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僕らの墓標に咲く花  作者: 疑堂
第零話
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日常の終わり②

 直立したままの、頭のないミムの体。首の断面からは断続的に血の噴水が迸っている。

 血色の呪詛降り注ぐその場に、忽然と男が立っていた。身長は大陸では平均的な一七十後半、肉付きも平均的な、いわゆる中肉中背。背を向けているので容姿は分からない。ただ腰まで届く黒髪の半数は白髪に侵食され、相応の年月を閲していると窺わせた。

 男が手にする得物は、異様を超えて常軌を逸した長大さ。それは刃渡りだけで五~六mはあるだろう大太刀。燃え盛る銀の炎が、刃紋となって浮かんでいた。

 八つの目玉が、思考の感じられぬ視線で男を凝視している。

 男はふと、空を見上げた。そして今気付いた風に、掌を上に向けて血の雨を確認する。

「参ったな、てっきり今日は晴れるものだと思っていた。傘を持ってきていない」

 男は心底困り果てた口調で愚痴り、アシダンテらに振り向く。削げた頬と、顎を彩る無精髭、氷細工の瞳。無骨で荘厳な雰囲気の男だった。

 男の顔に血雨が降りかかり、目元から頬まで滴が伝う。

 ミムの眼球が裏返って絶命。アニシアが半狂乱になってミムの頭部を放り投げ、膝を折って反吐をぶちまけた。パゴは沈黙したまま身じろぎすらしない。

「ぅあああぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 アシダンテの喉から、意味の籠められていない絶叫が迸った。理性は激情に塗り潰され、眼球は蜘蛛の巣の如く血走っている。怒りに任せて能力が発動され、手の中に生み出された超高硬度合金の剣は、箍の外れた感情に比例して天にも届かんばかりの巨大さ。

 男の顔に初めて、感情らしき感情が浮かべられた。

「自分から侵食率を高めて、それで粋がっているつもりか小僧?」

 それは憤怒でも憎悪でも殺気でも敵意でもなく、叱責であった。

 対するアシダンテの両目に宿るのは、憤怒と憎悪と殺気と敵意。

「老いぼれぇぇぇっ!」

 アシダンテが剣を振り下ろす。それは比喩ではなく、天高く伸びた巨塔が倒壊してくる光景に他ならなかった。

「老いぼれ言うな」

 男の靴裏がアシダンテの鼻っ面に埋まっていた。植物の根が蔓延るように、鼻骨の砕ける激痛が顔面全体に広がる。溢れる鼻血で呼吸が阻害され、息苦しい。

 得物の巨大さが仇となった。アシダンテは咄嗟に反応できない。

「小父様、若しくはお兄さんだろ?」

 有り余る脚力にアシダンテがふっ飛んだ。アシダンテの体格は巨体までいかずも、筋肉質の長身。それを中年男性の筋力が蹴り飛ばしたのだ。

 大気に沈んでいくような抵抗から、間髪入れずアシダンテは背中から大樹に激突。肺の空気を盛大に吐き出し、顔から草むらに着地する。

 アシダンテは立ち上がれない。肉体の負傷もあるが、それ以上に、本能が男に歯向かうのを拒んでいた。蹴りの一発だけで、圧倒的な力量差を明白にされたのだ。

「ところでお前のお仲間さん、食われてるけどいいのか?」

 男が不吉な言葉を発する。アシダンテは意味を理解出来ないまま、操られるように顔を上げた。まさか別の寄棲獣がいたのかと、背筋を凍らせながら。

 アシダンテと同じ立場なら、誰もが思考の一切を放棄せざるをえない。それは余りにもおぞましくて、理解を拒絶し、非現実的で、しかし厳然たる現実の光景。

 親友が妹を貪っていた。

 大きく口を開けたパゴが、アニシアの首筋に牙を突き立てる。激しく抵抗するアニシアだが、小柄な少女と巨漢の筋力差は歴然。成すすべなく肉を噛み千切られる。

 自らに起きた事態を理解できないアニシアは、半狂乱になって助けを求めていた。

「助けてオニィチャン! 痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛ぐひゅっ!」

 煩いと言わんばかりに、アニシアの頭部に拳が振り下ろされた。アニシアの頭部が一瞬で陥没し、鼻から下だけの不恰好な半球となる。潰れた頭部から血と脳漿が零れ出た。

 呆然自失としたアシダンテは、パゴに何も問うことが出来なかった。男の伸ばした大太刀の切っ先が、パゴの頭部を貫いたために。

「手間は省けたが、その分胸くそ悪くなった。誰の口癖じゃないが、人間は一つの便利を覚えると十が駄目になるな。

 いい歳した大人が、初対面様に尻拭いさせるなよ」

 男の口調は怒気すら含んでいた。

 アシダンテには何も理解できない。どうしてミムが男に殺されねばならなかったのか、パゴがアニシアを食ったのか、男が怒りに身を焦がしているのか。

 ただ、どちらにしろ男はアニシアまでも殺すつもりだったのだと、アシダンテが横槍したせいでパゴはアニシアを食ったのだと、それだけは辛うじて理解する。

「だが、お前がパゴの生き死にを決める筋合いはない! 命は生まれたからには、生き続けなければいけないんだ!」

 アシダンテは地に伏しながら、断固とした意思の宿る瞳で男を睨んだ。

 身の程をわきまえぬ子供の反抗を、男は口の端に笑みすら浮かべて受け止めた。

「面白い。続けろ」

「オレは他人の命を奪うのも、自分の命を捨てるのも許せない。納得できない。

 権利が義務の上に生じるなら、〝生きる権利〟は〝生き続ける義務〟の上にしか成り立たない。だとしたら〝命を奪う権利〟を成立させる義務が、あるはずがない!」

 寄棲獣による肉親の死が、アシダンテに独自の生死感を築いていた。

「ならそいつはどうなる? お前はそいつの命を奪ったではないか」

 男は大太刀を指し棒のようにくるりと回し、両断した寄棲獣の死体を示した。

「それは、そいつが人を食うから……」

「そいつはお前の言う〝生き続ける義務〟のために、食料として人間を捕食した。なのにお前は〝命を奪う権利〟を行使したわけだな」

 アシダンテの顔に愕然が広がる。男への反論が見つからない。

「結局のところ、お前の観念は人間同士しか相手にしていない。人間を食った寄棲獣は斬れても、人間を食った人間は斬れないか」

 それはアシダンテも前々から、薄々と感じていた矛盾だ。だが、あえて感付かぬ振りをした。意図的に意識の外に追いやった。

 自身の信念よりも、復讐心が勝ったのだ。両親の復讐のため、両親の死が切欠で構築された信念を曲げたのだ。

 それは自存在の崩壊にも等しい、決定的な自己矛盾。

「お前の言い分の一部は認めよう。だが私の言い分は少し違う。

 ヒトは、ヒトとして生きるからヒトなのだ。ならばヒトとしての生き方を捨てればただの獣。獣に人権は認められない。

 そして餓えた獣は人間を襲うぞ? 幾百幾千の犠牲を強いて、それでもお前は〝命を奪う権利〟を否定するのか?」

 男はアシダンテなんか見ちゃいない。言葉こそ同意を求めているようだが、その実、男は自分の主張を叩きつけているだけなのだ。

 男の瞳には絶対零度の炎。他者の言葉を聞きこそすれど意見を曲げることのない、対立する意見を呑み込み破壊し叩き折ってねじ伏せる、太陽の熱量を持った信念だ。

「私は我慢がならない。人間の姿をした獣が、人間を食い荒らすのを。共存は許容しよう。だが一方的な殺戮を前に、私は座しているなど出来ない。

 私がヒトの側であるために、私が私であるために、私はヒトの敵に容赦はしない」

 男は熱病に魘されるように、悪魔に憑かれたように、狂熱を吐き出した。

「日会、力を……」

 聞こえた声は、男のそれよりも歪んでいた。

「俺にもっと力を……!」

 自我を崩壊させつつあるアシダンテは、最も強固な感情に身を委ねる。それは彼の本質だったのだろう。だからこそ、信念すら曲げられた。

 信念すら焼き尽くす、身も焦がれるような復讐心。

 仲間の仇を討つべく、得物を求めて意識を集中させ、

「どうした? 何かド派手な隠し芸を見せてくれるんじゃないのか?」

 いつまで経っても、アシダンテの掌に剣は現れなかった。

「お前の報復は成功だよ。私は心底がっかりした」

 男は額を支えるように指を添え、失望の溜め息を吐き出した。それからアシダンテのこの上ない絶望の表情を目の当たりにして、根本的な食い違いに気付く。

「お前、出身はどこだ?」

 疑問符を浮かべるアシダンテ。男は急かせるように返答を強要する。

「……ルートヴェヘナだ」

「ルートヴェヘナ…………田舎の閉鎖的な教育後進国だな。おまけに寄棲獣の生息数も少なくては、知らなくても無理はないか」

 男は納得したように、黄昏たように、頷きと嘆息で下を向く。

「お前、その力が何に起因するものか知っているか?」

「何、を言って……これ、は……寄棲獣を駆逐するために与えられた」

「それは寄棲獣の力だよ」

 男は容赦なく、アシダンテの息の根を止めた。絶句するアシダンテだが、男にとっても世界にとっても見飽きた表情だ。

「では、私も一つ隠し芸を披露しよう」

 男はパゴの死体に近付き、道化めいた仰々しさで会釈。

「ここに取り出しましたるは、何の変哲もない男の死体。ここに刀を振り下ろすとあら不思議、」

 それは産声にも似た衝動だった。パゴの遺体に刀が食い込む寸前、パゴの背中が膨張し、表皮を突き破り、肉片と血液をぶちまけて、何かが飛び出した。

 そいつは地面に四本の肢で着地し、喉を反らして甲高い威嚇を発する。

「中から寄棲獣が現れましたとさ」

 男はまるで我が子に絵本を聞かせるように、教授が出来の悪い生徒に指導するように、そして大道芸人が観客を沸かせるように言った。

 パゴから出てきた寄棲獣は、体長二十㎝程のエリマキトカゲを連想させる。ただし体中の鱗が人面に見える奇体を、自然の蜥蜴は有さないが。

 ジンメンエリマキトカゲの額に、いくつ目だが数えられぬ口が開いた。男の刀が額から尻まで貫いたため。

「寄棲獣はその名の通り、人間に寄生し棲家とする」

 愕然と、茫然と、アシダンテから表情が消えた。

「お前にも聞こえるはずだ。体内に巣食う寄棲獣の《声》が」

 男の言葉に日会が狼狽する。体内から湧き上がった自分ならざる動揺の感情は、男の言葉が真実であるとアシダンテに直感させた。

「寄棲獣の能力を使用すればするほど侵食率は跳ね上がり、最終的に人間の人格は消失する。その後、成体化が始まり、こいつのように人体の外へ出て人を襲い始める」

 アシダンテの顔には絶望と恐怖が混在していた。過去は矛盾によって崩壊し、未来は無明の闇に閉ざされている。こんな無明の虚無と脅迫めいた不安を抱えて生きるなら、いっそミムより先に死んでいたらとさえ思えてくる。

「なぜ、オレだけを生かしておく?」

「四人の中でお前だけが助かるからだ。

 長年宿主と接していると、成体化寸前を見分けるコツに気付くのさ。視線の揺れや、意識の途切れや思考力の低下などだ。お前だけがこの症状を見せていない」

 男の懇切丁寧な解説も、アシダンテは聞いちゃいなかった。瞼はきつく閉じられ、握られた拳は爪を食い込ませたまま固まっている。

「…………俺は、これからどうすればいいんだ……」

 アシダンテは暗闇に落ちていた。アシダンテは、ミムはアニシアはパゴは、両親の仇を討つため、そうと知らずに寄棲獣の力に依存していたのだ。その末にパゴは寄棲獣に乗っ取られ、アニシアはパゴに食われ、ミムは寄棲獣を殺す男に殺された。

 アシダンテは絶望という名の悪夢に足を摑まれたのだ。そして目を覚ませば、悪夢は正夢となってさらなる絶望を与える。

「私が知るか。自分の尻くらい自分で拭け。自分の道くらい、自分の足で歩け」

 男は四つの絶望と四つの悲劇と四つの茶番劇と、それから三つの死体と一つの死者を前に、しばらく感想を捻り出すように刀の切っ先で地面に猫を描いていたが、

「いや、止めよう。在りきたり過ぎて何も浮かばん」

 男は複雑な表情でアシダンテを見下ろしていた。それは何もかも失ったアシダンテの背が、どこにでもいる誰かの背を想起させたからかもしれない。

 男は大太刀を一振りして汚れを払い、アシダンテに一瞥もくれずに歩き出す。

 振り返る余裕も、後悔も、期待すらないと宣言せんばかりに。

 残されたアシダンテの瞳に、光は欠片も宿っていなかった。

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