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クイズクロニクル  作者: pj.masta


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第14巻 ここが旅の始点だった 第6章 サイバリアの根音

低い音は、通路を進むほど近くなった。


近くなるのに、大きくはならない。


耳へ押し寄せる音ではなかった。足の裏の少し奥、床に触れているところから、ゆっくり入ってくる音だった。


リオは、札を胸の前で抱えて歩いている。


`根音の手前`


さっき書いた札は、まだ淡く光っていた。


光は前を照らさない。足もとの線だけを低くなぞる。進む場所を決めるというより、いま踏んでいる場所が急に遠くならないようにしている。


ミャオリンは、いつものように先頭を歩かなかった。


少し横へずれて、壁に耳を近づけたり、床の線を見たりしている。


「表の回線なら、もっと細かい音が混じるにゃ」


「細かい音」


旅人が聞くと、ミャオリンは指を折るようにしっぽの先を動かした。


「だれが送った、どこへ送った、いつ届いた、届かなかった。そういう小さい印がたくさん鳴るにゃ。これは、それより前」


「前」


「送る前の、持ち上げる音に近いにゃ」


ククルーは、胸もとの封筒を押さえなかった。


封筒は、言わない場所を守る布に包まれたまま、ククルーの腕の中にあった。閉じきっていない口のところには、細い光が残っている。


旅人は、その光を見てから、すぐに床へ目を戻した。


開けるために来たのではない。


聞くために来た。


その言葉を、足音の間で何度か確かめた。


通路の先が広がった。


部屋ではない。


大きな円形の場所でもない。


いくつもの細い通路が、ゆるく交わる低い広場だった。


天井は高いのに、音は高くならない。壁には無数の細い線が走っている。線は明るいものもあれば、ほとんど見えないものもあった。どの線も、まっすぐ中心へ向かっているようで、近づく前に少し曲がっている。


中央、と言いたくなる場所には、何もなかった。


代わりに、少し手前の床に、浅いくぼみがあった。


くぼみの縁には、小さな点が並んでいる。


点は七つではなかった。


数えようとすると、音が少し遠くなる。


リオが札を持つ手を止めた。


「数えないほうがいいですか」


塔守りの声が、壁の中から低く響いた。


「数えたい手は、そこに置けます」


くぼみの横に、小さな皿が現れた。


白くも黒くもない、ネオン雨が乾いたあとのような色の皿だった。


リオはうなずいて、何も書いていない札を一枚、皿に置いた。


「あとで数えたい札」


札には、リオがそう小さく書いた。


点は、そのまま点で残った。


音も戻った。


皿の底には、点と点の間をつなぐ線がなかった。


つなげば形になる。


形になれば、名前を呼べそうになる。


でも今は、点と点の間にある低い音を聞くところだった。


旅人が皿をのぞき込むと、皿の縁だけが淡く光った。


リオは札を少し書き直した。


`根音の間を測らない皿`


「測らない、ですか」


「測りたくなる手を置く皿です」


リオはそう言ってから、少し考えた。


「測ることをなくす皿じゃないよ」


ククルーがうなずいた。


「測る前に、間を聞く皿だね」


その言い方で、皿の縁の光はさらに低くなった。


ミャオリンはポーチから、小さな粒を三つ取り出した。ネオン雨が乾いて残した、色のない粒だった。


「これ、あとで数えたい粒にゃ」


「今ではなく?」


「今数えると、たぶん、根音より粒の数を覚えるにゃ」


ミャオリンは三つの粒を皿の外側へ置いた。


リオが札を添える。


`あとで数えたい粒`


粒は、数えられる場所にある。


でも、今は数えない場所にある。


旅人は、その距離が少し好きだと思った。


ミャオリンが、ほっとしたように息を吐いた。


「ここ、中心を探す手がすぐ出るにゃ」


「中心を探すと、よくないですか」


旅人が聞くと、ミャオリンは首をかしげた。


「よくない、ではないにゃ。中心があると、全部そこから説明できる気がする。情報屋には、ちょっと気持ちいい」


「気持ちいい」


「でも、気持ちいい説明は、ときどき速すぎるにゃ」


ククルーがうなずいた。


「速い説明は、遅れて届く返事を置いていくことがあるね」


旅人は、くぼみを見た。


中央と言いたくなる場所に何もなく、少し手前にだけ、浅いくぼみがある。


ここで聞けるのは、中心の音ではない。


中心へ行きたい手の、手前の音だ。


旅人は、くぼみの前にしゃがんだ。


低い音は、そこで少しだけ形を変えた。


ずん、と響くのではない。


遠くの誰かが、言葉にする前に息を整えるような音。


店のひさしから雨が落ちる前に、雫がふくらむような音。


閉じた封筒を開く前ではなく、送る封筒を手に取る前の音。


その全部に似ていて、どれでもない。


「これが、サイバリアの根音ですか」


旅人は、そう聞きかけて止まった。


言い方が少し高かった。


これが、と言うと、音を一つに閉じる。


旅人は言い直した。


「サイバリアの根音に近いところですか」


塔守りの声が答えた。


「近いところです」


ミャオリンが小さく笑った。


「いい聞き方にゃ」


ククルーも、少しだけ目を細めた。


「近い、は持ち歩けるね」


リオが札に書いた。


`根音に近いところ`


札は、くぼみの縁に置かれた。


すると壁の細い線が、いくつか淡く光った。


光った線を追おうとした時、ミャオリンが自分のしっぽの先で、旅人の袖を軽く引いた。


「呼びすぎないほうがいいにゃ」


「呼びすぎる」


「根音って言うと、全部それに聞こえ始めるにゃ。街の機械の低い唸りも、雨樋の奥の水も、だれかが返事を飲み込んだ音も」


ミャオリンは壁の線を見た。


「似ている、は便利にゃ。でも便利だと、すぐ一つの名前へ集めたくなる」


ククルーは封筒を抱えたまま、布の端を少し直した。


「名前へ集める前に、端を置けるんだね」


リオは灰色の布から、糸の余りのような細い端を切り離した。


切る、というより、ほどけていた端をそのまま受け取ったような動きだった。


`呼びすぎない布端`


札と一緒に布端を置くと、壁の線は同じ場所へ集まらなかった。


線の一本は雨見台の方角へ。


一本は反射ログの小路へ。


一本は、封筒台の低い部屋へ戻るように見えた。


どれも根音に近い。


でも、どれも根音そのものではない。


旅人は、根音を街の奥で鳴る一つの大きな答えにしたくなる手を、布端のそばへ置いた。


光った線の一つは、見覚えがあった。


雨見台の方角に似ている。


もう一つは、反射ログの小路で見た、切れた映像片の端に似ている。


さらに一つは、塔の入口で半円の返事を置いた場所へ戻るように見えた。


でも、線は地図ではない。


たどれば場所へ着く、と言える線ではない。


旅人は、線を目で追いすぎないようにした。


ミャオリンが、くぼみのそばへしゃがんだ。


「サイバリアは、たくさんの情報を流すにゃ。けど、流れる前には、持つ手がある。持つ手の前には、聞く手がある」


「聞く手の前は」


リオが聞いた。


ミャオリンはしっぽを丸めた。


「うーん。そこを一言で言うと、また速くなるにゃ」


ククルーが封筒を布ごと少し持ち上げた。


「言葉になる前の、向きかな」


塔守りの声は、すぐには響かなかった。


沈黙があった。


でも、その沈黙は、否定ではない。


低い音の間に置かれた、細い休みのようだった。


やがて、塔守りが言った。


「向き、と呼べます。呼びすぎなければ」


リオが、書こうとして手を止めた。


「呼びすぎない札、いりますか」


ミャオリンが笑った。


「いりそうにゃ」


リオは新しい札を書いた。


`呼びすぎない札`


札を置くと、壁の線の光が少しやわらいだ。


旅人は、その札を見てから、くぼみに手を近づけた。


触れない。


手をかざすだけ。


低い音が、手のひらの下で少し変わった。


そこに、言葉ではない返事があった。


返事、と言うのも高いかもしれない。


でも、無音ではない。


旅人は目を閉じた。


音の中に、たくさんの小さな手前があった。


送る手前。


聞く手前。


閉じる手前。


開く手前。


数える手前。


たずねる手前。


どれも、まだ動き出していない。


でも、止まっているのでもない。


「ここは、待っている場所ですか」


旅人は聞いた。


塔守りは答えた。


「待つだけではありません」


「では」


「鳴る前に、そろわない場所です」


そろわない。


旅人は、その言葉をくぼみの縁へ置くように聞いた。


七つの大陸を思った。


森の霧。


滝の水。


星砂。


月光。


琥珀。


歯車。


ネオン雨。


七つを思った瞬間、根音は少しだけ高くなりかけた。


七つだから、そろう。


七つだから、答えになる。


そう言いたくなる手が、音の中で動いた。


旅人は、呼びすぎない札の横へ、指先で小さな円を描いた。


円は閉じなかった。


「七つを思っても、一つにしない」


旅人が言うと、ミャオリンがうなずいた。


「根音にも、七つの前があるにゃ」


「七つの前」


「七つに分ける前の音にゃ。でも、ひとつの音でもないにゃ」


リオは、困ったように笑った。


「名前が難しいです」


ククルーは封筒の布端を見た。


「難しいなら、難しいまま置こう」


リオは札へ、少し時間をかけて書いた。


`七つに分ける前の低音`


札をくぼみの縁ではなく、縁から少し離れた床へ置いた。


低音は、札の上へ来なかった。


けれど、札の周りで、森、滝、星砂、月光、琥珀、歯車、ネオン雨の気配が、同じ輪にならずにそれぞれ息をした。


旅人は目を開けた。


根音は、中心から命じる音ではない。


七つを一つへ戻す音でもない。


七つに分ける前から、そろわないまま待てる音だった。


琥珀。


歯車。


ネオン雨。


それぞれ、音は違う。


同じ高さで鳴る必要はない。


同じ速さで届く必要もない。


それなのに、同じ問いのまわりで、別々に手前を持っている。


旅人の胸の奥で、これまでの旅が一度に鳴りそうになった。


鳴りそうになっただけで、まだ鳴らない。


ここで全部鳴らすと、速すぎる。


旅人は息を吐いた。


「七つの返事を、一つにしない」


その言葉は、自然に出た。


ククルーが旅人を見た。


ミャオリンもリオも、壁の線から顔を上げた。


旅人は、自分の言葉が高くなりすぎていないか確かめた。


一つにしない。


禁止に聞こえるかもしれない。


でも、今は違った。


一つにしないことで、別々に聞ける。


別々に聞けることで、あとで返せる。


ククルーが静かに言った。


「次の場所へ持っていく言葉だね」


旅人は首を横に振りかけて、止まった。


章、とは言わない。


ここは塔の中だ。


旅人は言い換えた。


「次の場所へ持っていく言葉だね」


ククルーは、すぐにうなずき直した。


「うん。次の場所へ」


リオは札を書き換えた。


`七つの返事を一つにしない札`


札は、くぼみの向こう側に置かれた。


その瞬間、壁の細い線が七色に光ることはなかった。


派手な合図はない。


ただ、見えていた線のいくつかが、同じ明るさになろうとするのをやめた。


それぞれの低さで、淡く残った。


ミャオリンが満足そうにうなずいた。


「こっちのほうが、ネオンシャらしいにゃ。全部ぴかっと光ったら、目立ちすぎる」


「目立つと、速く読まれますか」


「速く読まれるし、速く忘れられるにゃ」


ミャオリンは、壁の線の間へ薄い透明な板を一枚立てた。


板は線を遮らない。


向こう側の光を少し遅らせるだけだった。


「根音の低さを急がせない板にゃ」


リオが札を書いた。


`根音の低さを急がせない板`


札を置くと、根音に近いところのくぼみは、広がらなかった。


深くもならなかった。


ただ、そこから聞こえる音の端が、すぐ七つの名前へ走らなくなった。


旅人は、森、滝、星砂、月光、琥珀、歯車、ネオン雨を思い浮かべた。


それぞれの名前は大切だ。


でも、名前を並べると、それだけで分かったように見える。


リオは、皿の外へ置いた三つの粒をさらに外へ移した。


「あとで数えたい粒にも、あとでの置き場が必要です」


`あとで数えたい粒の外皿`


外皿は、粒を失くさなかった。


数える準備にも見えなかった。


ただ、今の聞き方の外で、あとでの手を休ませている。


旅人は、その外皿を見て、胸の中で鳴りそうだった七つの音が少しずつ離れていくのを感じた。


離れるから、なくならない。


なくならないから、あとで返せる。


根音は、低いままそこにあった。


外皿の粒は、三つだけではなかった。


見ようとすると、皿の縁の光が反射して、五つにも、七つにも見える。


数えたくなる。


数えたくなると、今度は根音から離れて、粒だけを見てしまう。


旅人は、目を細めた。


ミャオリンがすぐ気づく。


「数えた顔にゃ」


「数えかけました」


「いいにゃ。数えかけたところで戻れるなら、数えたい手も置けるにゃ」


リオは、外皿のさらに外へ、細い輪を半分だけ置いた。


輪は粒を囲まない。


ただ、数えたい視線が外へ逃げすぎないよう、遠い端だけを示している。


`数えかけて戻る半輪`


札を置くと、粒は三つにも五つにも七つにも見えた。


見え方は変わらない。


変わったのは、数え終わらなくてもよいという足場だった。


旅人は、根音に近いところのくぼみへ耳を向けた。


音は相変わらず低い。


低いから、たくさんの名前に似る。


似るから、数えたくなる。


でも、数えきらないまま聞けるなら、根音は中心にならずにすむ。


ククルーが言った。


「聞くことと数えることは、近い時があるね」


旅人はうなずいた。


「近いけれど、同じにしない」


その言い方で、外皿の粒は少しだけ静かになった。


静かになると、今度は音が遠くなったように感じる。


遠くなると、追いかけたくなる。


旅人は、根音に近いところから少しだけ身を乗り出しそうになった。


ククルーが、何も言わずに足もとの線を見た。


言葉では止めない。


見ている場所だけで、旅人の手を低くする。


リオは、その視線に気づいて、床の線のそばに小さな布を敷いた。


布は音を吸い込まない。


むしろ、音が遠く見えた時に、足が一歩だけ戻れるような低い色をしていた。


`遠く聞こえた時の戻り布`


札を置くと、低い音は近づかなかった。


遠ざかりもしなかった。


旅人の足だけが、少し戻りやすくなった。


「遠く聞こえると、追いかけるのではなく戻ることもできます」


リオが言った。


ミャオリンが、耳を少し寝かせた。


「ネオンシャだと、遠い音ほど追いたくなるにゃ。先に着いた人が勝ちみたいな顔になるにゃ」


「ここでは、勝たない」


旅人が言うと、ミャオリンはうなずいた。


「勝たない。聞くにゃ」


根音は、その言葉にも答えなかった。


答えないまま、床の下で低く残った。


旅人は、答えない音に向かって、勝たない手を置いた。


ククルーは、布に包んだ封筒を見た。


「速く決められないことが、持っていける形もあるよ」


封筒の細い光が、低い音に合わせて一度だけ揺れた。


開きはしない。


閉じきりもしない。


でも、ここへ来る前より、少しだけ軽く見えた。


軽くなったのではない。


持つ場所が増えたのだ。


旅人は、くぼみのそばに手を置いた。


今度も触れない。


触れないまま、低い音を聞いた。


低い音は、答えをくれない。


行き先も示さない。


けれど、次に聞くべきものが、一つではないことを教えてくれた。


教える、というより、急がないで残してくれた。


塔守りの声が、最後に低く響いた。


「根音は、中心の声ではありません」


旅人はうなずいた。


「手前が、そろわない音」


「はい」


「だから、返事もそろえない」


「はい」


くぼみの向こう側に、新しい通路が見えた。


壁の線が、その通路へ集まっているようで、集まりきってはいない。


それぞれの線が、自分の低さを持ったまま、次の場所へ続いている。


旅人は立ち上がった。


ククルーが封筒を腕に抱え直す。


ミャオリンは、しっぽで空中に小さな輪を描いた。


リオは三枚の札をそろえずに持った。


`根音に近いところ`


`呼びすぎない札`


`七つの返事を一つにしない札`


三枚の高さは少しずつ違う。


その違いが、今はちょうどよかった。


旅人は、低い広場を振り返った。


サイバリアの根音は、まだそこにある。


ただし、中心にあるのではない。


聞き急ぐ手の少し手前で、七つの返事が別々に鳴るのを待っていた。

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