サブマリーナの歴史:桃香のオークションと金庫に眠る時の化石
もうすぐ閉店かという、少し気の緩んだ空気が流れる「時の蔵」。
アルバイトの桃香が、スマホの画面を見ながら、目を丸くしていた。
「わー! この古い時計、すごい値段で落札されてる! 家が買えちゃいそう!」
「素人が手を出すと、痛い火傷じゃ済まん世界だ」
コオタ店長が、伝票を整理しながら忠告する。
「もし、『時の蔵』に、そういうすごいお宝が入ってきたら、オークションに出したりもするんですか?」
桃香の素朴な疑問に、ちょうど来店した田崎さんが、にこやかに答えた。
「面白い仮定ですね。では、今ここで、幻のオークションを開催してみましょうか。もし仮に、アンティークのサブマリーナが3本ここにあったとして、あなたなら、どうその価値をアピールしますか? 桃香さん」
こうして、田崎さんが司会進行役となり、架空のオークションシミュレーションが始まった。
【出品物 No.1:サブマリーナ Ref.62シリーズ】
「では、最初のエントリーはこちら!」
と田崎さんが、カタログの写真を指差す。
「サブマリーナ初代との呼び声も高い、伝説のRef.62シリーズです! さあ、桃香さん、あなたならこの時計の紹介コメントを、どう書きますか?」
「はい!」
と桃香は勢いよく手を挙げる。
「『サブマリーナの歴史は、62シリーズから始まった! すべてのダイバーズウォッチの原点にして頂点! 伝説の初代モデル!(※諸説あります)』…みたいな感じで、ロマンを前面に押し出します!」
「ロマンだけじゃ、億万長者の財布の紐は緩まん」
とコオタが口を挟む。
「『カレンダーなしの、洗練を極めたシンメトリーなデザイン。半世紀以上の時を刻んできた風格。もはや美術品の域に達した資産価値。62シリーズの開始価格は、驚きの600万円から!』と、現実的な価値を具体的に謳え」
「素晴らしい。歴史的価値と資産的価値、両輪からのアピールが大切ですね」
と田崎さんが頷いた。
【出品物 No.2:サブマリーナ Ref.65シリーズ】
「続いては、こちら。映画で有名なあの英国スパイが愛用したとされる、ヒーローの腕で輝いた特別モデル、Ref.65シリーズです!」
「65シリーズはもう、キャッチコピーは一つしかありません! 『あのヒーローと同じ時を、あなたの腕に!』です! きっと世界中のファンが、入札ボタンを連打しますよ!」
桃香が興奮気味に言うと、コオタは「それもいいが」と前置きした上で、付け加えた。
「『65シリーズは映画で着用されたという逸話を持つ、極めて希少なコレクターズアイテム。その性質上、市場に出回ることは稀であり、今回を逃せば、次に出会える保証はどこにもありません。開始価格300万円からという、またとない機会をお見逃しなく』と、希少性をこれでもかと強調するのが定石だ」
【出品物 No.3:サブマリーナ Ref.55シリーズ】
「では、最後はこちら。最も長く製造され、様々なバリエーションを持つRef.55シリーズです。これはどうアピールしましょうか?」
田崎さんの問いに、桃香は少し悩んだ。
「うーん…前のお二人が強すぎて…。『55シリーズは65シリーズの、親しみやすい弟分!』とかですかね?」
「悪くはない。だが、それじゃあ魅力が伝わりきらん」
とコオタが言う。
「『長年にわたり製造されたことで、針の形や文字盤の夜光塗料など、様々なマイナーチェンジが存在し、自分だけの一本を探す楽しみがある55モデル。初心者から熟練のコレクターまで、すべての愛好家を魅了する、アンティークサブマリーナの登竜門。開始価格は、55シリーズは手の届きやすい100万円から』と、懐の深さと探求する楽しみをアピールするんだ」
オークションシミュレーションが終わり、桃香は大きく息を吐いた。
「なるほどー! ただ『すごい!』『珍しい!』だけじゃなくて、それぞれの時計が持つ物語や価値を、的確な言葉で伝えるのが大事なんですね!」
「ええ。物の価値を、言葉の力で最大限に引き出す。それもまた、我々鑑定士の重要なスキルですよ」と田崎さんは微笑んだ。
「ふん。まあ、今日のシミュレーションで、少しは勉強になったようだな」
コオタの言葉はぶっきらぼうだが、その声色は少しだけ優しかった。
「わかりました!」
と桃香が目を輝かせた。
「じゃあ、早速実践してみます! 今から私のヤフオクの出品ページの紹介文、書き直してきますね!」
「ほう、何を売ってるんだ?」
とコオタが聞くと、桃香はスマホを取り出して、元気よく答えた。
「高校の時のジャージです! 『高校生の桃香が体育の授業で3年間愛用した、汗と涙の結晶! あの日の情熱を、あなたの手に!(※洗濯済みです)開始価格は、破格の500円から!』って!」
「……それは変態が近寄って来そうだから、やめておけ」
店長の心からのツッコミが、閉店後の「時の蔵」に、高らかに響き渡った。




