そのドゴン、本当にコンパクトですか?
カランコロン、とドアベルが軽やかな音を立てる。
「いらっしゃいま……あ、田崎さん。こんにちはー!」
買取専門店「時の蔵」。
そのカウンターで暇そうにスマホをいじっていたアルバイトの桃香が、入ってきた紳士に笑顔を向ける。
店長のコオタは、店の奥で難しい顔をして古い時計のムーブメントを覗き込んでいる。
「桃香ちゃん、こんにちは。店長はまた難しい顔をしてるね」
「高額品は面倒だって言いながら、結局好きなんですよ」
くすくすと笑う桃香の目の前には、ブランド品解説サイトのページが開かれている。
「店長ー、ちょっといいですか? エルメスの『ドゴン』について調べてるんですけど、GMとかロングとか、デュオとかレクトヴェルソとか……名前がいっぱいあって、もうワケわかりません!」
その言葉に、コオタは顔をしかめながらルーペを外した。
「あー、ドゴンか。面倒なやつの代表格だな。まず、昔の呼び方と今の呼び方が混在してるのが厄介なんだ。今はGMなんて言わない。デュオだ、デュオ」
「へぇー! じゃあ、この中古サイトに載ってる『ドゴンGM』は『ドゴンデュオ』のことなんですね!」
「そういうこった。ロングはレクトヴェルソ。初心者はそこでまず混乱する」
面倒くさそうに答えるコオタの横から、ふふ、と田崎さんの笑い声がした。
彼はいつの間にかカウンターの椅子に腰掛けていた。
「いいところに気づいたね、桃香ちゃん。ドゴンは、あの丸い『セリエ』金具に革ベルトを通すデザインの総称で、その後ろに続く名前で全く別の商品になるんだ」
「そうなんです! 田崎さん、教えてください!」
ブランド好きの桃香の目がキラキラと輝く。
コオタは「やれやれ」と肩をすくめたが、どこか興味深そうに耳を傾けている。
「まず、桃香ちゃんが混乱してた『ドゴン デュオ』。これは旧GMのことで、財布の中では大きい部類だね。最大の特徴は、中のコインケースが取り外せること」
「便利!……と思いきや?」
「なくす人が多い」
と、コオタがぼそりと言った。
「コインケースだけで査定に持ち込まれることもあるし、逆に財布本体だけで『これいくら?』って言われてもな。もちろん、足りなければ査定額に響く」
「うわぁ、気をつけなきゃ……」
「そして『ドゴン レクトヴェルソ』、旧ロングだね。これはデュオより少しだけ横に長くて、高さは低い。背面にファスナー付きの小銭入れが一体化しているのが特徴だ。カード入れが豊富だから、キャッシュレス派でカードをたくさん持ち歩く人にはこっちが人気かな」
「なるほどー! 用途が全然違いますね」
桃香は必死にメモを取る。
「じゃあ、この『ドゴン コンパクト』は?」
「それは二つ折りのタイプ。お札は折らないと入らない。でも、小銭入れがファスナー式でガバっと開くから、小銭の出し入れはしやすいんだ」
田崎さんが続ける。
「ここで一番の間違いが起きやすいのが、『ドゴン コインケース』との混同だ」
「えっ、コインケース?」
「そう。ネットの中古品なんかだと、ドゴン コンパクトをコインケースとして売っていたり、その逆もよくある。でも全くの別物だよ」
コオタが補足する。
「コンパクトはお札を折れば入る。だが、コインケースはもっと小さいから、さらにもう一回たたむくらいじゃないと厳しい。しかも、コインケースなのに小銭入れにファスナーが付いてないんだ」
「ええっ!? じゃあ小銭が落ちちゃいませんか?」
「そこはエルメスの作りで、案外落ちないようになってるんだよ。面白いだろう?」
田崎さんは楽しそうだ。
「ちなみに、鍵などを付けられる『ドゴン チェーン付きコインケース』というのもある。これも仕様は同じだね。さらに小さいのが『ドゴン カードケース』。名刺入れとして使う人が多いかな」
桃香の頭は情報でいっぱいだ。
しかし、田崎さんの講義はまだ終わらない。
「さて、ドゴンシリーズ以外にも、エルメスには紛らしいコインケースやカードケースがいくつかある。例えばこの4つ。バスティア、ヴァンキャトル、カルヴィ、カルヴィデュオ」
「ぜ、全部スナップボタンで留めるタイプ……ですよね?」
「その通り! まず『バスティア』は、ほぼ正方形。『ヴァンキャトル』は三角形。この2つは純粋なコインケースだ」
「形で覚えるんですね!」
「問題は次だ。『カルヴィ』。これは見た目からコインケースだと思われがちだけど、実はカードケースなんだ。見開きの両側にポケットがあるだけ」
「わ、これも間違えそう……」
「そして、そのカルヴィにコインケース機能を追加したのが『カルヴィデュオ』。片側にマチ付きのコインポケットがあって、スナップボタンで留められるようになったんだ」
コオタが最後に締めくくった。
「カルヴィとカルヴィデュオ。スナップボタンが付いただけで買取価格も全然違う。桃香、お前みたいなのが一番間違えそうだからな。しっかり覚えとけよ」
「は、はいっ! 勉強になりました! ありがとうございます、田崎さん!」
深々と頭を下げる桃香に、田崎さんはにこやかに手を振って店を出ていった。
「……で、店長」
「なんだ」
「田崎さんって、いったい何者なんですか?」
「さあな。ただの、やけにエルメスに詳しい暇人じゃないのか」
コオタはそう言って、再び古い時計と向き直った。
その横顔が、少しだけ楽しそうに見えたのを桃香は見逃さなかった。
買取専門店「時の蔵」の、少しだけ騒がしくて、とても勉強になる一日はこうして過ぎていく。




