その革の声を聴け!〜シェーブル、ネゴンダ、フィヨルド、バレニア〜
昼食後の穏やかな時間が流れる「時の蔵」で、アルバイトの桃香が、真剣な顔でコオタ店長に訴えた。
「店長! 私、もっとお客様一人ひとりに合った、的確な商品の提案ができるようになりたいんです!」
その熱意に、店長はふっと息を吐くと、
「…口で言うのは簡単だ。なら、やってみろ」
と言った。
ちょうどその時、カラン、とドアベルが鳴り、田崎さんが入ってきた。
店長はその好機を逃さない。
「田崎さん、ちょうどよかった。こいつの接客ロールプレイングに、お客様役として付き合ってやってください」
「ほう、それは面白そうですね。お任せください」
こうして、桃香の特別接客研修が、急遽スタートした。
【お客様のご要望①:丈夫なガーデンパーティが欲しい】
田崎さん(客役)は、さっそくガーデンパーティが並ぶ棚の前で尋ねる。
「こんにちは。ガーデンパーティを探しているのですが、革の種類が多くて迷っていまして…。とにかく丈夫なものがいいのですが、ネゴンダとフィヨルドは、どう違うのですか?」
桃香(店員役)は、少し緊張しながらも、笑顔で答えた。
「ご来店ありがとうございます! ネゴンダとフィヨルドですね。どちらも大変丈夫な革ですが、それぞれに素晴らしい個性がございます。まず、こちらのネゴンダは、ガーデンパーティのために開発されたと言われるほど相性が良く、非常に丈夫でしっかりとした質感が魅力です。このしっかり者のネゴンダは、型崩れしにくいので、毎日タフにお使いになるお客様に、大変おすすめしております!」
「おい、桃香」
とコオタ指導教官の声が飛ぶ。
「フィヨルドの説明がまだだろ。ちゃんと比較して説明しろ」
「は、はい! 失礼いたしました! 一方の、こちらのフィヨルドは、ネゴンダと同じく大変丈夫な革ですが、一番の特徴は、水に強いことです! ですので、急な雨などを気にされるお客様には、この水に強いフィヨルドが安心でございます。また、トゴよりも柔らかく、革目が大きいのも、このフィヨルドならではの特徴です!」
【お客様のご要望②:軽くて発色の良い小物が欲しい】
「なるほど、よく分かりました」
と田崎さん(客役)は頷く。
「では、小物を探しているのですが、軽くて、色が綺麗な革はありますか?」
「それでしたら、こちらの山羊革、シェーブルがぴったりでございます!」
と桃香は、色鮮やかなカードケースを手に取った。
「このシェーブルは、なんといっても軽さと丈夫さ、そして、吸い込まれるような美しい発色が魅力なんです! 小さな小物でも、このシェーブルならではの美しいお色が、お客様の毎日を彩ってくれますよ!」
「綺麗ですね。では、こちらのシェーブル・マイソールというのは?」
「はい! こちらのシェーブル・マイソールというのは、同じ山羊革のシェーブルと比べて、より繊細で柔らかな質感が特徴でございます。ですので、うっとりするような手触りを重視されるお客様には、この繊細なシェーブル・マイソールを大変おすすめしております!」
【お客様のご要望③:革を『育てて』いきたい】
「最後に」と田崎さん(客役)は言う。
「長く使って、革そのものの変化を楽しめるような、そんなアイテムはありますか?」
「革を育てたい、ということであれば、こちらのバレニアはいかがでしょうか」
桃香は、マットな質感の手帳カバーを、そっと手袋の上に乗せた。
「このバレニアは、自然な風合いで、最初は傷がつきやすい、少しデリケートな革でございます。ですが、お客様が使い込むほどに、その傷の一つ一つが思い出となり、美しい飴色へとゆっくりと変化していくのが、このバレニアだけの最大の特徴です。お客様だけの物語を、このバレニアと共に、ぜひ育てていただきたいです」
ロールプレイングが終わり、桃香は少し息を切らしながらも、充実感に満ちていた。
「完璧な接客でしたよ、桃香さん」
と田崎さんが最高の賛辞を贈る。
「危うく、全部買ってしまいそうになりました」
「…まあ、客の言うことをオウム返しするだけじゃなく、ちゃんと自分の言葉で比較できるようになったのは、少しは成長したか」
店長も、彼なりの評価をくれた。
「ありがとうございます!」
と桃香は感動している。
「お客様の心に寄り添うのが、接客の第一歩ですもんね!」
「じゃあ」
と店長が、ニヤリと笑った。
「今の俺の心に寄り添ってみろ。俺が今、何を求めているか、当ててみろ」
突然の無茶振りに、桃香は店長の顔をじっと見つめ、ハッと閃いた。
「わかりました! 眠気覚ましの、濃くて、苦くて、美味しいコーヒーですね!」
「…正解だ。淹れてこい」
店長は、少しだけ驚いたように、そしてどこか嬉しそうに言った。
桃香が意気揚々とコーヒーを淹れに行くと、店長は
「…あいつ、本当に人の心に寄り添えるようになったのか?」
とポツリと呟く。
その呟きを聞いていた田崎さんは、くすくすと笑いながら、こう言った。
「いえ、コオタさん。今のあなたの顔には、はっきりと『コーヒー飲みたい』と、書いてありましたよ」
その言葉に、店長は少しだけ、照れくさそうに顔を背けるのだった。




