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 傍にあった竹細工の椅子に腰掛ける。体重を預けると、僅かに発せられた軋みも、心地良く感じられる。椅子に座ると、目線の先には、丁度テレビがあって、今日のニュースを放送していた。私は、ぼんやりとそれを眺めながら、フルーツ牛乳の蓋を開けた。まずは甘味が欲しかった。

 私たちは、疲れているからかお互い、特に何も話さなかった。ただ椅子に身を預けて、湯上がりの熱を帯びた体に冷たい牛乳を流し込み、余韻に浸っていた。

 そもそも、我々は女ではない。いくら我々が話の長い国語教師の予備軍とはいえ、男が二人でそう長々と話をするものではない。

 寛いでいると眠気が襲ってきた。このまま、この温泉の営業終了時刻までーこの眠気であれば、何もしなければ翌朝まで眠るのだろうが、実際には職員に起こされるだろうからー眠ってしまいそうだ。そしてそれは、どうやら私だけでは無いらしい。

「やべぇ、寝そう。」

と、晋作は脱力しきって、水揚げされた蛸のようである。

「なら、帰るか。」

そう言って立ち上がろうとすると、重い倦怠感が全身を駆け巡った。

「やばい、めっちゃしんどい。」

「えー?何故?」

「長風呂しすぎた。マラソンの後くらいしんどい。」

「やば。」

そう言いながら晋作は笑っている。

 長時間風呂に浸かったのと、心地の良かったジャグジーとによって揉み返しのような状態になっているのだろうか。晋作に説明したように、持久走の後かと思われるほど身体が重く、足に力が入らない。なるほど、先の睡魔は精神的な安らぎからというだけではなくて、この疲労のせいでもあったのか。率直に言って今すぐにでも眠ってしまいたいが、そうもいかないので重い体を引きずって歩く。

 私たちが帰路に就いた時、私の胸にあったものは、ここに至った時とは異なる感慨であった。またそれは、旅の終わりに感じる、あの一抹の寂しさとも異なるものであった。つまりそれは、ある幸福を失った時に抱くあの虚ろさであり、「ああ、これで元の生活に戻るのだな」という感慨であった。

 言うまでも無く、この思いは、この温泉一帯の境界を越えたことがもたらしたものである。およそ二分ほどであっただろうか、緩やかな坂路を下ると、終わりが告げられた。もっとも、境界といっても、塀や門がある訳では無い。しかし、手入れされた生垣や林を包み込む冷たい、それでいてどこか水気を帯びて潤いのある空気が確かにあって、今私が踏み出した一歩は、明らかにその外側を感じさせた。

 大通りの方まで戻って来た。やはりこの辺りは先程までとはまるで異なる場所であると思われる。整えられているのは道や建築、人工物だけで、自然は放置されている。見ると、沿道の脇、土の露出したす隙間や空き地には、真冬の凍った空気の中、幾本ものセイタカアワダチソウだけが立っていた。どれもみな花房に雪のような白い綿を湛えているが、中には鮮やかな黄色い花を咲かせているアナクロにストもいた。

 セイタカアワダチソウは、根から毒素を吐き出し、他の植物を自らの生活圏から排斥するという。彼らの足元には、その他の植物が枯れて茶色く倒れていた。それは冬の太平洋の波のように、或いは野生の獣の流れる毛皮のように渦巻いていた。

 異国からやって来た推参者は、彼らが生存競争を生き抜いてきたそのやり方で、この地でも力を恣にしているのであった。その様を眺めていると、男とすれ違った。

 私たちがここに到着した頃には、人通りもなく、暖簾を下ろした店々が立ち並び、随分と寂れた印象を与えたものだった。しかし、道行く彼は誰かと問わねばならぬ夕闇が町を覆うようになって漸く、夜行性の店は明かりを灯し、人々は集い始めた。

 昼間に見かけた、硝子張りの現代的な造りの居酒屋は、この町には不似合いな印象であったが、その縁の中に人々の賑わいを照らし出すことで、その真価を発揮した。

 夜景を彩る煌めきの一つとして、それはあたかもクリスマスのイルミネーションの体である。

 年の瀬の町は、暗闇の中に明かりが瞬いており、とても美しかった。昼間は太陽が照らし出してしまう傷や汚れも、夜の闇は隠してくれる。人々が賑わう明かりだけがはっきりと見える。だから夜景は美しいのだと私は思う。

 ここまで、来た道を帰っているはずだった。復路は、往路に対してその所要時間を短く感じさせるものだが、全く異なる姿を見せる町は、別の地であった。

 長方形の煉瓦が規則的に敷き詰められた歩道は、疲労を湛えた今の私には、どこまでも続いていくように錯覚された。

「自分らも教師になったら、今くらいの時期に宴会とかするんかな?」

「聞き分けの悪い生徒と、厄介な親の文句を肴に飲む酒は旨いだろうな。」

と、少し批評めいたことを言ってみた。

「うちのクラスの誰々がこんなことしてな〜ってな。この前もうちの店に小学校の先生らが来たんよ。」

「愚痴やった?」

「いや、ビンゴ大会してた。」

「健全やな。」

「楽しそうやった。参加したかったもん。」

「それはお前がビンゴ好きなだけやろ。」

などとくだらないことを話しているうちに、駐車場に辿り着いた。

 帰宅ラッシュに巻き込まれて車はほとんど止まってばかりであった。渋滞に捕まっている間、自分の好きな曲を交代で流しながら、適当なことをぽつぽつと話した。その間も、車の横を自転車が颯爽と通り抜けていった。

 一時間もしないうちに渋滞からは抜け出すことができた。心地の良い音楽を聴きながら、窓の外を眺める。外は相変わらず真っ暗闇だが、空よりも山の方が却って黒いことに気が付いた。真っ黒な山と田畑ばかりが流れる中、目の前を大きな白い橋脚が通り過ぎた。

 蜂の巣のように、正六角形に区切られたコンクリートの塊が、皆正しい形で、正しい順序で詰め寄っていた。そこには規則があった。車窓の外も、中も同じく規則的であった。車の部品は、全て規則的に繋げられている。

 全てが規則的である中、湯田温泉の町にあった自然だけが、ただ規則的でないように思えた。記憶の中では、十メートルか十五メートル先に一本の柿の木が生えている。全ての葉が枯れ落ち、赤黒い果実を、悴む指の先で重たそうに摘んでいる。この一本の柿の木もやはり不規則に見えた。

 しかし、規則的であるのか否かというのは、ただ目に見えて分かりやすい規則であるかどうかというだけのことで、先の六角形が目に見えて分かりやすい規則だったに過ぎない。

 記憶の中にある不規則に見える自然も、人の目では捉えられないだけで、全ては一つの規則によって統一されているのである。

 先程の大きな橋脚は、工事中の高速道路のものだろう。インターが近い。この後は、晋作の地元にあるとかいうラーメン屋で夕飯にしてー以前から何度もその味を熱弁していた晋作は、人を連れてくる機会を伺っていたものと思われるー帰る予定だ。

 果たしてこいつの言うように、わざわざ高速を降りてまで寄る価値のある店なのか、楽しみだ。

以上でこの物語は終わりです。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

これからもちょくちょく作品は投稿していきます。いつかは、面白い物語を書けるようになれれば良いなと思っています。

皆様、良いお年をお迎えください。

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