君を弔うヒガンバナ④-④
そして時間は終わりから始まりへと巻き戻る。
これは四番目の闘争。
墨を湛えた海面に、戯画めいた月が映り込んでいた。
いや違う。天空を海原に、地上を天井とし、上下逆転した人影が落下しているのだ。孤影だと思われたそれは空中で双影に分裂、それぞれが同じビルの屋上に着地する。
一人は避雷針にぶつかり、へし折った避雷針に着地した白服の男、ヒガンバナ教主。
もう一人は優雅な仕草で貯水槽に着地した癖毛の男、カーダ。
夜より暗い色を宿した二人の瞳が中間で激突し、敵意の炎が爆発する。
教主は顔を隠しておらず、両脛から下の衣服を燃やしていた。対するカーダもレザーパンツを破れさせ、全身に火傷を広げていた。
カーダは教主のおぞましさに顔を歪める。
最前の攻防、両者が交錯した瞬間、教主は自らの足ごとカーダを爆破したのだ。
「まさか自爆前提とはね。親に貰った体を大切にしようとは思わないのかい?」
「親に貰った体か……」
教主は一度だけ、溜め息とも嗚咽とも判別できぬ吐息を漏らす。
「とっくの昔に失ったよ」
教主の焼け焦げた衣服の下、両脛から先は生身ではなかった。月の光を冷たく反射させる、鋼色の具足。完全装甲された義足であった。
「僕も修羅場を潜った数は伊達じゃなくてね。その度に失った体を補ってきた」
教主の両腕が爆発。白手袋の下からも義手の鋼色が出現する。
それで教主を捕食できぬのに合点がいった。肉体に取り込むには、相応の適合性が必要とされる。歯の治療や手術の処置ならまだしも、人体には存在しない物質である義肢を両腕両脚と大量に含有する教主を、カーダの肉体が拒絶していたのだ。
「奇特な奴だ。今どき、失った手足の再生など造作もないというのに」
「こちらの方が何かと便利なのさ。負傷するたびに痛い思いはしたくない。
それに、特別製だしね」
九十度にへし折れた避雷針に立つ教主の足下が爆発し、反動で飛び上がった教主が屋上に着地する。具足から流れ出した液体爆弾を爆発させたのだ。
教主が駆ける。カーダは迎える。
一見、捕食が使えず、カーダが不利に思われる。しかしたった一つの汎用力のない能力しか持たないなら、レベル5±には到達しない。
接近戦は愚策と判断するカーダ。後方に跳躍し、貯水槽の背後へ。
教主に巨大な質量が襲いかかる。貯水槽の背後に回ったカーダが、貯水槽そのものを蹴り出したのだ。暴走列車となった貯水槽を、教主は真正面から受け止める。
貯水槽に突き立てた両手が小規模な爆発を起こし、次の瞬間、貯水槽が二つに分割されて左右に別れる。教主の手先から伸びる、極めて透明な刃。
「得物を提供してくれるとは、なんとも紳士的じゃないか」
能力の発現形態を表す名称として、召喚型と操作型がある。
召喚型とは能力が行使する物質、事象を文字通り異界より召喚する形態。いつ何時、どのような環境であろうと能力を発動できる半面、召喚という作業それ自体に精神を消耗するので、宿主への負担は大きい。
操作型とは現実の物質、事象に手を加えて操る形態。能力の元となる物質がなければ発動できぬ半面、威力、範囲、精度の全てにおいて召喚型を上回る。
教主は明らかに後者。
教主が腕を一振り。水の刃が分解され、無数の水滴が散弾となってコンクリートの壁と床を蜂の巣にする。カーダは跳躍して回避。
カテゴリnは液体を操り、寄棲獣は魚類の姿を持つ。
着地と同時にカーダは再跳躍。次の瞬間、水滴の穿たれた壁や床から蒸気が噴き出す。
さらに水滴は沸点を軽く超えた高温高圧、即ち超臨界流体。
本来は気体であるはずの高熱物質を、超圧力で液体の体積まで圧縮する。これにより気体でありながら液体であり、超高熱と超圧力を有する超臨界流体となる。
特性として、蒸発を抑えている圧力が消失すれば、たちまち水蒸気爆発を起こす。また超臨界流体は溶媒としても優秀で、痕跡を消すための洗浄にも役立っていた。
熟達した能力は、近しい形質への干渉すら可能とするのだ。
教主は固形化、超臨界流体に続く第三の能力を発動。波濤と放たれたのは液体水素と液体酸素の混合液。摂氏マイナス252・6℃での凍結から、液体爆弾の起爆に用いられる義手の放電により、重力圏を脱出する推進力を放つ3000℃超の爆発を誘発。
鼓膜を破壊する轟音が全身に叩きつけられた。炎の大津波となった爆炎が教主の手元から屋上の端へと一気に駆け抜け、夜空に一瞬の大花を咲かせて消え去った。
炎に舐められ、黒く焦げた屋上の床。そこに転がる焼死体も、黒い炭となっていた。
教主は怪訝な顔をする。今や炭素の塊となった人物の体格は、カーダとは似ても似つかなかった。というより、子供にしか見えない。
「これだけ複雑で高威力の能力を使って、成体化がおっかなくないのか?」
声の方向へ、教主は見もせずに水滴を飛ばす。人影に命中し、蜂の巣にする。しかしそれもカーダではない。
「怖いさ」
声と反対に向けられた教主の視線。その先で、優雅に腕を組んだカーダが立っていた。
「目的のために手段を選ばないのは、ある意味芸術に対する冒涜だ。美学がない」
教主の瞳に映るのはカーダだけではない。鉄柵の前に並ぶ人物、階段を封鎖する人物、避雷針の根元に立つ人物。屋上のそこかしこに、十数人の人影が出現していた。
いつの間に現れたのか、どいつもこいつも意思の感じられない虚ろな瞳を浮かべ、亡者の動作で立ち尽くしている。
カテゴリgの基本的な能力である肉体強化と回復促進を除けば、カーダの能力は二つ。人間の捕食と、吐瀉。カーダに捕食された人間は、その時点では生きている。視覚と聴覚と嗅覚と味覚と触覚を奪われ、行動の自由を奪われ、思考の自由だけ与えられ、カーダから栄養を供給されて生き続ける。その状態を〝生きている〟と表現するのならば。
「私は、私に取り込んだ人間を、私の精神で汚染することが出来る。彼らは私に精神を汚染されて自我をなくしたといえ、人間には違いない。さて、自称紳士くんはどうす」
カーダは口元に指を添えたままの姿勢で硬直した。
水刃と爆裂の嵐。教主の両腕が出鱈目に舞い踊り、操られた人々の指が腕が脚が耳が鼻が眼球が神経が骨が脳髄が飛び散る。そこかしこで起こされた水蒸気爆発が肉を焼き血を焼き、液体水素が人体を凍結させて爆風で消し飛ばす。噎せるような血の臭気すら凍結され、水蒸気が拭い去る。
かくして両の脚で立っているのは教主とカーダのみ。足元に散らばる肉片も、どこか物語の中のように存在感が薄い。
カーダは戦慄していた。
「人間……なんだぞ……」
「自我を失った生物は、果たして生物と言えるのか? 人間と言えるのか?」
教主が動く。人肉を踏み潰し、沸騰して煮え立つ血液を跳ね飛ばし、凍った人体を踏み砕き、教主が跳躍。突撃槍となった膝蹴りが放たれる。
熟達した速度と技量といえど、カテゴリg宿主であるカーダには欠伸が出る速度であった。欠伸を噛み殺しつつ膝蹴りを掌で受け止め、逆の拳を腹部に見舞う。
拳に硬い感触、腹部まで義体。
空中で教主が体を捻り、逆脚での回し蹴り。空中で弧を描く軌道が突如として加速し、血飛沫が弾ける。
教主はさらに蹴り脚を爆破し、反動で驚異的な推進力を得ていたのだ。
直撃すればカーダとて頭蓋骨を粉砕させていた必殺の一撃は、しかし空中を薙ぎ払っていた。近接からの急加速ですら、カーダの回避速度の前ではこめかみを薄く裂くだけ。
爆破で加速した蹴り脚に引きずられるように、教主の体がカーダから離れる。
教主は体の大半を義体に占領され、つまり通常より寄棲獣の領域が狭い。幼体寄棲獣の体積に比例して精神の消耗は激しいため、教主の侵食速度は低く抑えられていた。
教主が着地。同時に床をぶち抜いて無数の腕が出現し、教主の両足首を摑んで拘束。さらにカーダから数十人が吐瀉されて教主に群がる。
教主に人間がまとわりつき、瞬く間に人肉の巨大球となっていた。数十人分の重量が一箇所に集中し、コンクリ製の床が軋む。
「いい気味だ。潰れてしまうがいい!」
カーダの咆哮に重なるように、屋上一面の床が崩壊した。
カーダは驚愕に目を見開く暇すらなかった。崩落に巻き込まれて重力に捕らわれる。
教主の両腕両脚からしとどに流れ出す二種類の液体が床を濡らし、混ぜ合わさって爆発物となっていた。教主は屋上一面の床を爆破し、カーダも落下に巻き込んだのだ。
教主の足元で火の手が上がる。両脚の爆破を推進力に、人肉鉄球と化した教主がカーダに体当たりを行う。落下の途中に回避行動が取れるはずもなく、カーダは直撃。交差した腕の防御ごと後方に押しやられ、背で最上階の硝子窓を破砕して屋外に飛び出す。
真上には星の光。真下は闇黒に浸された、地面すら見えぬ高所であった。
出鱈目に体を回転させ、四肢を振り乱し、教主が拘束を振りほどく。さらに手近な二人の胸郭を爆破し、腕を突っ込み、血管を引き千切って心臓を引きずり出し、握り潰す。
教主の両腕で、犠牲者の血液が刃を形成。教主が出鱈目な回転のままに血の刃を振り回し、カーダの兵隊どもを斬殺する。細切れにされた数十人分の人肉と内蔵と脳漿と血液が夜空にぶちまけられた。
持続的に両脚を爆発させて推進力を生み出し、空中に留まる教主。片や両脚でアスファルトを破砕し、路面に着地したカーダ。
天空に立つ教主と、地表のカーダが真っ向から睨み合う。
「お前、結構強いじゃないか。さすがに〝奴ら〟が一声かけるだけはある」
「おやおや、気付いていたのかい。これで自己紹介の手間が省けた」
軽い口調で言い合う二人だが、視線による威嚇の嵐が止まることはない。
「この短期間で組織を巨大化させた情報網を甘く見ないで欲しいねえ。
けど、その蜘蛛の巣にも引っかからない蝶がいる」
興味深げに「ほう」と呟くカーダ。教主の全身からドス黒い感情が噴き上がり、雲海を呼び寄せ、瞬く間に夜空から星を食らい尽くし、さらなる暗黒を呼ぶ。
「お前らなら知っているはずだ。カーダはどこにいる!」




