姫のエナメルとギザギザのゴヤール 〜今日の買取奮闘記〜
じっとりとした湿気が残る、夏の終わりの「時の蔵」。
僕、コオタは今日の買取伝票を整理しながら、一人、カウンターの向こうで頭を抱えていた。
「……るい・ゔぃとん、えぴ、おーがないざー・どぅ・ぽっしゅ……」
まるで古代遺跡から発掘された呪文だ。
こんな長い名前、どうやって覚えればいいんだ。
僕は、伝票の山を前に、早くも戦意を喪失しかけていた。
「店長、お疲れ様です!わぁ、素敵な品々が揃いましたね!」
バックヤードから戻ってきたアルバイトの桃香ちゃんが、カウンターの品々を見て目を輝かせている。
「あ、これ!ルイ・ヴィトンのエピ、オーガナイザー・ドゥ・ポッシュじゃないですか!エピ・レザーの型押しが上品で、ポケットもたくさんあって機能的なカードケースなんですよね。このエピ オーガナイザー・ドゥ・ポッシュ、私も欲しいくらいです!」
僕には「呪文のカード入れ」にしか見えないが、桃香ちゃんには宝物に見えるらしい。
「あ、こっちのルイ・ヴィトン ポシェット・フロランティーヌも可愛い!ウエストポーチ、今また人気なんですよ!」
「ふろらんてぃーぬ…?」
「はい、ポシェット・フロランティーヌです!これはもう廃盤品なので、状態が良いものは価値が高いんです。特にこのポシェット・フロランティーヌは、別売りのベルトのサイズがすごく重要でして…」
僕がヴィトンの波に溺れかけていると、桃香ちゃんは次に、Yの字が並んだような模様のカードケースを手に取った。
「そして、これ!ゴヤールのヘリンボーン柄のカードケース!このヘリンボーンっていう杉綾模様が、職人さんの手描きってところがすごいんですよね!」
僕が「ぎざぎざのやつか…」と呟いた、その時だった。
カランコロン、と涼やかなドアベルの音が響く。
「おや、ゴヤールのヘリンボーンとは、また玄人好みの逸品を買い取ったね」
いつの間にか現れた常連の田崎さんが、柔和な笑みを浮かべていた。
「田崎さん!そうなんです、このゴヤールのヘリンボーン、素敵ですよね!」
「ああ。ヴィトンより歴史が古く、多くを語らないブランドだが、わかる人にはわかる。その価値を正しく見極めた君たちも、大したものだ」
田崎さんはそう言うと、最後に残った黒く艶やかなショルダーバッグに目を移した。
「そして、これは…見事なシャネルのダイアナ。しかもパテントレザーか。これは査定が難しかっただろう?」
田崎さんの言葉に、桃香ちゃんが待ってましたとばかりに頷く。
「はい!このシャネルのダイアナ、ヴィンテージとしてすごく人気なんですけど、何せパテントレザーなので…!ベタつきや色移りが出やすい、本当にデリケートな素材で…。このダイアナは奇跡的に状態が良かったですけど、パテントレザーの査定はいつも緊張します!」
「うむ。湿気に弱いパテントレザーの宿命だね。だが、このダイアナモデルは、その名の通り、英国のプリンセスが愛した気品が今もなお宿っている」
一通り、今日の買取品の解説が終わり、僕は再び頭を抱えた。
「ポシェット・フロランティーヌに、エピ オーガナイザー・ドゥ・ポッシュ…。ゴヤールのヘリンボーンに、シャネルのダイアナ…。もう何が何だか…」
すると、桃香ちゃんがポンと手を叩いた。
「じゃあ、店長が覚えられるように、今日の買取品にあだ名をつけましょう!」
「え、あだ名?」
「はい!まず、このウエストポーチのルイ・ヴィトン ポシェット・フロランティーヌは?」
「うーん……『お腹のヴィトン』!」
「安直すぎません!?…じゃあ、この呪文みたいな名前のルイ・ヴィトン エピ オーガナイザー・ドゥ・ポッシュは?」
「『早口言葉のカード入れ』!」
「ひどい!じゃあ、この由緒正しいゴヤールのヘリンボーン柄カードケースは?」
「『ギザギザのすごいヤツ』!」
「もうちょっと敬意を!じゃあ、この気品あふれるシャネル ダイアナのパテントレザーショルダーは!?」
「えーっと…………『姫様のテカテカバッグ』!」
僕の渾身のネーミングに、桃香ちゃんはこめかみを押さえて天を仰いだ。
そんな僕たちのやり取りを聞いていた田崎さんが、くつくつと喉を鳴らして静かに笑った。
「ははは。姫様のテカテカバッグ、か。…うん、あながち、間違ってはいないかもしれないね」
その言葉に、桃香ちゃんもつられて吹き出してしまった。
まあ、名前はともかく、今日の買取品のことは、これで一生忘れられそうにない。
買取専門店「時の蔵」の、賑やかで平和な一日だった。




