マチが決め手のHな事情
カランコロン、とドアベルが軽やかな音を立てる。
しかし、買取カウンターの向こう側で、店長の僕、コオタの心は全く軽やかではなかった。
「……うへぇ」
目の前には、見慣れた、しかし今日はやけに存在感を放つ『H』の金具がずらりと並んでいる。
色も形も、大きさも違う、エルメスのベアンシリーズだ。
「店長!見てください、こんなにたくさんのベアン!圧巻ですね!あ、こっちは新型の金具だ!可愛い〜!」
キラキラと目を輝かせているのは、ブランド好きのアルバイト、桃香だ。
彼女にとっては宝の山だろうが、高額品、特にこういうバリエーションが多い品物は、査定する側の身にもなってほしい。頭が痛くなってくる。
「可愛いって言ったってな、桃香ちゃん。これ、財布だけで何種類あると思ってんだ。長財布に折りたたみ……もうわけがわからん」
僕が大きなため息をついた、その時だった。
「おや、今日は『H』祭りですかな」
カウンターの椅子にいつの間にか腰掛けていたのは、常連客の田崎さんだった。
今日も今日とて、どこから仕入れてくるのかわからない知識を披露しに来たらしい。
「田崎さん!そうなんですよ!見てください、このベアンたち!」
「ふむ。長財布の『ベアン』と『ベアンスフレ』、三つ折りの『ベアン 2PLIS』。それから、折りたたみは『ベアンミニ』に『ベアンコンパクト』、三つ折りの『ベアンコンビネ』。壮観ですな」
さらりと言ってのける田崎さんに、僕と桃香は顔を見合わせる。
「ちょ、ちょっと待ってください。財布だけで6種類もあるんですか!?」
「その通り。そもそもベアンの定義は、このH金具に革ベルトを通す形状のものを指しますからな。なので、こちらの『ベアン カードケース』と『ベアン キーケース』も、立派なベアンファミリーの一員というわけです」
田崎さんは、カウンターに置かれていたカードケースを指差した。
なるほど、H金具の小物がベアン、と考えれば少しはスッキリ……するか?
「あ、それで店長!さっき私が言ってた新型と旧型の話です!田崎さん、教えてあげてください!」
「ほう。桃香さんはよくご存知だ。店長、このH金具の中央、横棒の部分をよくご覧なさい」
言われるがままに二つの財布の金具を見比べる。
片方はただの横棒だが、もう片方は中央がくり抜かれて穴が空いているように見える。
「こっちのくり抜かれているのが新型です。今のトレンドはこちらなので、当然、買取の際も新型の方が高値がつきやすい。査定の重要なポイントですぞ」
「へぇ、そんなところで値段が変わるのか……」
僕は思わず感心してしまった。これだから田崎さんは侮れない。
「それでですね、田崎さん!私、ずっと気になってたんですけど、『ベアン』と『ベアンスフレ』って、すっごく似てません?どっちがいいんでしょう?」
桃香が身を乗り出して尋ねる。僕も気になっていた点だ。
「良い質問ですな。違いは『マチ』があるかないか、です。こちら、マチのない普通の『ベアン』は、非常にスリムです。お札やカードをあまり入れず、スタイリッシュに持ちたい方向け。スーツの内ポケットにもすっぽり収まるので、男性からの人気が高いですな」
田崎さんはそう言うと、薄い方の長財布を手に取り、ジャケットの胸元にしまう仕草をしてみせた。
「一方で、こちらの『ベアンスフレ』にはマチがある。その分、厚みは出ますが、お札やレシートをたくさん収納できます。必然的にバッグに入れて持ち運ぶことになるので、バッグを持ち歩くことが多い女性に人気があると言えるでしょう」
「なるほどー!じゃあ、たくさん入れたい人は、三つ折りの『ベアン 2PLIS』が最強ってことですね!」
「その通り。収納力で選ぶなら、デュプリは間違いない選択です」
話は折りたたみ財布に移る。
「じゃあ、この小さい子たちはどうなんですか?『ベアンミニ』と『ベアンコンパクト』……どっちも可愛くて選べない!」
「はっはっは。これもライフスタイル次第です。『ベアンミニ』は小銭入れがボタン式で、全体的に薄い。長財布のベアン同様、あまり量を入れない方向けですな。ズボンのポケットに入れても、そこまで膨らみません」
「一方、『ベアンコンパクト』は小銭入れがファスナー式。マチもあって収納力が高い。長財布は苦手だけど、しっかり収納したいという欲張りさんには、こちらがおすすめです」
「じゃあ、さらに欲張りな人は……?」
「三つ折りの『ベアンコンビネ』ですな。コンパクトさと収納力を両立したモデルです」
田崎さんの解説は止まらない。
「ちなみに、この『ベアンカードケース』は『ベアンミニ』とそっくりですが、見分けるポイントがあります。小銭入れ部分がカード入れになっているのはもちろんですが、外見で言うとH金具に通すベルトの長さ。ミニは長く、カードケースは短い。豆知識ですかな」
恐れ入りました、と僕が頭の中で白旗を上げていると、田崎さんは満足げに頷いた。
「いやぁ、勉強になりました!ベアンって奥が深いんですね!」
目を輝かせる桃香の横で、僕は目の前のベアンたちの査定額を計算し始め、再び頭を抱えるのだった。
H金具の新型と旧型、マチの有無、ファスナーかボタンか……。
(……ややこしすぎる!)
カランコロン、と新たな客の来店を告げるベルの音が、僕の心の叫びをかき消してくれた。




