表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/45

ピコタンは馬のエサ、プリュムは羽、コンスタンスは…?

大阪、夏の陽射しが少しだけ和らぐ午後4時過ぎ。

買取専門店「時の蔵」の店内は、アンティーク時計の穏やかな駆動音に満たされている。


「はぁ……素敵だなぁ、エルメス……」


カウンターに頬杖をつき、スマホの画面に映るオレンジ色の箱にうっとりしているのは、アルバイトの桃香ももかだ。彼女の視線の先には、美しいフォルムのバッグが鎮座している。


「また見てるのか、桃香ちゃん。うちはブランド品より古時計がメインなんだがな」


PCの顧客リストを眺めながら、気だるそうに声をかけたのは店長のコオタだ。

無精髭に眠そうな目。高額品、特にきらびやかなブランド品にはあまり興味がなさそうだ。


「だって店長! エルメスですよ! ピコタンとか一度でいいから持ってみたいです!」


「ピコタンねぇ。昔の『ピコタン』と、今の『ピコタンロック』じゃ、全然価値が違うのは知ってるか?」


「えっ、そうなんですか? サイズはどっちも同じですよね?」


コオタは「やれやれ」

と首を振りながら、面倒くさそうに、しかし的確に説明を始めた。


「バッグの口を閉じるベルトがあるだろ。あれに穴が開いてて、南京錠…カデナが付くのが『ロック』。付かない、ただのベルトなのが昔の『ピコタン』。ただそれだけなんだが…」


「それだけで?」


「ああ。鍵がついて防犯性が上がった、ってことになってな。中古価格も天と地だ。普通のピコタンなら数万から10万円がいいところだが、ピコタンロックは違う。人気のPMやMMサイズなら、一気に50万から80万円になる。逆にGMは少し大きすぎるのか、40万から60万に少し下がるがな。うちもロックなら本部に連絡だ」


「へぇー! 鍵一つでそんなに!」


カラン、とドアベルが鳴り、人の良さそうな初老の男性が入ってきた。


「おや、エルメスの話ですか。賑やかでいいですな」

「あ、田崎さん! こんにちは!」


「どうも、コオタ店長。今日はこの懐中時計を…っと、その前に少しだけ」


常連客の田崎さんは、人の話を聞くのが好きなのか、にこやかにカウンターに近づいた。


「ピコタンロックもいいですが、通好みといえば『プリュム』でしょうな。あのバッグは実にバリエーションが豊かだ」


桃香は待ってましたとばかりに目を輝かせた。

「プリュム! 私も好きです! でも、エランとかドッグとか、違いがよく分からなくて…」


田崎さんは、まるで自分のコレクションを語るかのように、嬉しそうに話し始めた。


「長方形の基本フォルムが『プリュム』。それをもっと横長にして、よりエレガントにしたのが『プリュムエラン』。そして、あの美しいフォルムのままA4サイズが入るビジネスバッグにしたのが『プリュムドッグ』。面白いのは、中古価格の付き方でしてね」


「価格の付き方、ですか?」


「ええ。プリュムは驚くことに、大きくなるほど安くなる傾向がある。一番小さいプリュム20…ミニプリュムですね、これが50万から90万とダントツの人気なのに、28は30~60万、32は30~50万と下がっていく。不思議でしょう?」


「面白い! プリュムエランはどうなんですか?」


「エランは28サイズが人気で、大体40万から70万。こちらはサイズで大きな違いは出にくいですな。一番複雑なのがプリュムドッグ。生地で価格が全く違う。トワルという布地とのコンビなら15~30万ですが、トゴやフィヨルドといった上質な革になると40~70万まで跳ね上がる。個体差が大きいので、目利きが試されるバッグです」


田崎さんの淀みない解説に、桃香はすっかり引き込まれている。


「田崎さん、詳しすぎます…! じゃあ! じゃあ! 私の一番の憧れ、『コンスタンス』はどうですか!?」

「出たな、お化けバッグ」


コオタがぼそりと呟いた。

「あれはもう、うちみたいな個店じゃ扱いきれん代物だ」


田崎さんはその言葉に微笑みで応え、桃香に向き直った。

「コンスタンスこそ、物語の塊ですな。まず、Ⅰ(ワン)とⅢ(スリー)があるのはご存じで?」

「はい! でも、Ⅱ(ツー)がないって聞いて、不思議だなって…」


「ええ。そしてⅠとⅢの違いは2つ。バッグの内側に仕切りが『ある』のがⅢ、『ない』のがⅠ。そしてもう一つは…」


「背面ポケット! 『ある』のがⅠで、『ない』のがⅢ! エヴリンとは逆で、ポケットがない方が新しいんですよね!」


「お見事。その通りです」


田崎さんは満足そうに頷いた。

「そして中古価格も、まさにプレミア。一番人気の18サイズは160万から240万。24サイズより高くなるんですから、驚きです。新しい刻印の方が数万から数十万高くなるのも、このクラスならではですな」


「はぁ……夢みたい……」


「コンスタンスには素敵な逸話もあってね。デザイナーのカトリーヌ・シャイエが、デザインを完成させた日に生まれた5人目の娘さんの名前を付けたんですよ」



「素敵……!」


「それに、あの大きなHの金具。あれはフラップを開閉する時に『カチッ』という小気味よい音がするように、わざと作られている。こだわりの一つです」


うっとりと目を閉じる桃香。その横から、コオタが冷や水を浴びせるように言った。


「で、桃香ちゃん。その『カチッ』て音がしなかったり、緩かったりしたら、その中古品はどうなるか分かるか?」

「えっ…?」


桃香がキョトンとすると、コオタは店長の顔で静かに言った。


「当然、査定はガタ落ちだ。機能不良だからな。どんなに綺麗でも、修理代と手間を考えたら大幅減額。それが俺たちの仕事だ。夢だけ見てちゃ、足元をすくわれるぞ」


シン、と静まり返る店内。アンティーク時計の音だけが響く。

やがて、田崎さんが「いやはや」と手を叩いた。


「さすがはコオタ店長。目の付け所が違いますな。勉強になりました」

「奥が深いんですね、買取って……」

桃香も神妙な顔で頷いている。


コオたは少し照れくさそうに頭を掻いた。

「ま、うちはコンスタンスより、そこの田崎さんが持ってきたみたいな、じいさんの古時計を見てる方が性に合ってるんだけどな」


その言葉に、店内にふわりと和やかな笑いが広がった。時の蔵の日常は、今日もまた、少しだけ知識を深めながら過ぎていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ