マドモアゼルとパレンテシとカナージュと〜今日の買取奮闘記〜
8月も下旬に差し掛かった、日曜日の午後4時過ぎ。
傾きかけた夏の終わりの日差しが、ここ「時の蔵」の店内に気だるく差し込んでいる。
夏休み最後の週末だからだろうか、今日の買取カウンターは朝から大忙しだった。
「はぁ……日曜の午後は、なんでこんなにキラキラしたものが集まってくるんだ……」
僕、店長のコオタは、査定を終えた品々の伝票を整理しながら、一人静かにため息をついた。
「店長、お疲れ様です!でも見てください、この素敵な品々!」
そんな僕の憂鬱を吹き飛ばすかのように、アルバイトの桃香ちゃんがキラキラした目で品物を並べ始めた。
「まず、このエルメスのマドモアゼル チェーンバッグ!ヴィンテージなのにすごく綺麗です!中央にあるHの留め具の、コンスタンスとはまた違った魅力で…本当に、このマドモアゼルという名前がぴったり!」
僕には「重そうなHのバッグ」としか思えないが、彼女には物語が見えるらしい。
「それから、こちらのブルガリ パレンテシ バングルも素敵ですよね!この独特の模様、パレンテシってイタリア語で括弧()っていう意味なんですって。このパレンテシのデザイン、洗練されてます!」
「かっこ…?ブルガリのかっこ…?」
僕が意味もわからず呟いていると、カランコロン、と涼やかなドアベルの音が響いた。
「こんにちは。夏の終わりは、家の整理をする人が増えるからね。良い品が集まったようだ」
現れたのは、もちろん常連客の田崎さんだ。彼はカウンターの品々を優雅に一瞥した。
「おや、ブルガリのパレンテシか。そのデザインは、古代ローマの石畳のジョイント部分から着想を得た、ブルガリの原点とも言えるモチーフだよ」
田崎さんは隣のトートバッグにも目を留めた。
「こちらのディオール パナレアのカナージュ柄トートバッグも、元をたどればナポレオン三世様式の椅子の編み目だ。良いデザインというのは、意外な日常の中に隠れているものだね」
「そうなんですね!」
と桃香ちゃんが感心したように声を上げる。
「このディオールのパナレアトートバッグはもう廃盤のラインですけど、このカナージュ柄はディオールの象徴ですもんね!」
僕が二人の高尚な会話に圧倒されていると、田崎さんは最後に、僕が一番苦手そうな腕時計を指さした。
「そして…コオタ君、それが今日のラスボスだね。カルティエのマストタンク ヴェルメイユ スリーカラー。情報がてんこ盛りだ」
「うっ…かるてぃえ…ますとたんく…ゔぇるめいゆ…すりーからー…やっぱり呪文じゃないですか…」
田崎さんは楽しそうに微笑み、一つずつ丁寧に解説してくれた。
「マストタンクは、ヴィンテージとして絶大な人気を誇るモデル。ヴェルメイユというのは、銀無垢のケースに金を貼り付ける、とても手間のかかる伝統技法のことさ。そして文字盤のスリーカラーは、カルティエの象徴であるトリニティリングと同じ概念を表している。この小さなマストタンク ヴェルメイユに、カルティエの全てが詰まっているんだよ」
全ての解説が終わり、僕の脳は完全に処理能力の限界を超えた。
「エルメスのマドモアゼル…ブルガリのパレンテシ…ディオールのパナレアにカナージュ…カルティエのマストタンク ヴェルメイユ スリーカラー…。もう夏の終わりの打ち上げ花火みたいに、頭の中で全部爆発したよ……」
僕がぐったりしていると、桃香ちゃんがポンと手を叩いた。
「じゃあ、夏の思い出に、今日の買取品で一句詠みましょう!」
「え、俳句!?」
桃香ちゃんは少し考えて、自信満々に詠んだ。
「『マドモアゼル Hのロゴに 秋の風』どうでしょう!」
「ほう、乙だね」
と田崎さんが頷く。
「では私は、『石畳 パレンテシの腕 涼やかに』」
二人の雅な句に、僕はプレッシャーを感じながらも必死に頭を捻った。
「じゃあ僕も! 『カナージュの バッグを持ったら 肩こった』!」
「店長!それはただの感想!情緒がゼロです!」
桃香ちゃんに一蹴され、僕は腕時計を睨みつけながら叫んだ。
「じゃあ、これでどうだ! 『ヴェルメイユ 長くて言えぬ マストタンク』!」
その瞬間、桃香ちゃんと田崎さんは顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。
「ははは!コオタ君、それが一番、君らしい名句かもしれないね!」
夏の終わりの「時の蔵」。
僕の頭は情報でパンク寸前だったけど、三人の笑い声が、店内にいつまでも響いていた。




