災厄の日②
椅子に座り、机に乗せた肘で頬杖をつき、ザヘルは映像番組を一巡させる。
レイダースに解放されたはいいものの、レイダースは対ヒガンバナ専用部隊ではない。進展があるまでザヘルの協力は必要ないそうだ。ということで自宅待機。
(というか、俺はいつからレイダースの協力者になった?)
ディオの思惑は明白だ。親友を餌にして、ザヘルを立ち直らせる魂胆なのだろう。
ザヘルは有難く思う反面、やはり大半以上を迷惑と感じていた。
受像機に緊急報道が飛び込んできた。地下鉄車両が正面衝突を起こしたらしい。通常では起こりえない事件であるからこそ、マリオの言葉が裏付けられていた。
「ザヘルは何も思うところがないのかや?」
「さぁて、どうだろな?」
ザヘルはマリアの疑問を適当にはぐらかした。反して心の奥には疑問が渦巻いている。
ザヘルの客観的な部分が自分の内心を解剖する。焦れている、のではない。ザヘルは自分を、他人が何人死のうと動じない人間だと認識している。何も感じるはずがない。
ザヘルは自分の本心を唐突に理解した。
(ああ、そうか。興味がないんだ)
無関心だった。そして無関心な自分が恐ろしかった。
その先を追及してはならない。その先を意識してしまえば、自分は決定的に後戻りできなくなってしまう。
ザヘルは逃げ場を探すように、クッキーに手を伸ばす。いつまでも変わらぬ母の味を咀嚼して、嚥下する。喉の奥で有難味を感じる。
一方のマリアは暇を持て余していた。天井を仰ぎながら首を揺さぶり、両脚は交互に振り子運動をさせてザヘルの脛を蹴る。
「ザヘル、暇なのじゃぁ。裸踊りでわたくしを楽しませておくれ」
「病み上がりの癖に何つう暴挙を。どこに息子の全裸を所望する母親がいる?」
「ここ」
即答したマリア。ザヘルは義憤に駆られるまま、マリアの顔面を足裏で押さえつける。
「なあお袋、少しは母親としての自覚を……うひょっ?」
「レロレロレロレロレロ…………」
「ぅひぃっ! そ、それダメだから! やめ、やめてくれぇへ……」
拒絶する声も弱々しく、マリアの足舐め攻撃をひたすらに耐えるザヘル。
「ふははははははは! うぬ如きが母を超えようなどと、思い上がりも甚だしいわ!」
机の上に仁王立ちし、母の威厳を見せ付けるマリア。王者の視線でザヘルを睥睨する構図だが、マリアの意に反して微笑ましい光景だった。
ザヘルは一家の集合写真に写った大黒柱へと、恨めしげな顔を向ける。
「まったくオヤジは、お袋のドコに惚れたのやら……」
「違う違う。先に誘いをかけたのは、わたくしなの」
椅子に座り直したマリアから、衝撃の告白が飛び出した。ザヘルは首を捻る。
「そういえば、お袋とオヤジの昔話って聞かないな。そんだけの熱愛っぷりなら、普通は馴れ初めぐらい聞かせるだろ」
「興味があるのかや?」
「興味はあるさ」『私も拝聴したいですな』
息子二人の要望に、マリアは照れたように頬を染める。
「むぅ~。今まで話さなかったのは、昔話にする面白みがなかったからじゃのに」
ぶつくさ言いながらも、しぶしぶと出会いを開示するマリア。それは彼女が人間と偽って、中等学科に入学したことから始まる。
優等生と人外の、一連の出会いから恋に落ちるまでを語り終えたマリア。反応を窺うようにザヘルとアブルを見る。二人の口から出てきたのは、
「嘘臭ぇ」『説得力が足りませぬ』だった。
「ぬー。母の言葉が信じられぬ親不孝者は、尻を引っぱたいてお仕置なのじゃぁ~!」
大切な思い出に泥を塗られた気がして、憤慨したマリアが机を回り込んで突進してくる。ザヘルは器用に両脚を伸ばして、マリアの両頬を挟んで止めた。
「ほーらほら、早く脱出しないとホッペが伸びきっちゃうぞー」
ザヘルは足の親指と人差し指で頬肉を摘み、上下左右にこねくり回す。マリアの幼女然とした顔立ちが、粘土のような変幻自在さで歪んでいく。
『ザヘルよ、そろそろ解放してやらんと。母の顔から足の匂いが漂ってくるのはどうかと、私は思うのだが?』
「お前、直球で足の匂いを貶すなよ。ついでにさっきお袋が舐めてた足だ」
ザヘルは急速に脱力し、その隙に脱出したマリアは恨みがましい視線を向ける。
「ふーんだ! どうせザヘルは生まれてくる家を間違えたと思っておるのじゃ! そういう子なのじゃ! こんな両親は嫌だと思っておるのじゃ!」
「は? 生んでくれたのには素直に感謝しているけど?」
拗ねて攻撃的になったマリアの動きが止まる。真円の両目がザヘルを凝視していた。
「もう一度、言ってくれぬか?」
「ん? 生んでくれて、ありがとう」
乞われるがままに言い直すザヘル。動作の停止したマリアと、疑問顔をしたザヘルの視線が空中で絡まる。
マリアの両目から涙が溢れ出す。口から漏れた吐息は急速に嗚咽となっていた。
「うわ! か、母さん、何で急に……お、俺が悪いのか……?」
「だって、だって、嬉しかったんじゃもん。生んでくれてありがとうって、言われたんじゃもん。そうしたら、そうしたら、涙が出てきて止まらないのじゃぁぁ……」
ザヘルは別段、特別なことを言ったつもりはない。普段から漠然と感じていた母への想いを、そのまま口にしただけだ。母も自分の気持ちを把握していると思い込んでいた。
ただ、言葉にしたのはこれが初めてだった気はする。
意識した途端、ザヘルの心臓も沸騰していた。
「……本当に、ありがとう。言葉で言い表せないくらい、感謝している」
「ひっく、ひっく……こちらこそ、ありがとうなのじゃぁ。ありがとうと言ってくれて、ありがとうなのじゃぁ……」
ザヘルには今更親孝行をするつもりがない。というよりも就職して贅沢な暮らしをさせることや、甲斐甲斐しく世話をするのが親孝行だとは思えなかった。
言葉では言えず、明確な輪郭も持てなかったが、何か一つ返せた。そう思えた。
「たまには、俺がメシの用意するよ」
だからザヘルが口にしたのは、全くの善意であり本意。毎日美味い食卓を用意してくれる母に、今この時だけは自分が食事を用意したくなった。
「…………え?」
果たして、マリアは戦々恐々と蒼ざめて泣き止んだ。
「いや、何その反応?」
「ザヘルの用意する昼餉とは、その、アレじゃろ……丸焼きとか、丸煮とか、虫とか」
「うん。不服?」
「うむ。不服」
確かにザヘルの作る料理は、料理とも呼べない丸焼きや丸煮、白米に生卵をかけただけや生肉に生き血をかけただけや土に塩をかけただけや、最悪生きた虫そのままである。
二十代前半の放浪時代には当たり前であり、カルギアでも蛇肉や蛙肉は普通に売られているが、文明圏で母親へ出すにはちと不適切らしい。でも、
「納得できないなぁ、その反応は……」
そもそも成体寄棲獣であるマリアは、人間を食う。人間同士でさえ殺し合っているのだし、ザヘルも半分は寄棲獣なので、そこをどうこう言うつもりはない。
しかし人間が食えて虫が食えないという言い分には、何か釈然としないものがある。
「どうせ生なら、エルフを食したいのじゃ。森の賢者の脳髄踊り食いがいいのじゃ」
「高い。そして滅多に売ってない」
マリアの要請を一刀両断するザヘル。
寄棲獣の血を引くザヘルは、寄棲獣のマリアが人喰い衝動を亜人で抑えているのに理解がないわけではない。でも、それでも、高級嗜好品は高級嗜好品なのだ!
「そこをなんとかするのが息子の気概じゃ」
「俺の料理が不服だってんなら、パッキィでもマリオでも」
ザヘルは硬直した。口から滑り出た名前を確認するように、震える指先で唇に触れる。
「そうか。俺は、あいつを……」
「のうザヘルよ」
ザヘルの思考を遮るマリアの声。マリアは物欲しそうな目でザヘルを見上げている。
「では、産地へ行って仕入れて参れ」
「遠い」
「ならば疾く行くがよい」
昼食にするには途方もない労力にしぶるザヘルだが、マリアは妥協を許さぬ様子。
「ゆけー! とっととゆけーっ!」
痛烈に尻を蹴ってザヘルを追い出す。マリアの内心をなんとなく察したザヘルも、抵抗せずに部屋を出て行った。
マリアは椅子に重く腰を下ろす。壁かけ写真の亭主に向けるのは、柔らかな微笑み。優しげで誇らしげな、母の笑みだった。
「旦那様。わたくしたちの子供は、立派に育ちましたよ」
普段の癖で非常階段から飛び降りようとしたところで、ザヘルは我に返った。窓枠に乗せていた足を戻す。逃走が前提になっているあたり、自分でもかなり末期だと思う。
ザヘルの携帯が鳴った。面倒臭いので切ろうとしたが、着信名を見て慌てて繋げる。
「ザジ山の寄棲獣大量発生に、人為的な作為を感じるだと!」
『うむ。まだ何も言っていないが、その通り。そして本官はゴレット巡査部長だ』
単にパルタミア山の寄棲獣大量発生、そのパルタミア山に出向中のゴレット巡査部長、さらにカルギアの陰謀を結んで可能性を導き出して、カマをかけただけだが。
『知っての通り、寄棲獣は成体化すると著しく知能が下がる。宿主の知性による刺激を失うのが主な原因と言われるが。
とにかく成体化した寄棲獣は、生物の本能以外を持ち合わせていない』
「それが今回は、高度な知能に統率された行動をしている、か」
とすると寄棲獣使役系の精神支配、高位のカテゴリg宿主が関与しているのは明らか。
『本官はこれより、ザジ村民を護衛しつつカルギアに帰還する。これ以上ここに留めておくのは危険すぎると判断した。おそらく夕刻から初更には到着するだろう』
通話を終え、思案するザヘル。霧を突破したら猛獣の巣に飛び込んでいた途方感がある。陰謀の正体を追及すれば追及するほど、その綿密性と凶悪性も鮮明になっていく。
ザヘルは違和感を覚えた。マリオの行いを見極める、〈アグレイの腕の日〉の再来を阻止する、果たしてそれは自分が関わることなのか、と。
親友を信じていないはずがない。けれど自分に一言もなかった事実が、軽くない猜疑心となって心臓にのしかかる。
陰謀を阻止したいのは、アグレイの腕に関わった者として当然の感情だ。けれどレイダースの組織力とヒガンバナの狂信力、より詳しく言えばディオの統率力とマリオの戦術が合わされば、決して阻止できない陰謀だとも思えない。
だとしたら自分は、そもそも何もする必要がないのではないか?
そしてそれらをどうでもいいと感じている自分に気付き、ザヘルは戦慄した。
パッキィが、マリオが、マリアが、その他にも友人知人が災厄に巻き込まれ、彼らが失われても、平然と漫然と生きていられる自分が容易に想像できて恐ろしかった。
なぜならそれは、今、この瞬間の自分と少しも違わないから。
ザヘルはついに、自分の本心に遭遇してしまったのだ。
ザヘルは膝を折って蹲り、自分を抱いた。両手の爪が二の腕に突き立ち、血が滲む。
「止めろよ。それでも俺は、人間でいたいんだ」
絞り出したザヘルの声はひどく疲労して、消える寸前であった。
人生とは誰かから託された荷物を次の誰かに託すことだと、ザヘルは思っていた。
けれどザヘルは託すべき荷物を失ってしまったのだ。あの日に、何もかも。
だからザヘルの人生は、終わったと表現されるのだ。
『いい加減に、目を逸らすのは止めろ』
体の内から、思考の裏側から放たれた兄弟の声は、弾劾に近い厳しさだった。
『それでもお前は、人間として生きたいのだろう?
お前は下らない自己批判で自分を縛りつけているだけだ。しがらみなど気にせず望むままに生きるのも、人間のかくある生き方の一つに違いはない』
アブルの指摘にザヘルは息を呑んだ。自分で言ったはずの言葉なのに、意識の外にあったのだ。
「俺は、生きていてもいいのか?」
『お前は荷物を失ったのにかこつけて、新たに託されることから逃げているだけだ』
「無茶言うなよ。俺はとっくに託される側の人間だった。今も、昔も。
誰が好き好んで、成熟したはずの人間に荷物を託そうとする?」
『お前は心底馬鹿だな』
アブルは思わず失笑した。ザヘルと自分は違う存在で、そしてやはり写し身であり半身なのだ。だからこそアブルには、ザヘルを取り囲む人々の心理までもが見て取れた。
『母上が申しておっただろう。〝いつまでも可愛い子供〟だとな。ちょいと手を伸ばせば、引っ張ってくれる連中は存外多い』
「けど、それでも……」
ザヘルは躊躇い、四肢を震わせるだけ。赤子が意識せずに踏み出したはずの一歩は、時を経て立ち止まり、再び歩き出すには果てしなく重い一歩であった。
ザヘルはひょいと立ち上がる。抵抗も苦労も感じていない、軽い動作だ。
ふっ切れた、わけではない。
「…………よし、現実逃避でもするか」
負の方向に開き直ったザヘルは、夕刻のカルギアへと繰り出した。




