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僕らの墓標に咲く花  作者: 疑堂
第二話
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愛憎の歪んだ世界②

 けたたましい警報を鳴り響かせて、消防車が後方に走り去っていった。少し遅れて姿を現した救急車が、交差点に進入してきた自転車を跳ね飛ばして走り去る。

 後方では貴金属店が爆発炎上し、黒煙を噴き上げていた。

「つまりだ。平日の真っ昼間、それも定食屋が荒稼ぎする昼飯時にオッサン二人で徘徊してるのは、パキフィリアへの贈り物を見繕うのにつき合わされているからだ、と」

 防水長靴に前掛けをした定食屋丸出しの格好で、マリオは呆れ気味に呟いた。

「誰に説明してんだ?」

 対するザヘルは全身を煤けさせていた。まるで爆発炎上する貴金属店から逃げ出してきた直後みたいに。

「自分の正気に。あと客観性」

「爆発物を常備している奴に、んなもんねえよ」

 マリオがザヘルの財布にされるのを断固拒否したため、貴金属店が爆発炎上したのだ。

「習慣は恐ろしい。こんな危険物を持ち出すつもりは、これっぽっちもなかったのに」

 マリオは限界まで空に伸ばした掌を、地面と水平に寝かせた。

 軽口を応酬させながら、カルギアの中央商店街を闊歩するオッサン二人。

 右を見る。宿主の運命を悲観した若者が、高層ビルの屋上から集団投身していた。

 左を見る。市内第三位の高さを誇る鐘楼が倒壊し、多数の死傷者が出ていた。

 今日もカルギアは、のぼせるくらいに平和だった。

「見世物じゃねぇんだ! このガキぶっ殺しちまうぞ!」

 通りの反対側で銀行立て籠もり事件が発生していても、足を止める者すらいない。

 日常的過ぎる退屈な事件は、警察ですら緩慢に包囲網を形成する職務怠慢っぷり。

 発砲音。ザヘルが背後に首を回すと、立て篭もり犯が射殺されて血溜まりに倒れていた。浮かべているのは恐怖と絶望ではなく、安堵と幸福の笑みだ。

 死の運命に直面した宿主が、自暴自棄になって犯罪を起こす事例は少なくない。むしろ世界のどこでも見られる、呼吸をするのと等しい頻度で起きているのが現実だ。

 自殺も犯罪も、止める者は誰もいない。ザヘルも、マリオも、アブルも。

 寄棲獣による自殺と犯罪が溢れる世界では、精神の均衡を保つため、死に対して鈍感にならざるをえない。例え寄棲獣の存在がなくても、戦争や疫病や犯罪が横行する世界では、同じ現象が起こるだろう。

 特別親しい者でもない限り、死を悼む感情は湧かない。

 それは立て籠もり犯の足元に倒れる少年も例外ではなかった。対宿主用の徹甲弾が人質の少年をも貫通して、立て籠もり犯を狙撃していたのだ。

 立て篭もり犯の死体は警察がゴミ袋に突っ込んで回収しているというに、少年の死体は誰も見向きもしない。

 少年は人間ではない、ドワーフだった。化け物呼ばわりされる人種にも人権があるのに、エルフやドワーフ、ホビッツなどの亜人種は人間扱いされず、むしろ区分としては害獣や食肉扱いである。

 一説によると、〝人間〟と〝人間の形をした生物〟との境界は、寄棲獣に寄生されるか否かであるらしい。人間と寄棲獣の奇妙な共生関係は、紀元以前から記述が残されており、人間社会が寄棲獣と密接に関わって成り立っているのが窺える。

 人間にとって寄棲獣は受け入れがたい死の運命であり、寄棲獣にとって人間は食糧であり揺り籠であり、両者は複雑な因果に縛られた親友であった。

『本当なら容認すべきではないのだろう。しかし目を逸らさなければ人間の精神は、社会は、命の軽さに耐え切れず壊れてしまう。

 生まれた瞬間に寿命を恐れる赤子がいないように、寄棲獣の成体化を恐れる宿主がいては人間としての生き方は成り立たない。

 だからこそ人間は、自分たちと寄棲獣以外の生物を下位の存在と定義することで、精神の均衡を保っている。もしも人間と寄棲獣以外の生物が同列として扱われてしまえば、

『どうして人間の命を奪う寄棲獣が対等なのか?』という疑問が生じてしまうからだ』

「殺される代わりに、同程度の殺せる権利を持たせる。他の生物には人間と寄棲獣を殺せる権利を持たせない。そうでもしなければ、俺たちは親友でいられない」

「言うなれば僕らの関係は、親友同士で護身用の拳銃を向け合っている間柄なんだろう。

 けどそれは、本当の意味での共存が存在しない寒々しい世界だよ」

『私たちには、永劫に理解できない呪縛だ』

 アブルの言葉は自嘲気味で、悲しげであった。ザヘルも声のない笑みを零す。

 人間と寄棲獣、両者のどちらでもありどちらでもない二人に、悩みの共有はできない。それが世界からの疎外感となって二人の心を突き刺していた。

 もちろん寄棲獣を憎む激烈な武闘集団もいれば、逆に寄棲獣が人間を食料として管理する地域も存在するなど、両者の関係は多様である。

 ルートヴェヘナなど一部の閉鎖的な田舎国は、世界各地での人間と寄棲獣の関係すら知らないほどに。

「安心しろ。僕も宿主の心境は分からない」

 マリオの言葉には何の効力もない。宿主でもなければ寄棲獣でもなく、只の人間にすぎないマリオには、やはりザヘルの孤独と恐怖は真に理解できない。

 それでもザヘルは、気遣ってくれた親友にぎこちない笑みで謝意を表す。強がりを宿していた瞳が急速に成分変化、視線が猛禽となって商店の陳列棚を射抜いていた。

「親友との語らいよりも、女のご機嫌取りが大事か。そこまで必死なら女友達を頼れよ。僕にパキフィリアの趣味が分かるか」

「それ無理。俺、女の知り合いは少ないから」

『お前は異様に顔が広いくせに、女性の人脈だけはないな。少しは私を見習え』

「人間の女と寄棲獣のお嬢さんがたを一緒にするなよ」

 人間の男と交配できる性質上、寄棲獣の雌雄比はほぼ全数が雌になっている。つまりザヘルの知っている宿主の全員が、雌の寄棲獣を内包しているという意味だ。

「女友達もいないことはないんだが、数少ない一人はアレだし……」

「ああ、アレか……」

 ザヘルの遠い述懐に、マリオも死んだ目をする。二人の記憶は高等学科時代、〝呪い人形〟と仇名された女子生徒に向けられていた。

「話してみると、結構いい奴なんだけどなぁ……」

「極度の引っ込み思案なだけなんだけどねぇ……」

『あの不気味な目付きと、今にも髪が伸びそうな気味の悪い風貌がなければな……』

 三者三様の陰った溜め息が吐き出された。思い出して、ザヘルはもう一つ溜め息。

「それに別の女と話してると、パッキィが癇癪起こすんだよ。前なんか、道を訊いてきただけの女を埋めたんだぞ」

「それはそれは、埋葬の手間が減ってよかったじゃないか」

 軽口を叩くマリオ。しかし横目にしたザヘルの横顔は、これ以上なく真剣で、

「……さすがに冗談だろ?」

「オーザン公園に桜の大木があるだろ?」

 唐突なザヘルの言葉。それだけで、マリオは親友の言わんとしているところを察した。

「数年前から妙に赤い花が咲くと思ったら、それでか……」

「焼き餅焼いてむくれてるパッキィは、可愛いんだけどな」

「…………それもう末期だよ」

 親友の末路を陰鬱に哀れむマリオ。何かを見つけ、視線を水平移動させる。

「噂をすれば、だ」

 マリオの指先には、二人のよく知る後姿があった。パッキィはザヘルとマリオに気付いて、犬が勢い余って尻尾を千切らせるように手を振って挨拶。挙動不審な動作で周囲を警戒しつつ、私立レイディオス小学校と書かれた校門に入っていく。地味な服を好み、顔の傷を隠すために帽子を目深にかぶっているので、超絶に怪しかった。

 不意に、しかし確信して、ザヘルはマリオを横目にした。案の定、マリオが浮かべていたのは懐かしそうな、虚しそうな、寂寥の表情。

「そういや、お前の恋人は小学校教師だったっけ?」

「ああ。ヤンチャ盛りの子供の相手をしていると、筋肉が増えるって嘆いていたよ」

 ザヘルがもう一度横目にすると、顔を俯けたマリオが「リコリアぁ……」と濡れた声を漏らしていた。

「オッサンオッサン、邪魔」

 こんな調子だから、交通の邪魔になる。

「お兄さんだよ! そして二回言うな」

 マリオの振り抜いた裏拳が、寸分違わずザヘルの頬を打ち抜いた。

 二人の背後に立つのは少女、見た目は十代の半ばといったところか。服装は往来を歩くには異色極まる、フリル豊かな黒のゴシックドレス。長い金髪に乗ったヘッドドレスと、手にした日傘もお揃いで。

「二人だからトシ足してオッサン。それに二人分で二回」

「それって、都合四倍じゃないかな?」

 首を傾げたマリオ。その全身を悪寒が走り抜けた。

 マリオが振り向いた先に、怨念が人の形となって立っていた。まるで生まれたての仔山羊よろしく小刻みにプルプル震え、鼻血をダバダバと垂れ流すザヘルの姿。視線は人を射殺(いころ)せんばかりに澱んでいた。

「どうして頬を殴ったのに鼻血を出しているんだい?」

「悲壮感を出すために自分で折った」

「……僕は早くも会話が成立しなさそうな雰囲気を感じている」

 呆れ果てたマリオは、少女に視線を戻す。

 マリオの視線が、少女の全身を舐め回していた。嫌悪と危機感で少女が身を竦める。

「そういえばリコリアは、子供にこんな格好をさせたいと常々言っていたなぁ。ぅあーん、リコリアーーーーっ!」

 いい年したオッサンが、突如として鼻水垂らして号泣する。親友だけど、ザヘルは正直(面倒くせぇ奴)と思い始めていた。

『ほらほら硫輝(ルキ)、オジサマ方へのご挨拶が終わってないわ』

 オッサン二人の寸劇を見かねてか、少女の寄棲獣が口を出す。

 様々な民族が混然一体としたカルギアは、人名にすら統一性がなかった。

「どうしてボクから先に挨拶しなきゃいけないんだよ?」

『それが目上の人に対する礼儀だからよ』

 姉のように、母のように、教師のように、ルキの寄棲獣が窘める。正論にも拘らず、ルキは拗ねたように唇を尖らせる。

「だったらラヴリルが先にやればいいじゃん」

『仕方ないわねぇ。わたくしはラヴリル。今後ともよしなにお願い致しますわ」

 人間の姿をしていたならスカートの端を摘んで持ち上げ、深々と会釈していたであろう上品さが窺われた。

『それはそうと硫輝、お仕事に遅れるのではなくて?』

 ラヴリルに注意されて、腕時計に視線を落とすルキ。その表情が瞬時に蒼白となる。

「畜生、覚えてろよオッサンども!」

 スカートを翻して走り去るルキの後ろ姿を、眺めるだけのザヘルとマリオ。やがてどちらからともなく視線を交わし、一時の嵐の通過に肩を竦め、苦笑する。

 そこでザヘルは思い出したように、

「で、何で俺を殴った?」

「お嬢さんを殴るのは紳士らしくないだろ?」

 平然と言い放つマリオに、ザヘルは思わず絶句。顔面も青くなっていた。

「親友を殴るのは、紳士なのか?」

 疑問を浮かべたザヘルの顔が、頭が、体が傾斜し、ついに出血と呼吸困難による酸欠で卒倒。冷たい舗装煉瓦に倒れ伏し、血溜まりを広げる。

「僕は運ぶの嫌だから、自力でなんとかしろよ」

 マリオは無慈悲に宣告し、行動不能の親友をほったらかしにして帰途に着いた。

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