第25話『失態』
「笑えぬ失態だな、レオンハルト」
執務室の扉に手を掛ける直前、ノワールはその声を聞いた。
普段は豪快でありながら柔らかい印象のあるヴィクトリアの、聞いたこともないほど冷たい声だった。
「ヴァレンシュタイン家長男ともあろうものが、目の前で易々と婚約者を連れ去られるとは」
「……はい」
「ノワールは今頃殺されていてもおかしくはなかった」
一切の弁解を認めないとでも言うような、淡々とした声だった。
それが一つの溜息を挟んだ後、僅かに怒気を帯びる。
「このヴァレンシュタインの家紋に盾が刻まれているのは何故だ?――守るためだ。国を、民を、守るためにこの力は在る。それが我らの義務であり、誇りなのだ。少女一人守れぬのであれば、ヴァレンシュタインを名乗るべきではなかろうな」
「申し訳ありません」
汗の滲んだ手で、咄嗟にノワールは執務室の扉を開ける。
何を言うかも決まらないまま飛び込んだせいで、突然の沈黙が部屋に満ちた。
「……ノワールか」
「おい、その足で……!」
驚く素振りのないヴィクトリアは、もしかするとノワールの気配に気付いていたかもしれない。
レオンはノワールの素足に気付くなりすぐに駆け寄り抱き上げる。両足の痛みから解放されたノワールは目を丸くしていたが、すぐに気付いたように顔を赤らめていた。
「レ、レオンさん……!」
「部屋を出るなと言っただろう」
嗜めるような声。けれどもうそこに怒りの感情は無かった。
ヴィクトリアも一度瞼を伏せた後は、気を抜いたように椅子に深く体重を預ける。
「――説教はここまでだ。ノワールを部屋に戻しておけ。怪我が悪化しては困る」
「はい」
「ノワール」
部屋を出ようとしたレオンごと呼び止めるようにして、ヴィクトリアはノワールの名を呼ぶ。
その表情はいつもの柔らかい笑みで。
「無事で良かった」
「……!」
「レオン。続きは明日だ。『あの女』も呼んでおけ」
「分かりました」
そうしてレオンの腕に抱かれながら、自室の部屋までの道を戻る。
腕のやり場に困りながら、ノワールは緊張で体を強張らせていた。
「なぜ部屋を出てきたんだ、そんな足で」
「だ、だって……」
叱るというにはあまりに優しい声だった。レオンの顔はすぐそこにあるが、羞恥のせいでとてもじゃないが直視は出来ない。ノワールは視線を彷徨わせつつ、言葉を探して口を開く。
「……レオンさんのせいではなかったと、伝えに行きたくて」
そう伝えても、返事は戻らない。
レオンの顔色を伺いたいが、また怒っていたら。あるいは悲しんでいたら、自分も悲しくなってしまう。
そんな想像に思わず怯えて、ノワールは俯く。
「……そうか」
少しの間の後で返ってきたのは、非常に短い返事だけだった。
やがてノワールの部屋まで戻ってくると、レオンは真っ先にノワールをベッドに降ろした。
世話をしに来たメイドもノワールの不在に慌てていたようで、ほっと胸を撫で下ろしていた。
簡単に足の裏を拭いてもらい、ベッドの中へと戻される。
窓の外を見ると、もう朝日が上りはじめようとしていた。
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