災厄の日⑥
一方。時間は戻ってレックス逃走直後。
イェルはもう一度、少しだけ考え、
「二号だよな?」
「だぇれが技の二号じゃい」
息子の区別に自信がなくて、ちょっとだけ不安顔で聞いてみた。ザヘルの眼光が険しくなり、息子に拒絶された気がして、イェルはちょっぴりへこんだ。
父親がハヤト総帥だったザヘル・アブルよりも、息子と思わぬ再会を果たしたイェルよりも、話についていけないレイダースよりも、
一番取り乱したのは、ディオであった。
「え、えええぇぇぇうえええっ? お、おとと、お父さんなの?」
ディオはザヘルの首をガックンガックン揺さ振った。視界が攪拌されるに従って頭に上っていた血も下がり、ザヘルにいくらか冷静さが戻ってくる。
「ど、どどどど、どうしようどうしよう。そうだ! まずは挨拶しなくちゃ!」
混乱の極みに達するディオ。イェルに向き直り、背を正し、深々と頭を下げる。
「ひゃ、初めますてぇっ!」
緊張と動揺で、思いっきり声が上擦っていた。
金属音。ザヘルに仮面を叩かれて初めて、顔を隠している事実を思い出した。湯気が出そうな勢いで顔を真っ赤にして、慌てて仮面を剥ぎ取る。
赤毛が零れる。現れた顔は妙齢の美青年、というより美女。右の額から左の頬にかけて醜い傷跡が走っている。
「私はザヘルとお付き合いさせて貰っている、パキフィリア・アルディオンです」
「ああ、あんたさんがパッキィさんか。お噂は妻よりかねがね」
イェルは地面に正座し、深々と頭を下げた。「まぁ、菓子でもどうだね?」と、懐から餡子饅頭を取り出す仕草は老人そのものである。
ザヘルが見回すと、隊長の正体に絶句するレイダースの面々が視界に入る。
単に戦闘集団の隊長を女が務める事実と、傷が恥ずかしくて顔を隠していただけだが。姓を名乗っていたのも前者の理由で。
ザヘルは反応が面白いので、しばらく説明しないでおこうと思った。
「わあ! これ美味しい!」
「そうだろそうだろ。いや、各地の美味い物を持ち帰って、妻の反応を見るのが、これがまた楽しいんだ」
父親と恋人は完全に打ち解けていた。むしろザヘルに羞恥心が湧き上がる。
ザヘルは背後からパッキィを抱き上げて脇に退け、改めて父親の真正面に立つ。
「どうしてオヤジが、ハヤトの総帥なんかやってるんだよ」
「どうしてって、出世したからに決まっているだろう」
「…………いや、そういう意味じゃなくて……」
「母さんがお前らを身篭ったから、中等学科を中退して就職したのだが?」
イェルは平然と言い放った。最初から特に秘密にしていないという態度だ。
「いいのか? 大陸でも有数の秘密結社が、そんな軽いノリでいいのか?」
不謹慎にも笑いを堪えるルキを、パッキィが視線で射抜いた。「私の恋人とお義父さんを笑ってんじゃねぇよションベンガキ」と言外に黙らせる。無表情な鉄仮面で感情が軟化されていたと悟らせる凶悪さだった。
「単刀直入にお聞きします。ハヤトの目的は何なのですか? 世界各地で破壊活動を行って、何がしたいのです?
ハヤトは私たちの敵ですか? それとも味方?」
「知っての通り、ハヤトは正義の味方であり悪の秘密結社だ。
要は解釈によってどちらにも成り得るのだよ。危険人物を誅殺する正義の味方、あるいは殺戮を行なう悪の秘密結社とね」
「では、ハヤトの活動はあくまで危険人物と組織の排除と考えてよろしいのですね?」
パッキィの確認に頷くイェル。しかしパッキィは納得しかねる表情。
「でも、だからといって無関係の人々まで巻き込んで被害を広げ、無差別に破壊を振り撒くのを許されたわけではありません」
「私たちが対象とするのは、千人二千人の犠牲が出るのを確定事項とした、あるいは既に出している連中だけだ。それを百人の犠牲で済ませられるのなら安いと思わないか?
私たちは百を救うためなら、九九の犠牲を厭わない」
「正義の味方なら……」
「犠牲を出すな、とは言うなよ。お前さんらレイダースも、市民のためと寄棲獣を狩り、宿主を裁いている。正義の名の下に犠牲を出している」
イェルが投げたのは拒絶の言葉。完結した理論に口を挟む余地はない。
「でも、だったら……」
パッキィの視線がアレクに泳ぐ。イェルはレックスよりも、アレクを選んでいた。
「親しき者には百以上の価値がある。違うか?」
イェルが語ったのは、世界の基準に則った全くの正論だ。
そしてイェルの正論は、全てを救おうと願うパッキィの理念に反していた。
そこでパッキィは再び違和感を覚えた。それも先ほどよりも強烈に。
「では、ハヤトも今回の陰謀を止めるために動いているのですか?」
「その通りだ。だが、我々もどこの誰が首謀者で、どの規模の勢力が動いているのかまでは把握していない。恐ろしく狡猾で、変質的に用心深い人物のようだ。
別件で追っていたレックスまでもが協力していたとは、完全に予想外だった」
パッキィの違和感は決定的なものとなっていた。
「ヒガンバナも違う。ハヤトも違う。そしてケルベロス旅団も違う。どこの組織も、陰謀を企てている側じゃない」
現在のカルギアには、あまりに多くの組織が流入しすぎていた。パッキィを始めレイダースは、その中のどれかが隠蔽のために多数の組織を集めたと思い込んでいた。
「つまり、私たちにも存在を知られていない、四番目の勢力が存在するんだわ!」
「隠蔽でないとしたら、そいつらは何のために多数の組織を集めた? 〈アグレイの腕の日〉を再現する方法と、最終的な目的はなんだ?」
神妙に考え込むパッキィ。表層に出てきたアブルが言葉を続ける。
隙を見せ続けるイェルにハダンが攻撃態勢を取るが、パッキィの眼光に射竦められる。仮面は眼光の緩衝機能も有していたようで、装着時よりも数段凶暴な眼光だった。
「いや、待てよ…………百を救うための九九の犠牲……」
アブルの意識が父親の言葉に傾けられる。そうだ、確かに近頃の事件は、被害者の数に比べて死傷者が少ない。少なすぎる。
つまり生死の境に立たされた宿主が斜跳効果を引き起こし、生還しているからだ。生死に関わる事件事故が頻発していれば必然の事態であり、それだけアグレイの腕も今回の陰謀も、歴史に名を残す一大事なのだと伝えてくる。
「実は最初から気になってたんだけど……」
それまで空気だったルキが不意に口を開いた。全員の視線が集中し、思わずたじろぐ。
「〈アグレイの腕の日〉の〝アグレイ〟って、何のこと?」
「下らない都市伝説ですよ。実在しない名称、想像上の存在の名前です」
ルキの疑問をハダンが切って捨てる。
「閉鎖された都市、斜跳効果、多数の組織、そしてアグレイ…………何も浮かばんな」
アブルは首を振って降参の意を示す。だが、あと一つ。あと一つの要素があれば、陰謀の全体像が見えてくる。そんな確信があった。
しかし全ては手遅れだ。
その瞬間、カルギア全域を破壊の嵐が駆け抜けた。
そこは冥府の底のような、一切の光射さない暗闇であった。便所の個室よりも少しだけ余裕がある程度の、小部屋と表現するのもおこがましい直方体。
直方体の内部では、青年が玉座に腰を下ろしていた。何をするでもなく、頬杖をつき、脚を組み、赤い瞳で前方を見つめている。
轟音が連続した。耳を劈く音が四方八方彼方此方から響いてくる。空気の震えだけで地面までも揺れてしまいそうな迫力があった。
そして本当に地面が揺れ、直方体が激しく振動した。天井の隙間から屑が落ちる。
青年らがカルギア全域に仕掛けた爆発物が一斉に爆発し、建築物を粉砕し、街路を破砕し、樹木を焼き尽くし、人々を消し飛ばしているのだ。
『はははははっ、これは絶景だ! それでこそ協力した甲斐があったというもの!』
直方体の内部で喝采が弾け飛ぶ。カーダの狂喜した哄笑だった。
『そうかい? ぼくに言わせれば風情がないね』
対するのは、吐き捨てるようなレックスの冷笑。
『アタシは…………正直怖いね。
この見渡す限りの火の海がじゃない。それを笑って実行するアンタらがじゃない。この光景にちっとも衝撃を受けちゃいない、身も心も化け物のアタシ自身が怖い』
ヴァネッサが語ったのは悲嘆ではなく、決意。自らの選択で堕ち切った彼女に這い上がる赦しが与えられるはずはなく、更なる修羅道に身を貶めるしかないのだ。
三者の声は青年の胸元、肋骨の隙間に挿した携帯から聞こえていた。
「カーダ、高みの見物とはいいご身分だが、所定の配置には着いたのか?」
『これは手厳しい。けれどその心配は杞憂というものさ。私は学生気分ではない。
それはそうと、ヒガンバナ教主の相手は私にさせておくれよ。煮え湯を呑まされたままではご立腹だ』
「機会があったら、好きにするといい」
誰と誰が因縁を作ろうが、青年には関係なかった。青年らが引き起こした災厄は、個人の思惑など簡単に呑み込んでしまうほど巨大で陰惨なものなのだから。
「ヴァネッサは?」
『アタシも配置に問題はないさ。
けれど、拘束具がないと落ち着かないねぇ……ってアタシは痴女かっ! 知ってると思うけど、あの拘束具は肉体の巨大化を抑えてるんだからねっ』
ヴァネッサの狼狽に微笑し、一転、青年は硬質の声を放つ。
「レックスもご苦労。今回の計画には市政の内側からの操作が必要不可欠だった」
『それがぼくの役割だろ? 見返りにぼくは楽しい楽しい遊び場を用意して貰える』
「道路整備や老朽した施設の補修と銘打てば、大手を振って破壊工作を仕組んでいても誰からも怪しまれない。公共事業とは素晴らしい謳い文句だな」
一都市を丸ごと巻き込む惨事を進行させているにも拘らず、青年の表情には邪悪さの欠片もない。むしろ平凡すぎて、街のどこにでも溶け込んでしまいそうな容貌だ。
「斜跳効果は性格、人生観を一変させる、生命の危機にぶち当たった瞬間に発生する」
何千人何万人の悲鳴に怒号が、カルギア中から小部屋に届いていた。それすら連続する爆音に呑み込まれ、僅か数秒で断絶。命の死滅した沈黙が訪れる。
「私は〈寄贈者〉。アグレイに新たな器を献上し、新世界を寄贈する者」
青年は目を閉じる。耳を澄ませるように、意識の大海に沈んでいく。
沈黙を貫く声が聞こえてくるのを、眠りに就いて待つように。
「では、〈アグレイの指先計画〉の最終作戦を始めよう」




