↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クイズクロニクル  作者: pj.masta


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
82/317

第7巻 月光騎士の法典 第3章 法典広場の白い余白






法典広場は、遠くから見るよりも白かった。


石畳が白いのではない。建物が白いのでもない。広場の中央に、月光を受けた大きな布が張られていて、その布の白さが、周りの銀葉や柱や人の影まで、少しだけ静かにしていた。


布は、旗のように高く掲げられていない。


床にも敷かれていない。


広場の片側にある低い銀葉台から、向かいの法典棚まで、ゆるく渡されている。風が通ると、白い面がほんの少しだけふくらみ、また戻る。紙よりやわらかく、布よりも音が薄い。不思議な余白だった。


「あれが、余白布ですか」


僕が聞くと、セリカはうなずいた。


「はい。法典にすぐ書けないものを、いったん置く場所です」


「書けないもの」


「書いてはいけないもの、ではありません。まだ書く形になっていないものです」


リンドは余白布の前で足を止めた。


そこには人が集まっていた。銀葉筆を持つ書記、法典の写しを抱えた若い騎士、紋章の入った布袋を持つ商人、月光の小瓶を並べている子どもたち。みんな、布を見ている。けれど、誰も布の中央には触れていなかった。


広場の奥には、法典棚がある。


棚といっても、木の棚ではない。銀葉を重ねた薄い板が、幾層にも並んでいる。板には短い条文が浮かび、月光が当たるたびに少しだけ位置を変える。棚の上部には、まだ伏せられた月光鏡があり、今は白い縁だけを見せていた。文字は整っていた。間違いがないように磨かれた文字だった。


その横に、細い列がある。


正解率の列。


門前の掲示板よりも小さく、けれど、ずっと古そうだった。数字は控えめに浮かんでいる。百の丸もある。九十二もある。七十八もある。門前で見た数字と同じものが、ここでは法典棚の端に静かに置かれていた。


「広場にも、正解率があるんですね」


「あります」セリカが答えた。「ただ、ここでは掲げるためではなく、照合するためです」


「照合」


「門で通った問いが、法典のどの条文へ響いたか。どの祝福へ戻りかけたか。それを見ます」


セリカは銀葉筆を持ち直し、広場の端にある低い台へ向かった。


それが、裏の記録台だった。


門前の掲示板よりも、ずっと低い。子どもでも覗ける高さだ。けれど、表面は閉じている。銀葉を何枚も重ねた板が、硬く薄くかみ合っていて、隙間には白い光が止まっていた。


「ここが、門の裏です」


セリカは筆の先で、記録台の縁をそっとなぞった。


きん。


硬い音がした。


門の銀葉より低いが、同じ硬さを持つ音だった。余白布が、その音に合わせて一度だけ小さく揺れる。揺れたのに、何も書かれない。


「開けにくいですね」


僕が言うと、セリカは苦笑した。


「はい。力を入れれば開きます。でも、力で開くと、未読欄が正解率の列へ滑り込みます」


「滑り込む?」


「開いた瞬間に、どこかの条文へ結びつけてしまうんです。たぶん、法典は親切なんだと思います」


親切。


セリカは、少し困ったようにその言葉を選んだ。


「答えを探している問いを見ると、法典は近い条文を差し出します。どれも間違いではありません。だから、余計に難しいんです」


リンドは余白布の端を見た。


「間違いではない答えほど、問いを閉じることがある」


「はい」


セリカは、筆を台から離した。


「私は、正解率を嫌っているわけではありません。正しい答えが増えると、街は助かります。門も通りやすくなります。けれど、未読欄にあるものまで、近い条文へ急いでしまうと、祝福が通ったように見えて、あとで硬い音だけが残るんです」


きん。


また鳴った。


広場の法典棚で、百の丸が一つ明るくなった。周りにいた人たちが小さく拍手をする。拍手はやさしかった。勝った人を称える音ではなく、誰かの問いが通ったことを喜ぶ音だった。


それでも、余白布の端に浮かんでいた薄い模様が、少し薄くなった。


僕は息を止めた。


「今、消えましたか」


「消えたように見えただけです」


セリカはすぐに答えた。けれど、その声には、急いで否定した人の揺れがあった。


彼女は余白布へ近づき、筆を布に触れない距離で止めた。筆先の銀葉が、きん、と鳴りかけて、鳴らなかった。セリカはそこで手を止める。


「触れないんですか」


「触れると、記録になります」


「記録してはいけない?」


「まだ、どの形で記録するかを決めていません」


セリカの目は、余白布の薄い模様を追っていた。模様は葉の先のようにも、波の縁のようにも、短い線の続きのようにも見えた。


僕は、袋の中の影札を思い出した。


短い線と四つの点。


余白布の模様は、影札に似ている。


そう思った瞬間、手が袋へ伸びかけた。


ククルーが、僕の足元で小さく咳払いをした。


「旅人」


「はい」


「今、似ているものを出したくなりましたね」


「なりました」


「よい自白です」


「自白ですか」


「はい。法典広場では、自分の手がどこへ伸びたかも、かなり大事な記録です」


セリカがこちらを見た。


「似ているものがあるんですか」


僕は少し迷った。


隠したいわけではない。けれど、出せば、似ているところが前へ出る。前へ出れば、誰かが照合したくなる。自分も、きっと照合したくなる。


「あります。でも、今は出しません」


セリカは、少し驚いた顔をしてから、うなずいた。


「ありがとうございます」


「ありがとう、ですか」


「はい。私もたぶん、見たら照合したくなります」


リンドが、余白布の端を指さした。


「照合したくなることを責める必要はない。法典を持つ者の、よい癖でもある」


「よい癖」


「形を探す力だ。だが、形を見つけたあと、すぐ閉じる癖にもなる」


リンドは、法典棚から一枚の薄い写しを取った。そこには短い条文が浮かんでいる。


「月光が届く者を守る」


門の前で少年が読んでいた条文と同じだった。


リンドはそれを余白布の前に置く。布には触れない。けれど、条文の光が布の端へ届く。


余白布の薄い模様が、少し明るくなった。


セリカが息を吸う。


「つながりそうです」


「つながるだろう」


リンドは言った。


「だが、今つなぐと、何が落ちる」


セリカは余白布を見つめた。


模様は、条文の光を受けて、月光が届く者の記録へ寄りかけていた。たしかに近い。未読欄にあった問いも、月光が届くかどうかの問いに見える。正解率で薄くなった葉の先も、届く場所を探しているように見える。


でも、余白布の模様の下には、もう一つ薄い線があった。


その線は、条文の光に近づくと見えにくくなる。


「届いていない人、だけではない」


セリカが言った。


「届いているのに、強すぎて見えなくなった場所もあります」


リンドはうなずいた。


「ならば、この条文だけでは狭い」


セリカは、筆を下ろさないまま、手を少し震わせた。


「狭い、と記録しますか」


「まだだ」


リンドは写しを棚へ戻した。


「今は、狭くなりかけた、と見る」


狭くなりかけた。


その言葉が、余白布の前で静かに残った。


ククルーは、白い布の端へ近づきすぎないよう、丸い足をそろえた。


「布は、何も書いていないように見えて、ずいぶん忙しいね」


「忙しいです」


セリカは、少しだけ笑った。


「何も書かれていない場所は、何もしていない場所ではありません」


その言葉で、僕はシルヴァリスで見た未登録欄を思い出した。どこにもない登録欄。名前を持たないまま祝福を運ぶための空白。あれも、何もしていない場所ではなかった。


でも、同じではない。


シルヴァリスの霧の中の空白と、ルミエールの月光の下の余白は、似ているだけだ。似ているからといって、一つの答えにしてはいけない。


僕は、自分の手を袋の外へ戻した。


「旅人さん」


セリカが、僕を呼んだ。


「はい」


「今の、出さなかった手だけを、余白布に印として置いてもいいですか」


「僕が出さなかったものを?」


「名前は書きません。形も書きません。ただ、出したくなったけれど、出さなかった手があった、とだけ」


僕は、すぐには返事をしなかった。


自分の迷いを記録されるのは、少し落ち着かない。けれど、それは僕の正体や証拠を記録することではない。影札の形を写すことでもない。


出したくなった手。


出さなかった手。


その二つの間に、余白がある。


「お願いします」


セリカはうなずき、銀葉筆を余白布の端へ近づけた。


触れない。


筆先から、細い銀の光だけが伸びる。光は布に文字を書かなかった。布の表面の少し手前で止まり、小さな余白の印を一つ作った。


点ではない。


丸でもない。


手を止めた時の、空気のへこみのような印だった。


「これは、正解率には入りません」


セリカは言った。


「未読欄にも、まだ入れません。余白布に置くだけです」


きん。


銀葉が鳴った。


今度は、硬い音のあとに、布が小さくふくらんだ。風が通ったのだ。強い風ではない。記録台の隙間から、やっと通ったような短い風だった。


リンドが、裏の記録台へ戻る。


「今なら、少し開く」


セリカは緊張した顔でうなずいた。


二人は記録台の両側に立った。リンドは試問札を台の縁へ置き、セリカは銀葉筆を反対側へ置く。僕とククルーは、その間に入らないよう半歩下がった。


「力で開けない」


リンドが言う。


「はい」


「正解率へ流れ込ませない」


「はい」


「未読欄は、守りすぎて閉じないでいられるか」


セリカの手が止まった。


「守りすぎて」


リンドは答えを続けなかった。


セリカは、唇を引き結んだ。


未読欄を消したくない。その気持ちは正しい。でも、守りすぎれば、誰も読めない欄になる。僕は閉じなかった輪の空きを思い出した。


セリカはゆっくり息を吐いた。


「未読欄は、隠し場所ではありません」


それから、余白布へ目を向ける。


「先に、余白へ通します。法典棚へは、急がせません」


リンドはうなずいた。


「では、開けよう」


かん。


試問札が鳴った。


きん。


銀葉筆が応えた。


二つの音の間で、裏の記録台がほんの少しだけ開いた。


中には、名前はなかった。


人の記録もなかった。


薄い葉の形、短い線、途中で止まった風の跡、拍手のあとに残った小さな間、答えを飲み込んだ子どもの息、迷子の話を最後まで聞いた時間。形になりきらないものが、銀葉の隙間に重なっていた。


僕は、思わず身を乗り出しかけた。


ククルーが、しっぽで僕の足を軽く叩く。


「半歩です」


「はい」


僕は半歩戻った。


見たい。


でも、見えすぎると、すぐに言葉へしたくなる。


記録台の中には、言葉になる前のものが多すぎた。


セリカは、銀葉筆を中へ入れなかった。代わりに、開いた隙間から余白布へ向かう風を聞いていた。耳飾りが、きん、と小さく鳴る。さっきよりやわらかい。


「通っています」


「どこへ」


リンドが聞く。


「余白布へ。法典棚へは、まだ少しだけです」


「それでよい」


リンドは台の隙間を閉じないまま、法典棚へ目を向けた。


「法典は急がない。先に余白が息をする」


その時、広場の反対側で月光が強くなった。


法典棚の上部にある月光鏡が、雲の切れ間を受けたのだろう。白い光がすっと広場を横切り、余白布の中央を照らした。


布の模様が、よく見えた。


よく見えすぎた。


さっきまで薄く揺れていた線が、急にはっきりと浮かぶ。余白の印も、手を止めた空気のへこみも、輪郭を持った。見える。読める。名前をつけられそうになる。


僕は息をのんだ。


きれいだった。


そして、少し怖かった。


「今なら、書けそうです」


セリカが言った。


声は小さかった。書きたいと言っているのではない。書けてしまいそうだ、と気づいた声だった。


リンドは月光鏡を見上げる。


「照らしすぎている」


その言葉で、僕は袋の中の両面札を思い出した。


照らしすぎない。


守りすぎない。


まだ向きを決めていない札。


次の試問へ進む前に、もう入口は開いていた。強い光は悪ではない。けれど、強い光で余白が読みやすくなった瞬間、余白ではなく答えに見えてしまうことがある。


ククルーが、月光鏡の下の影を見た。


「次の試問は、少し明るすぎる場所になりそうだね」


「試問だ」


リンドが静かに訂正する。


「はい。少し明るすぎる試問です」


セリカは、余白布から目をそらさずに笑った。


僕は、袋の上から両面札に触れた。


表も裏も、まだ決めない。


けれど、次に見るべきものは分かった。


照らすことが、いつ答えを急がせるのか。


守ることが、いつ余白を閉じるのか。


法典広場の白い布は、強い月光の下で、書かれないまままぶしくなっていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。