが、なぜか懐かれたルディアが主にケイスの面倒を見る事になっていた。

 元々面倒見が良いというか人が良いというか、世話焼きな性分。

 飛び入り乗船だった為、空いていた二人部屋を一人で使っていた事もある。

 元気すぎてそうは見えないが、一応相手は怪我人であり、医者ほどとはいかずとも薬師としてある程度の医療知識があるので適任といえば適任。

 そして何よりケイス本人は気にもしていないようだが、ルディアにとっては命の恩人だ。

 倉庫でサンドワームの攻撃からケイスが守ってくれなかったら、ルディアは命を落としていただろう。

 その他諸々を加味してみて、ルディア本人としてケイスの面倒を見る事に異論はない。

 だが正直、もう少し自重して行動をしてほしいと思う面が多々ある。

 幾つか例を挙げてみれば、

 大怪我を負っているというのに、多少痛いが動けるから問題なしだと狭い廊下で真剣で素振りをし始める。

 危ないから止めろと注意すれば、私が斬る気もないのに他人に剣を当てるわけがないと胸を張る。

 そう言う問題じゃないと再度注意すれば不承不承とはいえ承知はするが、今度は人の少ない所でやるなら問題無いなと言って、極寒の甲板へと出て行き数時間は帰ってこない。

 昨日にいたっては喧嘩騒ぎというべきなのかどうか今ひとつ経緯が不明だが、人を床にたたきつけて気絶までさせている。

 ケイス本人曰く危険だったかららしいが、その場にいなかったルディアからすればケイスの行動の方がよほど物騒だ。

 とにかく一事が万事この調子で本人には大怪我をしている自覚が一切無い。

 端的に言えば常識が無い。それに尽きる。

 

   

「とりあえず祈るのみね……」



 いつの間にやら筆が止まり、奇妙すぎる同部屋人のことばかりを考えていたルディアは集中が途切れた事を自覚してパタとノートを閉じた。

 薬師のレシピにはケール・レィトで現す一般的な国産単位法である神木法ではなく、より尺度が細分化された工房単位レド・ラグが使われている。

 ノートに書き写している数値のなかに一つでも違いがあれば、魔術薬の効果は制作者の意図とはまったく別の物へと変わってしまう。

 気もそぞろでやるべき仕事ではないし、現物はもう製作に入っているのだから慌ててまとめる必要もない。

 椅子から立ち上がったルディアは軽く伸びをして凝り固まった身体をほぐしてから、机の上でぽこぽこと小さな泡を立て沸騰するフラスコへと目を向ける。

 机の上で調合中の薬品が今記していたレシピの触媒液だ。

 比較的に入手が容易で安価な20種類の魔術触媒を調合する事で、同価格帯で取引される触媒28種分と同様の効果を発揮する触媒液とする。

 8種類分お得となるこのレシピ。

 金銭効率は良いのだが、その反面繊細な分量配分と外環境に合わせた細かな調整。そして長時間の加熱冷却を必須とする。

 魔法薬の製作販売で生計を立てる店持ち薬師からは、手間と器具の占有時間を含めて考えると儲けが合わないと敬遠される類の物だ。

 今現在砂船の乗客で暇をもてあますルディアは、もう少し簡易化出来ないかと研究改良していたところだった。

 とある人物がそれを聞きつけ、いくらかの手間賃と材料と同程度の触媒を融通するので代わりに試作中の触媒液を譲ってほしいと頼まれていた。

 交換する触媒の現物はルディアの手持ちにはない物が多めにあり、おまけに手間賃まで出るのなら文句はない。

 小遣い稼ぎの仕事みたいな物だと請け負っていた。

 フラスコを固定する枠に刻んだ記入式魔法陣の記述は三分の一ほど消費。

 順調にいってあと2日ほどで完成。

 このまま放置で問題無しと確認を終えたルディアは室内に掛かる時計へと目をやる。

 時刻は早朝6時35分を指していた。

 砂幕により空が閉じたこの常夜の砂漠で時計は唯一時間を感じ取れる存在だ。

 


「ちょっと早いけど食堂いこ……アレの席も確保しとくか」



 基本的に傍若無人で無軌道なケイスだが、変な部分で真面目なのか食事に限らず時間には正確で食事時間や手伝いの時間に遅れた事はない。

 この時間は今日も最下層で走り込みをしていると思うが、食事時間までには上に上がってくるだろう。

 ケイスの為にお代わりがしやすいカウンター近くを陣取って置くかとルディアは部屋を後にした。













「…………もう……駄目……眠いし……疲れすぎて……今日の明け方サンドワーム……私も美味しそうに見えてきた……」



 食堂の椅子にもたれ掛かるように座って、天を見つめながら女性探索者セラが虚ろな声をあげる。

 妹の憔悴しきった姿に、ボイドはどうしたもんかと、朝食までの繋ぎに出して貰った昨晩のつまみの残りの炒り豆をボリボリとかみ砕きながら考える。

 先守船での先行偵察を他の探索者と交代して本船トライセルに戻ってきたボイドとヴィオンが寝る前に食事をと思って来た時には、既にセラはこの状態でダウンしていた。

 脳味噌がイイ感じに茹だっているセラの疲労の原因は、先日襲撃してきたサンドワームの死骸を倉庫の一つを借りてここ数日不眠不休で解剖調査をしていた事が主な原因だ。

 護衛ギルドより派遣された砂船トライセルの探索者は当然セラ以外にもボイドやヴィオンを含め何人もいるのだが、セラが一人護衛から離れて報告書を作っているのには訳があった。



「生物知識を司る『黄の迷宮』の下級資格持っている探索者はこの船の中じゃお前だけなんだからしょうがねぇ。あと少しで終わるんだろ。それに親父もちゃんと報酬は出すって言ってるんだから、守銭奴なんだしそれで気力保て」

 

 

「うっさい……誰が守銭奴よ……馬鹿兄貴……この間の触媒の補填考えたらすぐに尽きるっての……それに今回のサンドワームはやばいから出来るだけ早く報告を送れって父さんが五月蠅かったんだから……ラズファンでも調べてるんだからイイじゃない……ヴィオンも黙ってないでこの薄情者に何か言ってよ」



 ギロリとボイドを睨みつけるセラの目元にはクマが浮かび、頬はこけて血色も悪く青白い顔になっている。

 不眠不休の解剖調査とサンドワームの醜悪な見た目と死骸が放つ悪臭がその疲れを倍増させていた。

 今朝に到っては一周回ってサンドワームの死骸がご馳走に見えるほどに精神状態が悪化し、さすがにこのままでは不味いと食堂へと一時避難してきたようだ。


  

「俺もそっち方面の技能はまだは取ってないから、出来る事はとりあえず頑張れって声援を送るだけかね。それに見落としがないように複数で調べるのは基本だろ。お嬢の所の親父さんが身内をこき使うタイプなのは今更だから諦めろって」


 

 黄金色の液体が注がれたグラスの底からわき上がる細かな気泡が弾けて広がる芳醇な香りを楽しんでいたヴィオンは、恨めしげなセラの視線に軽く肩を竦め答える。



「うぅ……父さんの馬鹿ぁ……」



 ヴィオンの言葉に力尽きたのかセラがパタンとテーブルの上に身を倒して愚痴をこぼし始めた。



 大陸一つ分の空、大地、地底にまで広がる、広大かつ複雑な永宮未完内では、多種多様のモンスターが日々進化、発生を続けている。

 驚異的な速度で変化を続けるモンスター達に対抗する為に、迷宮モンスターに関する情報や検体の収集が管理協会から探索者達へ奨励され、重要情報であれば高額な報奨金も出る。

 その観点から見れば今回のサンドワームは管理協会からの注目度は高い。

 ここ数ヶ月ほど連続発生していた小型砂船消失事件の犯人かも知れないモンスターの発見となれば、管理協会が色めき立つのは致し方ない。

 出現地帯が一般人も進入可能な特別区であるのに、魔力無効化能力等、複数の効果を持つ砂弾を打ち出す変種で、危険度は特別区として考えた場合トップクラス。

 その上に襲撃してきたサンドワームは複数。

 セラ達の船を襲った群れ以外の個体が生息する可能性も十分に考えられる。

 トライセルの緊急連絡を受け管理協会ラズファン支部からは、ラズファンへと向かう他船と接触して、調査用にサンドワームの死骸を至急送るようにと指示が下された。

 そして砂船トライセルの目的地でありトランド大陸中央部への玄関口。

 セラ達が所属する山岳都市カンナビスの協会支部からは、トライセルが到着するまでの時間が惜しい。

 セラに調べさせておけと名指しで指名され、おまけにこれ以上の被害を押さえるためにもなるべく早く報告がほしい。寝る間もおしめという厳命つきでだ。

 これは管理協会カンナビス支部長であり、クライシス兄妹の実父でもあるキンライズ・クライシスの依頼という名の命令だ。

 実娘だから無茶な期限設定を出来たという事もあるのだろうが、セラ一人に任せざる得なかったのにも理由はある。

   

 世界で唯一の生きた迷宮『永宮未完』は踏破する為に求められる技能によって『赤・青・黒・白・緑・黄・紫』そして全ての技能が求められる特別な『金』の八迷宮に大まかに分類され、攻略難度によってそれぞれ上級、中級、下級、初級の四段階に分けられる。

 この中で黄の迷宮を試練を超え踏破し天恵を得る為には、モンスター類を含む動植物に対する高い観察力と造詣を必要とした。


 世界中のありとあらゆる花が咲き乱れる花畑迷宮の中より、新種を探し出して祭壇へと捧げよ。


 弱点以外を攻撃すれば全身が爆ぜるモンスター(しかも個体事に弱点が異なる)を、原形を残したまま百匹討伐せよ。


 黄の迷宮では試練としてはこのような課題が与えられ、見事試練を突破した者達に天恵が授けられる。

 探索者となった者はまず初級踏破から始まり、天恵を積み重ねていくうちにより上位の迷宮へと踏みいる資格を得る。

 そして一種でも下級迷宮への侵入が可能になれば下級探索者と呼ばれる。

 この黄の下級探索者クラスからが、協会に正式なモンスター報告書として受理され報酬が出る最低限度の資格となっており、資格外の掛けだし探索者達からの場合は協力費と言う名目での雀の涙ほどの報酬しか出ない規則となっている。

 これにはちゃんとした理由がある。

 黄の下級探索者クラスになれば、迷宮踏破のために必要な知識技術をちゃんと身につけているため、報告書もただどこそこに現れたという簡易な物でなく、どの種族のどの分類に属し所持する能力やその身体能力などの精度の高い情報で報告が上がってくる。

 万年人手不足な協会側としては、そのまま本部や他の支部にも回せる情報はありがたいというわけだ。

 資格外の掛けだし探索者や、手間の掛かる解剖調査の時間を惜しむ探索者等は、調査と協会への報告を肩代わりして報酬を得るモンスター鑑定屋(現役を引退した探索者達が主)に依頼するのが主となっている。

 今食堂にいる三人は全員が下級探索者だ。

 ボイドの場合は近接の赤と、地形と建築の白。

 ヴィオンは遠距離の青と魔術の黒。

 セラは魔術の黒と生体知識の黄が、それぞれ初級を突破して下級資格へと到達している。

 そしてセラだけがトライセルにいる探索者のうちで唯一黄の下級資格へと到達しており、調査に十分な知識と技術を身につけていた。

 もっとも黄の迷宮は、セラが自ら望んで率先して踏破してきたわけではない。

 


「だから嫌だったのよ。黄の迷宮をあたしが先行して取るのは……覚える事たくさんだし、血なまぐさい解体なんかもあたしがやる羽目になるし……とっとと踏破して兄貴かヴィオンがやりなさいよ」



 ジャンケンで負けて先行して取る事になったとは言え、もうこれ以上のトラウマはたくさんだとセラが涙混じりのジト目を浮かべて二人を睨むが、疲れ切っているのかその目尻に力はない。



「しょうがねぇな。判った判った。次辺りからの攻略シフトを変更してやるよ。ヴィオン。悪いが次のお前のメイン攻略の時は黄で頼めるか? 俺の方はまだ1回しか黄の初級迷宮踏破してないから時間かかりそうなんだわ」



 疲れ切ったセラの姿にさすがにボイドも同情を覚えたのか、横で弱い発泡酒を煽っているヴィオンへと視線を送ると、ヴィオンは空になったグラスを軽く上げる。



「おうよ。お嬢のためだしょうがねぇ。次辺りで下級に上がりそうな緑にするつもりだったけど、黄の方も後二、三回、メインで攻略すればたぶん下級資格に入るだろから良いぜ」



「悪いな。街に戻ったら奢るから今日は此奴で我慢してくれ……ん? ほれもう誰か来たみたいだ。しゃきっとしろセラ。護衛がそんな醜態さらしてちゃ面目がたたねぇぞ」



 テーブルの上のボトルを手に取ったボイドは快諾を返したヴィオンのグラスへと新しい酒を注ぎながら礼を述べた時、その背後で食堂の扉が開く軋む音が響いた。

 兄の注意にのろのろと身を起こしたセラが入り口の方へ視線をやると、女性としては並外れた長身で燃えるように赤い髪が目立つ女性薬師、ルディアが丁度扉をくぐってきた所だった。












 自分が一番乗りかと思っていたルディアだったが、カウンター近く奥の席に陣取り背中を見せる男二人に気づく。

 背中から生える特徴的なコウモリのような翼でうち一人がヴィオンだと判る、となるともう一人はボイドだろう。

  


「おはようございます。お二人とも戻られたんですね。お疲れ様でした」



 ボイドとヴィオンの二人が昨夜は夜番で先行偵察に出ていると、昨夜の酒を飲み交わしながら他の護衛探索者達から聞いていたが、どうやら戻ってきたばかりのようで二人とも武器は持っていないが鎧姿のままだ。



「おはようさん」



「おう。ついさっきな。ルディアらは一陣だったな。どうだ空いているが相席。ケイスもすぐ来るんだろ? ここならすぐに代わり取りに行けるぜ」



 振りかえたヴィオンがグラスを上げて挨拶を返しボイドが手招きをする。

 ここ数日で船の乗員乗客が余すことなく知るほどにケイスの大食いは知れ渡っている。

 もっとも行動が突飛、異常、そして怪我人の癖に常にそこらをちょろちょろ動き回っているのでケイス自体が目立つといった方が正しいのかも知れないが。



「ありがとうございます。あの子はまだですけど。っとセラさんもお早うご……なんか窶れてません?」 

 


 軽く会釈をしてにこやかに挨拶をして彼等に近付いたルディアは、ボイドの影に隠れて見えていなかったセラの姿に気づき挨拶をしようとして、その疲れた顔を見て目を丸くする。



「おはよ~……大丈夫大丈夫。ここの所、サンドワームの解剖調査が忙しくてあんまり寝て無いだけだから」



 右手をひらひらと左右に振りながらセラが答えてみせるが、その身体は今にもぱたりと倒れそうにフラフラしており、どう見ても大丈夫そうには見えない。

 目の下の濃いクマや血色の悪い青白い顔が合わさってまるで病人のようだ。

 セラがここの所サンドワームの解剖調査とやらに掛かりきりと聞いてはいたが、ここまで憔悴しているとはルディアは思っていなかった。

 ぼろぼろなセラの姿にどうにも世話焼きなルディアの性分がざわめく。

 

 

「あんまりって……速効性の栄養剤かなんか作りましょうか? ちょっと味の保証が出来なくて刺激が強いですけど」



 味は二の次、三の次なのでしばらく口の中に苦みと辛みが残るが、効果”だけ”は抜群な栄養剤を進めてみるが、セラは意識が朦朧としていて考えが纏まらないのかしばらく虚空を見つめてから、力なく首を横に振る。 



「あ~……今日はいいや。あとちょっとで終わるからその後頂戴。強い薬って使うとあたし魔術の制御が甘くなるんだよね。協会に報告する資料だからミスできなくて。ともかくありがと。どこぞの兄と幼なじみより、やっぱり同性の年下女の子の方が優しいわ……街に戻ったらそっち方面で新パーティでも探すかな」



 ぼそっと愚痴と溜息をはき出したセラが生あくびをしながらボイド達を剣呑な目で睨んでいる。

 確かにセラよりルディアのほうが二つほど年下だが、今更女の子って年でもないし、この背の高さでは柄でもないと自覚するルディアはどうにも返答に困り愛想笑いを浮かべるしかない。 

 


「黄の迷宮優先するって言っただろ。お嬢のためお嬢のため」



「わーったわーった。ったくしょうがねぇな。ちゃんと完成してから言うつもりだったんだけどな。ルディア例のアレあとどのくらい掛かる?」



 そして睨まれている二人といえば、別段慌てるでもなくヴィオンは肩を竦め、ボイドは手の中で弄んでいた豆を一粒ひょいと投げて口の中に放り込んでからルディアへと目くばせする。

 ルディアはすぐに何の事か判ったのだが、まったくの初耳だったのかセラが不審げな顔を浮かべる。



「なによ兄貴あれって?」 



「まぁアレだ。愚かながら可愛い妹への兄なりの気遣いってやつだ」



「だれが愚かよこの脳筋! って……ぁぅ……フラフラする」



 妹をからかうのを楽しんでいるのかまともに答える気のないボイドの態度に、セラが一瞬激昂して立ち上がったが、体力がない所で大声を上げたのが堪え貧血でも起こしたのか、そのままドスッと椅子に逆戻りした。

 テーブルにべったと力なくもたれ掛かるセラだが悔しそうにボイドを睨みつけ、体力さえあれば絶対ただじゃ置かないと呪詛の言葉を漏らしている。



「ボイドさんからセラさん用に魔術触媒液を依頼されてます。依頼と言ってもじつはこちら試作品みたいな物で、無料で」



「タダ!?」



 このまま兄妹喧嘩でもされたらかなわないとルディアは事情説明を始めたのだが、無料と聞いた瞬間、どこに力が残っていたのかセラが椅子から跳びはねルディアの手を強く掴んだ。

 セラは魔術師だがそれでも探索者。

 同年代の一般人女性よりも遙かに強い力がありルディアの手がミシミシと嫌な音を立てて、あまりの痛みに思わず上がりそうになる悲鳴を堪える羽目になった。



「まぁタダつっても実費の原料とルディアに払う手間賃は掛かるんだが、俺とボイドで折半してるんで、お嬢の負担は無しって事だ」



「感謝しろよ守銭奴妹。しかも二十八種分の触媒と同効果だと。これでこの間の戦闘で使った分の補填になるだろ」



 握りつぶされるかと思うほどの力で手を握られ説明の途中で止まってしまったルディアに代わりヴィオンが続きを伝え、ボイドが現金な妹を見て呆れ顔を浮かべている。



「ほんと兄貴とヴィオン感謝! これで解剖調査のやる気がわいてきたぁ! ルディアもありがとう! 杖とかと違って触媒液って高いのに消耗品だからかうの躊躇してたから嬉しい!」



 一気にテンションが跳ね上がったセラが喜びの声をあげながらボイド達に礼を述べつつさらに力を強めルディアの手を握ったまま上下に振る。

 ひょっとしたら本人的にはお礼の意味を込めた握手のつもりかも知れないが、ただでさえ痛いルディアにはたまったものではない。



「あ、あのセラさん……手……手が痛いんで離してもらえると嬉しいんですけど」



 冷や汗を浮かべ僅かに苦悶の表情を浮かべ痛みを堪えて震える声をあげるルディアの様子にようやく気づいたセラが慌てて力を緩める。



「わぁっ! ごめん! ちょっと興奮しすぎた…………って……あぅ……駄目だ気力戻ったけど……やっぱ力入らない」



 しかし我に返った事で肉体疲労も限界に近かった事を再自覚したのか、ルディアの腕を掴んだままルディアの方へと倒れ込んできた。

 ルディアは何とかセラを支えようとしたが、いくら男と比べて軽いと言っても大人の女性一人分はそれなりの重さがある。

 しかも今はセラは目を回したうえに身体に力がほとんど入っていない状態。

 一抱えもある石が腕の中に出現したのとそうは変わらない。

 倒れかかってきたセラの勢いを受け止めきれずに、ルディアもバランスを崩すことになる。



「だぁあっ! この愚妹はなにやってんだ?!」



 もつれて倒れそうになる二人を見てボイドが慌てて手を伸ばしてセラのローブの端を掴もうとしたが一瞬遅く、その手は空を切る。



「ち、ちょっと!? 無理ですって!?」



 ルディアはなんとか立て直そうとするが堪えきれずセラ諸共後ろへと倒れそうになった。

 しかしバランスを崩したルディアの背に何かが触れたかと思うと、ルディアとセラの二人分の重さをがっしりと受け止め、それどころかそのまま押し戻してしまった。

 態勢を整えたルディアが、目を回しているセラの身体を倒れないように腕を差し入れて支え直していると、



「ふぅ? ふぁいりょうぶかふでぃ?」



 押し戻した人物の声が背後から響いてくる。

 まだ幼さを残す声の感じからケイスと見て間違いないだろうが、なぜかその声はくぐもって聞こえてきた。

 そのケイスの姿が見えるはずのボイドとヴィオンは、なぜかあっけにとられた顔を浮かべて呆然と固まっている。

 その表情を一言で言い表すなら『理解不能なモノ』を見た時に浮かべる顔だろうか。

 非常に嫌な予感を覚えつつも、またもケイスに助けて貰った礼を言うべきだろうとルディアは振り返り、ケイスの姿を見て…………もっと正確に言えば、ケイスが口にくわえるモノを見てしばし言葉を無くす。

 ケイスが口にくわえるモノ。

 それはどう見ても、武器商人マークスの息子であるラクトだった。

 ラクトは意識を失っているのか四肢がだらんと垂れており、ケイスはそのラクトが腰にまく皮ベルトの背中側の方をガッチリと口にくわえてぶら下げていた。

 少年一人分を口にくわえても微動だにしないケイスのその姿は、狩りから帰ってきた肉食獣のようにも見えた。

 


「…………あんた一体何があったの?」 



 礼を言うべきかという先ほどまでの思いは頭の中からすっかりと消え去ったルディアは頭痛を覚えながらもケイスに問いかける。

 ケイスは左手でラクトのベルトを掴みなおして口を開いてベルトから歯を外し、



「ん。ちゃんと説明すると長いから端的に言うと、決闘を仕掛けられたのだが遊びなので拒否した。だがそれでも突っかかってきて、私の行く手を塞ぎ鍛錬の邪魔をしてきた」



「決闘ってそんな時代錯誤な状況にどうやったらなるのよ。それでやっちゃったの?」



「子グマ程度相手に決闘なぞしていないぞ。口論する時間も惜しいので仕方なく予定を変更して子グマを障害だと見立てて回避練習をしていたのだが、回避する私に業を煮やしたのか闘気を使い出した。ただ使い方が拙く危なかったので、此奴の心臓を一時的に止めて運んできた所だ。ルディすまないが見てやってくれ」



「……心臓を止めたってあんた……殺したって事?」



 聞くのが恐ろしいと思いつつルディアが確認するとケイスは心外と言わんばかりに眉を顰め不機嫌を露わにする。

 

 

「むぅ。失礼な事を言うな。一時的だと言っただろ。子グマの闘気の使い方が拙く暴走気味で基礎生命力すらも削りだしていたので、一度解除するために心打ちで一時的に仮死状態に持っていっただけだ。ただ生命力が落ちているから速効性のある回復薬を投与してやってくれ」 



 事情はなんとなく分かったが、そこでなぜ心臓を止めるという選択肢にいたり、実際に実行可能なのかがよくわからない。

 ケイスの説明を僅かに吟味してからルディアはすぐに一つの結論へと辿り着く。

 ケイスが何を思ってこうなったのかとか、何でできるのかはもう理解しようとするのは止めよう。とりあえず判る事からやっていこう。



「あぁ。うん…………とりあえずそこの椅子座らせてあげて。ボイドさん。すみませんけど厨房から飲み水を貰ってきてください。ヴィオンさんはセラさんの方をお願いします」



 人間理解の範疇を超えた事態に遭遇するとパニックになるものだが、ある程度慣れてくると逆に冷静になるものなんだと思いつつ、ルディアは溜息混じりに指示を出していた。 

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