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僕らの墓標に咲く花  作者: 疑堂
第三話
15/51

予兆③-①

 静まり返った深夜のカルギア。時計の針は頂点から下降に入り、住民の大半が寝静まっている。こんな時間に出歩くのは夜を住処とする者か、もしくは魔物か。

 人気のない夜の公園で、二人の女性が長椅子に腰掛けていた。

 正確には十代後半に入った少女と、十代も終わりに差し掛かった女性が。

 二人の間に流れるのは他愛ない日常の会話、けれどそれは本音を隠した虚飾の会話。少女は女性の反応を探るように会話を引き伸ばし、女性は少女の言葉を待っていた。二人の間に無為で無意味な時間が流れる。流れ続ける。

 そんな二人の様子を、愛の守護者たる狼頭人魚像が固唾を呑んで見守っている。

 そして少女に覚悟が芽生え、口火が切られた。

「ア、ア、ア、アリエッサ……!」

「なんですか、硫輝?」

 アリエッサがルキの顔を正面から見つめる。蛙の目玉を意匠されたカチューシャもルキを見る。ルキの顔色は緊張と羞恥で人体にはありえない赤になっていた。

「ボクらが付き合い始めて、かなりの月日が経った。手もつないだ、キスもした」

 そこで一旦、ルキは言葉を区切った。喉を鳴らす音が、深夜の公園を震わせる。

「そろそろ、次に進むべきだと思うんだ」

 ルキの言わんとしているところを察し、アリエッサは頬を赤らめてルキから視線を外してしまう。アリエッサの肩に手が置かれ、正面を向かされる。

「…………いいだろ?」

 深夜の静寂を、二人の高鳴った鼓動が粉砕していた。

『ル、ルキが大人の階段を! わたくしは乱れた性に、どのような対処をすればっ?』

 いちいち煩いラヴリルの《声》を、ルキは精神力を総動員して聞いていないことにした。この大一番は、是が非でも失敗できないからだ。

「アリエッサ、ボクはキミを」

「はいはい、そーこーまーでー」

 愛を確かめようとした二人の間に、無粋な声が割って入った。耳障りな金属音と嫌味な拍手を伴奏にして、闇の中に人型が浮かび上がる。

 それは異形。

 全身を鉄鎖と錠で厳重に拘束した人物だ。外気に露出したのは黒真珠の左目だけで、声の高さと特徴的な体の起伏から、辛うじて女性だと判別できる。

「公衆の面前で露骨に愛し合われると、お姉さん照れちゃうじゃないのさ」

 異形の女は身振り手振りで恥ずかしげな素振りを表現する。表情が判別できない分、肉体言語が発達したらしい。一転、女は首を傾げ、頬に手を添え、戸惑った仕草。

「それにしても女の子同士だなんて、最近の子は進んでるわね」

「ボクは、男だーっ!」

 ルキは力の限り絶叫した。

「ボクは女に間違えられるのが、世界で一番嫌いなんだ! どいつもこいつもボクを見れば女、女、女。初見で間違えなかったのはアリエッサだけだよ!」

 ルキの絶叫に対して、女は無言に無表情。あまりの急展開で思考が追いつかないのだ。

「顔と服装は女の子なのにですか?」

「顔はとにかく、女の格好だからって女とは限らないだろ! ボクは芸術性に惹かれてこの服を着てるのに、二言目にはオカマ、変態、男色家! 女は男の格好をしても許されるのに、男が女の格好をするのが許されないのは男女差別だ! 世の中に物申す!」

「ああ、そう…………もう、さっさと本題に入ろうかねぇ」

 女の言葉は疲労に満ちていた。反して全身から放たれ始めたのは、剣呑な気配だ。

「お姉さんにぶたれておくれないかい、レイダースの硫輝ちゃん」

 宣戦布告と同時に、女は一瞬でルキとの間合いを詰めていた。女のようなルキの細首に必殺の鉤爪を伸ばし、轟音!

 女の体が後方に押しやられ、両肩の鎖が弾け飛んだ。ルキの両手に握られた二挺の拳銃が連続で引き金を引かれ、弾丸の嵐が女の全身に殺到。女は両腕両脚で防御するが、弾道が変化し、防御の死角から突き刺さってくる。

 宿主の戦いは、基本的に一瞬から数分で決する。無闇に侵食率を上げぬために現実の兵器を装備し、能力はその補助程度に留める。能力一辺倒の力押しこそ珍しいのだ。

「アリエッサ、逃げて」

「え? ええ……分かりました」

 呆けていたアリエッサも、ルキの指示で物陰に身を隠す。

「あんたはハヤト? それともヒガンバナ、ケルベロスかな?」

「アタシは単なる雇われさね。雇い主の素性までは知らないし、知りたくない」

 血飛沫代わりに鎖と錠の破片を撒き散らしつつ、女は余裕綽々としていた。

「それにしてもお姉さん驚いたよ。カテゴリsをそんな風に使うんだね」

 カテゴリn、e、w、sは、錬金術の四大元素である水、風、土、火と混同され、世間に広く誤解されがちだが、カテゴリsの能力は火ではない。

 カテゴリsの真価は力量。重力、熱量、運動量といった力量を操り、化学変化や核融合、核分裂すら可能にする。代表的な発火能力は、熱量変化と化学変化の延長なのだ。

「そう。ボクは引力と斥力を操れる」

 ルキが足元の小石を拾い、空中に放り投げる。小石は不規則な軌道を描いて飛行し、猛速度から無音で狼頭人魚像に接吻。レベル4++に違わぬ、正確無比な操作であった。

 先ほどの銃撃も能力で弾速を向上させ、弾丸の軌道を変化させていたのだ。

「中々やるねぇ、ボクちゃん。けどね、能力の出力や精密操作、効果範囲や体積に比例して、宿主の侵食率は跳ね上がる。成体化が、死ぬのが怖くないさね?」

 寄棲獣は人間の精神を食らう。

 能力の使用によって侵食率が上がるのは、宿主が寄棲獣に精神を食わせ、それを糧に能力を発現させるためだ。つまり食わせる精神の割合に応じて、能力の性能が上下する。

 寄棲獣が食らうか、食らわないか。その精神性の違いこそが、人間と人間以外を隔てる線引きなのだ。

 では全ての精神を食い尽くされたらどうなるのか?

 精神とは、宿主の人格であり感情であり、肉体の支配権でもある。それを失ってしまえば、必然的に肉体の支配権は寄棲獣に移行する。末期の宿主が一様に無感情になるのも、寄棲獣に精神を食われすぎたがための現象だ。

 女の言葉は脅しであり警告。金で雇われ敵対しているが、彼女への指令はルキの抹殺ではない。むしろ彼女を雇った組織は、無駄に宿主の頭数を減らすのを危惧している。

(っても、『化けないやつは殺していい』とも言われてるけどねぇ)

 宿主の能力の特性や強弱は、宿主の精神性と深く結びついている。

 宿主が生死の境に陥ったり強い精神的衝撃を受けると、一変した宿主の人生観や概念、性格に触発され、能力が全く別の姿になったり強弱が著しく変化する場合がある。

 この現象は一般的に、『精神的に斜め上』を語源とする〈斜跳効果(しゃはこうか)〉と呼称される。

 すなわちヴァネッサを雇った組織は、人為的に斜跳効果を起こそうとしているのだ。

「そんな後先、考えられる余裕はない!」

 ルキの全身は震えていた。血の気を失った表情を彩るのは極大の恐怖。最年少といえどレイダースの隊員であるからこそ、目の前の女の危険性を認識していた。

「けどここでボクが踏ん張れば、少なくてもアリエッサは逃がせる。だから戦う。

 安い英雄思想だけど、ボクはボクよりも彼女が大切だ」

 悲痛な覚悟を固めるルキを、女は興味深げな視線で見つめていた。

「それじゃアタシも、ちょっとした手品を見せようかねぇ」

 女がルキに向けて手を伸ばす。瞼を突き抜けて脳髄まで塗り潰す閃光が走った。

 女の掌から放たれた無数の光線が、ルキの頬、両肩、両肘、両膝の皮膚を焦がした。

 絶望的な実力差と残酷な事実が、ルキの顔面をさらに脱色する。

『ちょっとお待ちなさい。実戦に使える出力の光線を、大量に生み出せるですって?』

 カテゴリexが操るのは電子であり光子。七カテゴリ中でも最速の攻撃速度と最長の攻撃射程を有する半面、他のカテゴリより実戦に応用するための精神量が圧倒的に多い。

 であるはずなのに。ヴァネッサ・ヴァーリンガル、カテゴリexレベル5-。彼女はその制限を無視して能力を使用しているとしか思えなかった。

 ヴァネッサの姿が掻き消え、瞬時にルキの脳天へと踵落とし。公園の地面を粉砕し、土塊を爆発させる。

 踵落としを回避したルキは、しかし風圧と土塊の被弾で体勢を崩す。崩れた体勢をさらに崩して横回転しつつ、銃撃。土塊の浮き島の間を縫い、出鱈目な軌道で弾丸が飛翔。

 ヴァネッサは鋼の雀蜂の大挙を無視した。弾丸を全身に噛みつかせつつルキに突進し、膝蹴りを腹部に叩き込む。ルキの内臓を目茶目茶に破壊する一撃だった。

 先ほどからそうだ。ヴァネッサの移動速度、破壊力は、人間の範疇を逸脱していた。

 手応えが妙に軽い。と気付いた瞬間には、ルキはヴァネッサの背後に回り込んでいた。引力を局地的に操作し、膝蹴りの速度よりも速く自分を後退させていたのだ。

 ヴァネッサの背中に押し当てられる、冷たくて重い感触。

「最初に光線を印象付けて本命は肉弾戦なんて、今時手法が古臭くて誰もやらないよ」

 ヴァネッサの背に押し付けられた大砲は、戦車の主砲と言われても納得しそうだ。カテゴリsは運動量を操る。能力で空中に固定し、反動を押さえ込み、引き金を引く。

 零距離から発射された砲弾が、ヴァネッサごと公園を駆け抜けていく。砲弾は地面を抉り、木々を薙ぎ倒し、草花を撒き散らし、射線上の時計塔に激突。時計塔が炎の柱となって炎上し、熱風と爆音が叩きつけられる。

「殺し、ちゃった、の?」

 隠れていたアリエッサが、ルキの安否を確かめに姿を現す。どこか浮世離れした足取りで時計塔に向かおうとするアリエッサを押し留めたルキは、じっと時計塔を凝視する。

 二階建て家屋の高さの時計塔が根元まで破壊され、惨めな焼死体を晒していた。遅れてヴァネッサの全身を包んでいた鎖と錠の破片が降り注ぐ。

 だが、時計塔の位置から飛んできたにしては、破片の量が多過ぎた。

「早朝の目覚ましにしちゃ、ちょっと近所迷惑が過ぎるよ、ボクぅ」

 弾かれたように上を見上げるルキ。月光を背に、脚を組んで滑り台の頂点に座る人影がある。赤銅色の全身鎧を纏った女だ。

 いや違う。

「あんまり人様に見せたい体じゃないんだけどねぇ」

 哀しげに呟いたヴァネッサは、どこから声を出しているのか分からない。

 全身鎧だと思ったのは、硬質の輝きを放つ女の表皮たる外殻。女らしい丸みと光沢の組み合わせは、一種扇情的な艶かしさ。頭部も外殻に兜のように完全装甲され、口も鼻も右目も塗り潰されている。左目と茶髪のおさげ以外に、人間らしい部品は見られない。

 女はまるで人間と節足動物を合成させたような、この世のモノならざる異形であった。

『節足動物……まるでカテゴリexですわね』

 ルキに閃きと衝撃、驚愕と疑心。まさかそんなことが……。

「その顔、気付いたみたいね。アンタの推測通り、アタシは寄棲獣が成長する過程で、逆に寄棲獣の意識を乗っ取って成体化した。言わば〈寄棲者〉と呼ぶべき存在よ」

 人間と寄棲獣の混血は、ザヘルとアブルが最初でもなければ最後でもないだろう。すなわち彼女の家系も、人と獣の血を引くからこその奇跡的症例。

 能力の発動が可能となり、《声》が聞こえ始めると、宿主と幼体寄棲獣の肉体は軽微な融合を起こしている。こうなると外科的な処置で寄棲獣の摘出は不可能だ。

 寄棲獣は宿主の精神を食らい尽くすと、成体化への最終段階として宿主の肉体と本格的な融合を開始する。ならば逆に寄棲獣の血を引く人間が寄棲獣の精神を食らい尽くし、寄棲獣の肉体と融合し、乗っ取ることも可能なのではないか?

 自らの精神を喰らい、自己還元できる彼女ならば、能力に制限は存在しない。人間離れした破壊力と速度も能力によるものではなく、成体寄棲獣の筋力によるものだ。

「初対面の女の子を全裸に剥いちゃうボクには、お姉さんがオシオキしちゃうぞぉ」

 ヴァネッサの脚が上げられ、振り下ろされ、反動で滑り台から跳躍。優雅に着地。両手の五指の先端が発光し、指先から計十本の光の爪が伸びる。

 ヴァネッサが疾走を開始する。鎖の重量が消失した分、先ほどよりも俊敏だ。

 前方から突進、と見せかけて左からの強襲、と見せかけて右からの奇襲。振り下ろされた光の爪が、防御に掲げられた戦車砲を飴細工のように溶解切断。

 一瞬の隙を突いて距離を取ったルキの手には、機関銃の鈍い輝き。ヴァネッサの腕が振られ、飛ばされた光の爪が機関銃とルキの全身を貫通。肉の焦げる異臭を漂わせる。

 寄棲獣の筋力による近接格闘と、光線による中、遠距離戦。相手に合わせて戦術を選べ、しかも両者が必殺級という反則的な組み合わせであった。

 超低空からの足払いがルキに強襲し、ルキは後方跳躍で回避。ヴァネッサの爪先から、さらに五本の光の爪が発生。光の爪が伸張し、ルキの両脛を浅く切り裂いて体勢を崩す。

 ルキにヴァネッサが踊りかかる。両手の爪を交差させ、渾身の気勢で振り下ろし、

「止めてーーーっ!」

 ルキを庇うように、アリエッサが二人の間に飛び込んできた。光の爪が交差され、二人の顔を逆さ十字に照らし、

 面影が分からぬまでに顔面が破壊され、四つに分割された頭部の破片が飛び散った。

 光の爪が光源となって、三人の周囲は暗闇に浮かび上がる舞台上のように明るい。その照明が、第四の人物まで照らし出していた。

 ヴァネッサが切り刻んだのは狼頭人魚像。両者の間に投げ込まれた愛の守護天使は、恋人を守る職務に殉じて満足にその生涯を終えた。

 三人が見上げたのは、オーザン公園名物の桜の大樹。妙に赤い花を咲かせたそれの頂点に人影が立っていた。

 乱入者が跳躍。反動で揺れた枝葉から花弁が舞い、桜吹雪の舞い散る中に着地する。

「月夜の散歩を楽しんでいれば、とんだ三角関係に出くわしたものだ」

 乱入者の姿を目にした三人が、驚愕に目を見開いた。

 獅子の鬣の如き銀髪。全身を包むのは瑠璃色に輝き、波のような鋭角を描く鱗状の外殻。両耳の間を覆う硬質硝子状の瞼の奥で、十三の光点となった瞳が赤く輝く。

 乱入者はヴァネッサと同様の異形、人外の人であった。

 便宜上、彼は瑠璃色仮面と呼称する。

「少年、ここは私に任せてお前は行け」

 瑠璃色仮面はルキを背に庇い、逃走を促す。瑠璃色仮面の正体と目的が分からず逡巡するルキだが、瑠璃色仮面の背中は信じてもよさそうだと、そう思わせた。

 瑠璃色仮面とヴァネッサの間に緊張が満ちていく。光の爪に触れた桜吹雪が燃え上がり、炎の大乱舞となっていた。

「ちょっとアンタ、この喧嘩にアンタは関係ないだろう? 出しゃばらないでよ」

「ああ、確かに私は部外者だ。だがな、」

 瑠璃色仮面の腕が翻り、片手に提げられていた米俵がヴァネッサ目掛けて放物線を描く。無慈悲な光線の刃でカルギアの主食が空中解体され、お百姓さんの八十八の苦労が、おかきとなって文字通り散った。

「男が女のために命をかけ、男が漢の踏ん張り処に手を貸すのに、理由がいるのか?」

 おかきの煙幕を援護として、ルキとアリエッサの姿が消えていた。

「逃げられたじゃないのさ。アンタ、どう落とし前を」

「お米を粗末にする奴は、目玉を潰して死んでしまえっ!」

(うえええぇぇぇえっ?)

 瑠璃色仮面の理不尽な激昂に、思わずヴァネッサは心の中で吹き出した。

「では足止めもできたので、私はこれで」と身を翻そうとした瑠璃色仮面の肩を、「ちょっと待ちなさい」と離さぬヴァネッサ。

「逆ナンか?」

「仕事の邪魔されたんだ。落とし前はつけてくれるんだろうね、って言ってるんだよ」

「つまり、私の体が目当てだ、と」

「微妙に合ってるけど、意味が違うって」

 がっくりと肩を落とすヴァネッサ。二人の会話はどこまでいっても噛み合わなかった。

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