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僕らの墓標に咲く花  作者: 疑堂
第五話
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災厄の日③

 薪の爆ぜる音が、闇黒の室内で跳ね返る。廃屋の最も奥まった部屋、しかも何枚もの厚いカーテンに遮られていては、日の光すらも届かない。

 携行品を用いれば、人間数人が潜伏するのに不自由はない。しかしアレクサンドルは、焚き火や野宿などの原始的な野営を好んでいた。

 焚き火から薬缶を取り、陶杯の珈琲粉に熱湯を注ぐ。湯気を上げる即席珈琲を口に近付け、そこで携帯が鳴った。アレクは珈琲を諦め、携帯を片手に持つ。

『さてここで問題、私は誰でしょう?』

「…………切ってもいいかい、マイハニー?」

『折角作戦の成功を祈願して私が激励してやろうというのに、ツンデレは面倒臭いな』

 通話先の相手は、まるでアレクが悪いかのような口調だ。

『まあそれはさておき、マルベリウスではご苦労だった。労ってやるぞ』

 ズッ。ズズズッ。

『マイダーリン? まさか私の話を無視して、珈琲を啜っているわけないよな?』

「被害妄想だよ、マイハニー(ズズズ……)」

 携帯の向こうで、家具を破壊する豪快な音が連続する。

 また自分が家具や調度品を修理するのだろうなと、アレクは溜め息を零す。趣味が大工作業で大抵の家具なら自作できるが、どうして修理まで引き受けにゃならんのか。

(最初から壊さなければいいのに)とは、怖くてとても言い出せない。

 誠実に対応しないと後で酷い目に遭わされると理解しつつ、抵抗する気がなくなっているあたり、交際の許しを拳で貰ってから一方、アレクは着実に調教されつつあった。

「それで、本題はやはり王都での一件か?」

 途端にアレクの口調が引き締まる。携帯の向こうからも同様の気配が送られてくる。

『事件が事件だけに、王都でも極秘に捜査が進められている。こちらの見解も、高位の宿主が組織的に動いているということで一致した。主力が駆けつけるには、もう少し時間がかかる。今は総帥とともに辛抱してくれ』

 改めてアレクは息を呑んだ。もしかしたらこのカルギアで起きている事件より何倍も邪悪で強大な陰謀が、王都で進行しているかもしれないのだ。

『知っての通り、私はお前の子を産めない』

 唐突にマイハニーが口火を切った。アレクも重々しく相槌を打つ。

 一人の宿主に複数の寄棲獣が共存することは有り得ない。

 寄棲獣は宿主という縄張りを保持するため、互いに攻撃しあうのだ。宿主の肉体と融合している寄棲獣が死ねば、必然的に宿主も死に至る。

 宿主の男性は性交によって、女性と胎児の両者に寄棲獣を感染させる可能性を有している。つまり宿主の男性が父親になることは不可能なのだ。

『私にはお前だけだ。だから、その、絶対に帰ってこい』

「……おう!」

『…………む? しばし待て』

 通話の向こう側で、マイハニーが誰かと話している気配。時折、相槌が聞こえてくる。

 熱。

 アレクが脊髄を貫く驚愕に視線を落とすと、太腿が濡れていた。そこで初めて、随分前から珈琲を零している自分に気付いた。

『標的の潜伏が特定できたぞ!』

 ハヤトが追っている標的は一人だけではない。マルベリウスの囚人、ヒガンバナ教主、カルギアで事件を企てている首謀者。それぞれが一騎当千の戦闘力を有し、一つの都市を壊滅させ得る脅威である。その全員が、示し合わせたようにカルギアに集結していた。

『お前が予想している誰でもない。最優先抹殺対象、イボルバーの脅威だ!』



「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!」

 苦痛の咆哮を迸らせて彼は飛び起きた。知能の感じられない獣の声だ。

 血走った眼球を左右に走らせ、公園の雑木林だと気付く。世界を血の色に塗り潰す逢う魔が刻は、幻想的で妖しい、相反する美しさに彩られていた。

 彼はここ最近、熟睡どころか仮眠すらしていなかった。極度の睡眠不足により、いつの間にか寝入ってしまったらしい。

 だから彼は飛び起きた。夢ですら、彼女らに会ってしまうのが怖かったから。

 もう一回でも彼女らに会ってしまえば、自分は決定的に壊れてしまう。自分が自分でなくなることに堪らない恐怖を覚え、眠るのを拒否し続けていた。

 極度の疲労と空腹と睡眠不足で、彼は生物としての限界にきていた。

『いい加減、病院に行こうよぅ』

「黙れ、誰が貴様に耳貸すか!」

 おぼつかない足取りで彼が歩き出す。生気の枯渇した死者の歩み、しかし双眸には想念が鬼火となって爛々と燃え上がっていた。蝋燭が燃え尽きる寸前の、断末魔の猛火だ。

 彼は考えていた。一人ぼっちになってから、ずっと考えてきた。彼らの置かれた世界と、生活する人々を見てきた。彼らの生き様を、死に様を見てきた。

 彼は考える。そろそろ、自分の命に答えを出すべきだと。



 市庁舎の市長室。西日が頭皮に反射して目が痛い。秘書は可能な限り目を細めた。

「ポルポン君、今日は記念すべき日だな」

「ええ、その通りです。今日の予定は……」

「もうすぐ、このカルギアを中心に世界が変わる。私が一つの時代を築くのだ!」

 ピルペリヴは秘書の話など聞いちゃいない。両手に美少女人形を握って狂喜乱舞する。

「プルトニン君、キミの協力がなければ私の悲願は達成されなかった。感謝するぞ」

 実際、ピルペリヴの前評判は最悪だった。それをこの秘書が有力候補を陥れ、消去法で残ったピルペリヴを市長に仕立て上げたのだ。

「そういえばキミの名前は何だったかな?」

 珍しいこともあるものだと、秘書の眼鏡がズリ落ちる。彼にとってピルペリヴは、自分が成り上がるための踏み台である。だが、あえて踏み台を急勾配にする必要もない。

「私の名前はピードルですよ。レックス・ピードルです」



 緋色に染まった世界。夕日の沈む山道を、瑠璃色仮面を乗せた単車が走っていた。

 瑠璃色仮面の横手を、カルギアの全景が流れていく。

 北方をガ山、南を国境、西をパルタミア山、東を二本の山脈に囲まれたカルギア。地形だけではなく、国境の対岸に位置する敵国、パルタミア山の寄棲獣と、心理的にも往来を敬遠させる要素が揃えられていた。

 加えて、現在は東門までもが改修工事で完全封鎖されている。外周を防壁に囲まれたカルギアに、外部への交通路は四つしかない。その三つまでが通行不可能となっていた。

 瑠璃色仮面が見ている中、カルギアの中心部で火の手が上がる。見慣れている光景とはいえ、最近のカルギアは異常なまでに事件続きだ。入念に計画された陰謀が、人知れず密やかに実行されている。それだけで〈アグレイの腕の日〉の再来を確信させる。

 危機感が瑠璃色仮面の思考を塗り潰した。

 瑠璃色仮面を背後から追走する気配、四つの足音。

 瑠璃色仮面に並んだのは、馬ほどの体格を持つ超大型犬。右の首からは蒸気の息、左の首からは霜の息、中央の首からは毒の息。胴体から生えた頭部の両眼窩、鼻先から三つの首を伸ばした、四つ顔の巨大な猛犬であった。

 サタンケルベロス。地獄の門番の異名を持つケルベロスの突然変異種で、大陸南部の奈落門なる大亀裂に生息する種である。カルギア付近に自生しているはずがない。

 さらに地獄犬の背には人間が跨っていた。墓石に酷似した装束の奇妙な人物だ。人物から死の体臭が漂ってくる。

 地獄犬が跳躍し、瑠璃色仮面の単車に体当たり。重心を崩して暴れる単車を、道路を蹴って押さえつける瑠璃色仮面。敵意の眼光で墓装束を睨む。

 瑠璃色仮面と墓装束の中間で視線が激突し、闘争の火蓋を切る。

 地獄犬の胸郭が隆起し、三つの喉が膨れ、三つの頭が順繰りに後ろを向き、口腔から火炎と冷気と毒霧を放射! 瑠璃色仮面が単車を操作し、道路を破砕する火球を避け、凍結した路面を跳び越え、視界を奪う毒霧を突き抜ける。

 地獄犬が真横に跳躍。鉄柵を跳び越え、空中に身を躍らせる。崖下の杉の木、その頂点に地獄犬が立っていた。墓装束が手招きし、地獄犬が再跳躍。カルギアへと疾走する。

「着いて来い、か。左手袋も用意せぬとは決闘の作法を知らぬ輩だ。いや罠か?」

 瑠璃色仮面は見す見す墓装束を逃がすつもりはない。眼下一面に広がる針葉樹の槍の穂先へと、単車を跳躍させる。

「私に喧嘩を売ったこと、七代先まで後悔させてやるわ!」



 そして太陽が山の稜線に沈み、光が支配していた時間は終わる。

 終わりの夜が始まった。

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