ミラーコメント
大学三年の佐伯拓真は、深夜0時ちょうどにライブ配信を始めた。
アプリは「LiVee」——最近大学の友人たちの間で流行っている配信アプリだ。
授業もバイトもない金曜の夜。軽いノリで始めた深夜トーク枠のつもりだった。
「お、もう入ってくれてる人いるね。こんばんはー」
コメント欄に〈初見です〉〈声落ち着く〉と流れ、
拓真は気分よく、コンビニで買った缶チューハイを開けた。
三十分ほど経ったころ、コメントが一つ流れた。
〈部屋、後ろきれいですね〉
振り返ると、いつも通り散らかった部屋。
洗濯物、教科書、ベッド。どこが“きれい”なのか分からない。
気のせいだと思い、そのまま話を続けた。
〈それ、昨日も着てたね〉
妙なコメントが続いた。
昨日の配信はしていない。
誰かが別の配信者と勘違いしてるのかと思い、笑って流した。
〈このあと、ノックされますよ〉
拓真は眉をひそめた。
コメント欄はすぐに流れ、話題が切り替わった。
その数秒後、
――コン、コン。
本当にノック音がした。
心臓が跳ねた。
深夜一時過ぎ、宅配便も友人もありえない。
そっとドアを開けると、誰もいない。
怖さを誤魔化すようにスマホに戻ると、コメントが一気に流れていた。
〈戻ってきた〉
〈ちゃんと映ってるよ〉
〈今度は、鏡の方見て〉
部屋の隅、姿見の鏡。
配信画面にも小さく映っている。
拓真は鏡を画面越しに覗き込みながら、
半笑いで「なんだよ、ホラー仕掛けか?」と呟いた。
そのとき、コメントが止まった。
そして一行だけ、ゆっくりとコメントが流れた。
〈鏡の中の君、まだ動いてないよ〉
そのコメントを読んだ瞬間、背筋がひやりとした。
拓真は笑ってごまかそうとしたが、声がうまく出なかった。
配信画面のコメントは止まったまま。
まるで視聴者全員が同じ方向を見て息を潜めているようだった。
「……鏡、の中の俺?」
拓真はスマホを手に取り、カメラを切り替えて鏡を映した。
そこには、いつもの自分。
無表情でスマホを構えた青年が、画面の中にいる。
何もおかしくない。
そう思ったのは一瞬だった。
画面越しの自分のまばたきが、半拍遅れた。
反射のズレなどありえない。
光のタイミングでも、ネットのラグでもなかった。
「……え、今の、見えた?」
震える声で言うと、コメント欄が一斉に再開した。
〈見えた〉
〈やっと動いたね〉
〈今、鏡の方が本物だから〉
「何それ……?」
拓真は、笑えなかった。
鏡の中の“自分”は、スマホを持つ角度も、表情も、完璧に同じ。
ただ――その“自分”の口だけが、何かを呟いていた。
音はない。けれど唇の動きが、はっきり読めた。
「タクマ、うしろ」
反射的に振り返る。
そこには、何もいない。
暗い部屋。
パソコンの光と、スマホの白い画面だけが彼を照らしている。
「やめろよ、マジで……」
拓真は配信を切ろうとした。
だが、アプリが反応しない。
“終了”をタップしても、ボタンが沈まない。
代わりにコメント欄に、また一行。
〈切るのはお前じゃない〉
スマホを床に落とした瞬間、
鏡の中の“拓真”が、笑った。
それは、こっちの拓真が笑っていないのに、笑っていた。
スマホを拾い上げ、再起動しようとする。
だが画面は真っ黒のまま、電源が入らない。
鏡を見ると、向こうの“自分”がスマホをいじっている。
まるで逆。
鏡の中が、こちらを映しているようでいて、主導権を持っていた。
そして、配信アプリの通知音が鳴った。
《LiVeeコメント通知:佐伯拓真さんがライブを開始しました》
「……は?」
拓真は息を飲む。
自分は、今配信をしていない。
けれどスマホに、もう一つの“自分の配信”が表示されている。
サムネイルには、鏡の中の部屋。
鏡の中の“彼”が、こちらを見ている。
配信タイトルには、こう書かれていた。
『ミラーコメント ― 本物のほうです』
⸻
画面の中の“自分”が、ゆっくり口を開く。
その唇の動きを、拓真ははっきり読めた。
「コメント、して。」
翌朝。
LiVeeのトレンドには、新しい人気配信者の名前が並んでいた。
佐伯拓真@本物です
配信タイトルはこうだった。
『コメントありがとう。鏡の向こうから全部見えてるよ』




