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 どうやら世の人々は年の瀬に外出したく無いらしい。繁忙期や普段の様子を知っている訳ではないが、名の通った温泉地なのだから、それなりには混雑するのだろう。しかし、今日に限って言えば、私たちの他は点々としか人がいない。

 人熱れは苦手だから都合が良い。寒い日に人は外出したくないのだろうか、いや、師走というくらいなのだから、大抵の人は年末の調整のために奔走しているのだろう。小学生にしろ社会人にしろ外部の時間に束縛された人々というのは難儀なものだ。こういう時−つまりその権能を行使している時−私は大学生であるということを強く意識する。外部の時間に縛られず、平日や閑散期に観光や行楽を満喫することができるのである。

 冬の澄んだ空気が日光を鋭く反射させている。水晶体に侵入した光が視界の中でレンズフレアを発生させ、眩く煌めく。絵になるような美しい光景ではあるが、強い日差しが冬の割に気温を高めている。天気予報の気温を見て着込んできたのだが、客観的な情報と実際の体感温度とは異なるようだ。

 汗ばんできたのでコートを脱いで手に持つ。一年の冬、大学生になったのだからと見栄を張り、アルバイトで得た給料の大部分を消費して購入したアンゴラウサギの被毛で織られたロングコートは、保温性に優れ、それまでに着てきたどんな安物の合成繊維のものよりも温かかった。大学の周辺は、地元に比べるとひどく寒いので、このコートの温かさには随分と助けられたのだが、山口市の冬は私の地元と近しい気温のようだ。緯度は二度も変わらないのだが、ここまで気候が変化するのか。地形の相違が影響しているのだろうか。「お?コート脱ぐん?お洒落やん?」ただ暑さを感じてきたのでそうしただけなのだが、晋作は何でもかんでも好意的に受け取るようだ。能天気なやつは人生楽しそうで羨ましいものだ。

 晋作に導かれるがまま道を歩いてゆく。しかし、この案内人は先ほどからスマホの小さな画面に表示されている地図にご執心であり、一方から見るだけでは飽き足らず、右に左にぐるぐると液晶を回転させて、あらゆる角度から睨めつけて、私に不安を与える。ただでさえ迷っているのだから、そんなに地図を回転させてはますます混乱するばかりだろうに。冷静さを欠いた人間に合理的な判断など期待できない。

 見て分かるように晋作は地図を読むことが出来ない。現在地を中心に広く見積もって半径数百メートルの範囲ならば、方向音痴だろうが関係は無かろうと高を括っていたのだが、果たして距離の問題ではないのだろうか。それともある距離までは認識できても、ある距離からは認識できなくなるというように、閾値があるのかと考察を試みかけたものの、そのような誤差に意味など無いのである。この距離で徘徊するようであれば、日常生活を送る上では単なる昼行灯だ。道案内など頼まなければ良い。

 そんなことを考えている間に、私たちは寂れた路地裏に入り込んでいた。開店前の居酒屋と民家らしきものが立ち並び、コンクリートのブロック塀とアスファルトの隙間には細々とした枯草が突き刺さっている。「こんな所に店なんかあるんか?」と私は疑義を提出する。「多分こっちの方、いや、あっちかも。」「もうさっきあった店にしねえか?」

 この隘路に至るまでに、このあたりの景色については色々と見ていたのだが−これは私の生来の癖である。建物や通行人の服装、鳥の鳴き声の出処が私の意識を拐かし、目に映った山に十円禿があれば、この理由を勘繰ってしまう。名探偵ホームズとは異なってすべてを観察し推理に役立てる訳では無いが、少なくとも画面の中の情報に首ったけな現代人の中では、現実を見ていると自負している。−そのおかげで駐輪場を出てから程なくした所に飲食店の存在を一瞥していた。店の一角を地産品店が占めていた上に、客は閑古鳥だけだったので飲食店なのか否か、営業しているのかは随分と分かりづらかったのだが、確かに飲食店としての体裁は成していたのだ。

 一瞬、時間が停止したように晋作は呆けた顔をする。「店なんかあったそ?」「来る途中にな。そっちのが早いし確実やろ。」「確かに。なら博文の言った所にするか。」俄に名残惜しそうな表情を浮かべ逡巡したように見えたが、指導者の責任から解放されたことと空腹を満たすことができることとの喜びや安堵からか、すぐに相好を崩し、踵を返していそいそと歩み始めた。日帰りの小旅行なのだから、些か大袈裟な物言いなのだが、こうして道に迷うことも旅の醍醐味であろう。そう感慨に耽りながら、私たちは元来た道を辿る。

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