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第23話『安堵』


 力無く横たわった体に、血の気が引いた。僅かに上下する胸だけが、ノワールがまだ生きていると知らせていた。

 レオンハルトは、汚く呻く男を見下ろす。


(氷で、その汚い口まで覆ってやろうか。いや、このまま死なない程度に切り刻んでやろうか。殴る程度では到底足りはしない)


 どちらが苦痛だろうか。

 無抵抗の少女をここまで痛め付けたのだ、相応の覚悟くらいはあるだろう。

 答えが出ないままに剣を振り上げる。だが。


「止めろ、レオンハルト」


 背後からの厳しい声が制止を掛ける。姉のヴィクトリアが追い付いたようだ。

 辛うじて男の胴に刃が突き刺さる寸前で振り下ろされた剣は止まったが、それはほんの少しの理性によってだ。

 返事をする余裕も無い。今すぐ剣を握る腕に力を込めてやりたかった。


「ひっ……ひッ……!」


 動かない四肢で、それでももがいてレオンから距離を取ろうとする男を、ただ見下ろすしかできない。


「尋問が必要だ。間違って殺されでもしたらかなわん。見付け次第、拘束しろとだけ命じたはずだ」

 

「…………分かっています」


 馬に乗ったヴィクトリアが、数人の騎士を連れて到着した。

 そのうちの一人が、レオンの愛馬を連れていた。つい数秒前に、剣を振るうためそこから飛び降りたばかりだ。


「全く。馬は乗り捨てるものではない」


 呆れたような声を聞きながら、剣を収めたレオンはノワールを抱える。

 腕から、足から、切れた唇から。額からも血を流している。

 その全てが『お前の責任だ』と、レオンを責めているように感じられた。


「……先に、屋敷へ帰ります」

 

「そうしろ。医者を用意させている。私はこの場を調べてから行く」


 氷の魔法での拘束が溶けた男を、今度は縄で捕縛していく騎士達。舌を噛まないよう、布を噛ませられている。

 それには視線も向けず、レオンはノワールを抱えて馬に跨り、屋敷を目指した。




 ノワールが目を覚ましたのは、薄暗い私室でのことだった。

 見慣れ始めてきた、屋敷の一室の天井だ。


「……ノワール?」


 いつもは静かな部屋で、聞き慣れた声が名前を読んだ。

 ノワールが視線を向けると、ベッドの傍らに置かれた椅子にレオンハルトの姿があった。

 その瞳は、驚いたように見開かれている。


「ノワール、……すまなかっ……」

 

「ああ、良かった……」


 レオンハルトの声に被るように、ノワールの唇は笑みを描いた。


(悲しんでいない。……悲しませずに、済んだ)


 意識が途絶えるまで、祈るように願っていたことを覚えている。

 彼の表情に悲しみが無いことへの、純粋な安堵だった。

 だがレオンの瞳は更なる驚愕を映した後、すぐに怒りに歪んだ。


「……良かった、だと……?」


 低く呟く。


「何が良いものか……自分の体を見てみろ!全身傷まみれで、頭も切っていたんだぞ。もう少し遅ければ、どうなっていたかも分からない……!」


 初めて向けられた、レオンからの怒りだった。

 ノワールは表情に大きな困惑を映しながら、訳も分からず癖のように答える。


「っ……ご、ごめんな、さい……」


 

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