大団円
抜けるように青い空は、手を伸ばせば届いてしまいそうだった。
〈アグレイの指先計画〉から二ヶ月が経過していた。一つの都市を混沌に陥れ、世界を破滅させんとした陰謀の余韻はまだ消えていない。今もここカルギアで、そして世界各地で、大規模な二次被害が続いている。
それでも、今日は気持ちのいい朝だ。
単車に跨ったザヘルが、丘の上からカルギア市の全景を眺めていた。
カルギア市の大半の区画が、崩壊予備地域として立ち入り禁止になっている。撤去と復興が追いつかず街並みには瓦礫と廃墟が広がり、逆に瓦礫を撤去しただけの何もない空き地が所々に散在している。
だが、人々の表情は活気に満ちていた。
二ヶ月前に壊滅的な被害を受けたカルギアは、それでも着実に復興に向けて歩んでいた。建造物の骨組みがそこかしこに立ち並び、青空学校からは子供たちの快活な声がここまで聞こえてくるようだ。
『ヒトは逞しいな』
「ああ。ヒトが生きようと思えば、どんな環境でも生きていける。誰かの受け売りだが、ヒトは生きようとする意志、それ自体で生きていけるのかもな」
かつての〈アグレイの腕の日〉と比べれば若干であるが、カルギアの人口も大幅に減少した。過去と現在、二回の災害に見舞われた者には消えぬ傷跡を刻んでいるだろう。
それだけではない。やはり前回と同じく国内の経済は混乱し、大陸中に広がっていた。各地で新たな暴動と惨劇が生まれ、大陸全体での死者はカルギアのそれを軽く上回る。
こんな先行き不安な時期だから、現実逃避できる白い粉が飛ぶように売れていた。
ザヘルは一連の記憶を体に刻みつけるように、左胸に手を当てる。
ザハとの最終決戦のあと、諸々の負傷は食っちゃ寝してたら治った。さすがに残りHPが2しかないくらいの瀕死だったので、単車の生命維持装置を全開で起動させて医者に転がり込んだが。
死にかけた自分が生き続けるように、止まった自分が再び歩き出すように、カルギアと世界も、ヒトの歴史も廻っていく。
「さらば親愛なるカルギアよ、ってとこか」
感慨深く、ザヘルは呟いた。
立ち直った人間が無職はどうかと、この二ヶ月ほど駆けずり回って、ようやく就職に漕ぎつけた。幸いと言っていいのか、現在のカルギアには施工関係の仕事が溢れている。ザヘルを雇った先もそんな建設会社だった。
そして勤務初日、パッキィが口にした言葉は「急に転勤が決まったから一緒にきて」だった。
即答する自分も自分だと、ザヘルは思う。しかしザヘルと仕事の板挟みになれば、パッキィの心は壊れてしまう。だからザヘルが折れるしかない。
それでも溜め息を吐く権利くらいはあるだろう。
『どこかの誰かが言っていたが、人間は真摯に生きるだけで豊かなのだろう。真摯に生きることすらままならぬのが人の世だが』
「まったくだ……」
ザヘルはがっくりと肩を落とす。母親を同行させるための説得や、二日目に辞職を申し出る方が、就職活動より疲労した気がする。
ザヘルはあの災害を生き残った何人かの今後について考える。
イェルは数日間を自宅で療養し、置手紙だけを残して忽然と消えてしまった。再びどことも知れぬ戦場へ旅立ったのだろう。滅多に自宅に帰ってこないのは、自分たちに危害が及ぶ可能性を考慮してのことなのだろう。父親には父親の複雑な事情があるのだと、今更ながらに思い知った。
レイダースに拘留されていたヴァネッサは数日前に脱走したらしい。彼女が犯罪に手を染めた動機は、寄棲獣の体で生きていくため。人間の体を取り戻した現状での再犯率は低いという鑑定結果だ。彼女の罪が帳消しになったわけではないが、彼女も新たな人生を歩み出したのだ。もう会うこともないだろう。
ヒガンバナ最後の幹部、赤毛の青年の行方は判明しない。市内に滞在した痕跡すらなく、実在する人物なのかも怪しい。それ以前に、自分たちの前に出てこられないのだと、ザヘルは薄々と気付いていた。死んだ弟が、〝彼女〟の前に姿を現してはいけない。
同じく、レックスとチンも姿を消していた。ケルベロスとの確執もあるので、今回の転勤は都合がいいと言えば都合がいい。
北上していたペンダラス槍碧騎士団は全滅。単カテゴリ特化の部隊編成のため、当分は槍碧騎士団が活動を再開する見通しは立たず、カルギアも安泰だろう。
ザヘルの頬に自嘲の笑み。〈アグレイの腕の日〉に立ち止まってしまった自分とは違い、彼らのなんと強いことか。
自嘲の笑みは、いつしか頼もしさの笑みに変わっていた。
パッキィとマリアを乗せた都市間装甲車は、数日前にカルギアを出発している。野暮用を残していたザヘル一人が、今日までカルギアに滞在していた。
「カルギアを出るんだってね」
気付けば近付いてくるルキに声をかけられていた。
あの事件から二ヶ月が経過したというのに、事後処理と感情の不安定さで顔色は悪く、疲労と憔悴の色が濃い。
ルキの後ろには見知らぬ女性が立っていた。噂では救助活動の際に知り合い、最近になって交際を始めたらしい。
宿主は、人間は何かしらの支えが、指標がなければ生きていけない。ルキにはそれが愛する女性なのだ。誰もルキを責められない。
ルキの服装は、普段と変わらぬゴスロリ仕様。
「つうか、いいかげんその格好は止めとけ」
「そうだね。来年辺りにはブラウスとタイトスカートにするよ」
そういうことを言っているのではないが。ザヘルは曖昧に苦笑いして場を濁す。
「沢山の人間が死んだね。アリエッサも、母さんと姉さんも、ハダンもコーツもヤーリャルも。他にも沢山」
呟くルキは悲観に暮れているというより、過去の残滓に浸っているよう。少年にとって頼れる年上の人間は、ほとんどが死ぬか去ってしまった。これからは一人の力で、大切なモノを守っていかねばならないのだ。
「だが、彼らは何かを成そうとし、何かを残した。少なくとも俺やお前は生き残った。
彼らは俺やお前に何かを託したはずだ。その託された何かを、今度はお前が別の誰かに託す番だ」
「それが宿主の生き方なの?」
「いや、俺の人生論だよ」
ザヘルは微笑する。ルキもぎこちなく笑っていた。
『では、そろそろ追うとするか』
「おう」
簡潔に応えたザヘルの見つめる先で、建設現場から罵声と怒号が上がった。イザコザがあったらしく、ビルが傾斜して市民を下敷きに倒壊していく。
今日も平和だ。




