ディオールの顔、いくつ言えますか?:サドルとブックトートと30 モンテーニュ
「店長ー! ディオールって、バッグの名前が人の名前みたいで可愛いですよね! レディとか、ミスとか、ボビーとか!」
アルバイトの桃香が、ファッション雑誌の特集ページを広げながら、うっとりとため息をついた。
そのページには、ディオールのアイコンバッグたちが、美しいモデルたちと共に微笑んでいる。
「名前が可愛かろうが、作りが違えば査定は全くの別物だ。感傷に浸る前に、その違いを頭に叩き込め」
帳簿から顔も上げずにコオタ店長が言うと、桃香は「むー」と頬を膨らませた。
その時、カラン、とドアベルが鳴った。
「おや、今日はディオールの麗しき淑女たちが勢揃いですね」
穏やかな声の主は、もちろん田崎さんだ。
彼はカウンターに広げられた雑誌を一瞥すると、にこやかに微笑んだ。
「田崎さん! レディ ディオールとミス ディオールって、名前は似てますけど、どう違うんですか?」
待ってましたとばかりに桃香が尋ねると、田崎さんは優しく解説を始めた。
「良いところに目をつけましたね。まずレディ ディオールは、メゾンを象徴するアイコン。特徴的なカナージュステッチと、ハンドルに揺れる『D.I.O.R.』チャームが目印です。かのダイアナ元妃が愛用したことで、世界的な名声を得ました」
「プリンセスが愛したバッグ…素敵!」
「一方、ミス ディオールは、同名の香水からインスパイアされた、より小ぶりでフェミニンなチェーンバッグです。パーティーシーンにも映える、可憐な妹のような存在、とでも言いましょうか」
「なるほどー! 姉妹だったんですね!」
「今のディオールを語るなら、彼女の存在は欠かせませんね」
と田崎さんは、あるバッグの写真を指差した。
「マリア・グラツィア・キウリが手掛けたディオール ブックトート。美しいデザインと圧倒的な収納力で、登場するやいなや絶大な人気を博しました」
コオタが
「あれは確かに、よう売れるし、よう持ち込まれる」
とぼそりと言う。
「彼女は、過去の傑作を現代に蘇らせるのも実に巧みです」
田崎さんは続ける。
「馬の鞍の形をした、このユニークなサドルバッグ。元々はジョン・ガリアーノ時代に生まれましたが、彼女が2018年に復刻させ、再びトレンドの最前線に躍り出ました」
「彼女が手掛けた新しいラインも魅力的ですよ」
と桃香が目を輝かせる。
「このCDロゴの留め具が可愛いディオール カロとか、丸い形が愛らしいディオール ボビーとか!」
「ええ。カロは2020年、ボビーは2020年の秋冬コレクションで登場しました。どちらもモダンでありながら、ディオールのエレガンスを受け継いでいますね。ボビーの背面には、ディオールの歴史が始まった住所である『30 Montaigne』の文字がエンボス加工されているんですよ」
そのキーワードに、コオタが反応した。
「30 モンテーニュか…。その名を冠した、ボックス型のバッグもあるな。CDクラスプが特徴の、クラシックなやつだ」
「ええ。まさにメゾンの歴史そのものを体現したバッグですね。そして、今はもう廃盤になってしまいましたが、忘れてはならない名作もあります」
田崎さんの言葉に、コオタは少し遠い目をした。
「ラフ・シモンズが手掛けたディオラマか…。未来的なデザインだったが、あっという間に消えちまったな」
「それと、かっちりしたフォルムでビジネスシーンでも人気だったディオール エヴァーですね」
桃香が「どっちも四角くて、なんだか似てますね?」
と言うと、コオタは「ふっ」と一蹴した。
「桃香、こういう時こそ金具を見るんだ。エヴァーの金具は、ただ押すだけの『プッシュロック式』。だが、ディオラマの金具は、クラスプを90度ひねって開閉する『ツイストクラスプ式』だ。この一手間の違いが、査定の精度を分ける。デザイナーの思想も、こういう細部に宿るんだ」
プロの厳しい目に、桃香は「は、はい!」と背筋を伸ばした。
「ふふ、バッグ一つ一つに、デザイナーの個性とメゾンの物語が込められている。それを知ると、ただの『物』ではなく、愛すべき『作品』に見えてきませんか?」
田崎さんの言葉に、桃香は深く頷いた。
「はい! ますますディオールが好きになりました! 全部分かるようになりたいです!」
コオタはフンと鼻を鳴らした。
「まあ、どんな物語があろうと、俺たちが見るのは状態と真贋の二点だけだ。感傷は無用だ」
その口調はぶっきらぼうだったが、その横顔は、目の前の「作品」たちに確かな敬意を払っているように見えた。
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カウンターの向こうで、コオタ店長が手持ち無沙汰に査定用のルーペを磨いている。
「おい、桃香」
「はい、なんでしょう?」
「店のブログ、最後に更新されたのはいつだ? トップページに蜘蛛の巣が張ってるぞ。何か書け」
突然の業務命令。
最近の桃香はブランドの知識を貪欲に吸収している。
ただのブランド好きから一歩先に進ませるために、一度その知識をアウトプットさせてみるのも良いかもしれない、とコオタは考えていた。
そんな店長の深謀遠慮など露知らず、桃香はぱあっと顔を輝かせた。
「待ってました! お任せください、店長! 私、ずっと温めていた最高の企画があるんです。『永遠の憧れ! 知っておきたいディオールのアイコンバッグ特集!』…なんて、どうでしょう?」
「……ふん、好きにしろ。ただし、くだらんポエムで終わらせるなよ」
店長の許可(という名の宿題)を得て、私は早速ノートパソコンを開いた。
カタカタと軽快な音を立てて、私のディオールへの愛が文字になっていく。
まずはやっぱり、クイーンから書かなくちゃ!
【桃香の下書き①】
数あるブランドバッグの中でも、ひときわ強い光を放つ至高のアイコン、それがレディ ディオール。
ダイアナ元妃も愛したという逸話は、まるで現代のおとぎ話。特徴的なカナージュステッチと、ハンドルで優雅に揺れる『D.I.O.R.』チャームは、世界中の女性にとって永遠の夢なのです!
そして、その妹分としてパーティーシーンを彩るのがミス ディオール。同名の香水のように甘くフェミニンなチェーンバッグが、あなたというヒロインを最高に輝かせてくれます…♡
「……却下だ」
私の背後に、いつの間にか仁王立ちしていた店長が、バッサリと切り捨てた。
「ひどい! こんなに愛を込めて書いたのに、どこがダメなんですか!?」
「全部だ。『夢』だの『ヒロイン』だの、寝言は寝て言え。以前うちで買い取ったレディディオール、チャームの『R』が一つ欠けてただけで査定がどれだけ下がったか、忘れたとは言わせんぞ」
「うっ…」
「当店ではディオールを大募集しています』とか、『ミスディオールは大歓迎!』とか、客が来たくなるような情報を書け。うちはポエム屋じゃない、買取屋だ」
「ぐぬぬ…でも、ロマンも大事です!」
私が食い下がっていると、カラン、と涼やかなベルの音がした。
「おや、素晴らしい書き出しじゃないですか。桃香さんの愛が伝わってきますよ」
田崎さんが、いつもの穏やかな笑顔で立っていた。
「ただ、コオタさんの言う通り、少しだけファクトを加えると、その愛がより読者に伝わるでしょう。例えば、レディディオールが元々『カナージュ』と呼ばれていて、ダイアナ元妃への敬意を込めて改名された逸話や、ミスディオールが1947年に誕生したメゾン初の香水からインスパイアされた背景などを加筆されてはいかがでしょう?」
「なるほど…! さすが田崎さん!」的確なアドバイスに、私は気を取り直して続きを書き進めた。
【桃香の下書き②】
続いては、現代のディオールを率いる天才、マリア・グラツィア・キウリの世界に迫ります!
まずは爆発的人気を誇るディオール ブックトート。
美しいオブリーク柄や幻想的なトワル ドゥ ジュイ柄は、持つだけであなたをオシャレ上級者へと導いてくれる魔法のバッグ!
同じく彼女が復刻させたサドルバッグも、馬の鞍みたいなユニークなフォルムが最高にクールです!
「おい。『オシャレ上級者』になるかどうかはそいつのセンス次第だ」と、またも店長の厳しい赤入れが入る。
「ブックトートはサイズによって使用感も中古市場での人気も大きく変わる。ミニ、スモール、ミディアム、ラージ、それぞれの特徴と需要の違いに触れろ。サドルバッグは、ジョン・ガリアーノ時代のヴィンテージと、マリアが復刻させた現行品では、査定額も評価も全く違うことを明確に書くんだ」
「彼女の功績はそれだけではありませんよ」
と田崎さんが優しくフォローする。
「2020年には、しなやかなレザーとCDクラスプが特徴のディオール カロや、丸みが愛らしいホーボーバッグのディオール ボビーも発表しています。ボビーの背面にはメゾンの原点である『30 Montaigne』のシグネチャーを刻印するなど、彼女がいかにブランドの歴史に敬意を払いつつ革新を起こしているか、という視点で書くと、記事にぐっと深みが出ます」
【桃香の下書き③】
ディオールの歴史といえば、メゾンが始まった伝説的なアドレスをその名に冠した30 モンテーニュも外せません! このバッグを持つことは、歴史を纏うこと。
知的な女性にぴったりの逸品です。他にも、かっちりしたフォルムのディオール エヴァーや、今はなき幻のディオラマも、知る人ぞ知る名作ですよね…
「桃香ァ!」
突然、店長が低い、しかしドスの利いた声で私の名を呼んだ。
「一番大事なことが、ごっそり抜け落ちてるだろうが! エヴァーとディオラマ! 見た目は似ていても、魂が違うとあれほど言っただろ!」
「ひっ、は、はいぃ!」
「いいか、客は神様だが、金具は仏様だ! 嘘をつかん! エヴァーは押すだけの『プッシュロック式』! ディオラマは90度ひねって開閉する『ツイストクラスプ式』! この一手間が、思想の違いだ! ここを間違える査定員は三流だ! うちのブログで、ちゃんと、世の中に啓蒙しとけ!」
店長の意外すぎるほどの熱弁に、私と田崎さんは思わず顔を見合わせた。
「コオタさんの言う通り、細部こそがブランドの真髄です。ディオラマがミニマルで構築的なラフ・シモンズのデザインであったことなど、デザイナーの個性とバッグのデザインを結びつけてあげると、単なる商品紹介ではない、非常に価値のある記事になりますよ」
数時間後。
私の情熱だけで書かれた下書きは、店長の現実的で厳しいツッコミと、田崎さんの知的な補足によって、当初の3倍はあろうかという情報量の、濃密で重厚な記事へと変貌を遂げていた。
「はぁ…ブログを一本、書いただけなのに…。なんだかすごい研修を受けた気分です…」
ぐったりとテーブルに突っ伏す私を見て、店長は
「まあ、これで少しは店の役に立つだろ」
と、少しだけ口の端を上げた。
完成した記事を読み終えた田崎さんが、にこやかに太鼓判を押してくれる。
「これは素晴らしい記事になりました。きっと多くの人に、ディオールバッグの真の価値が伝わることでしょう」
その言葉に、疲れも吹き飛ぶようだった。
「よし、この調子で頑張るぞ! 頭を使うとお腹がすくけど…ここで食べたら今までの努力が水の泡! ブログ記事は推敲して高められるけど、私の体型は推敲できないんですから!」
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「見つけちゃいました!」
土曜の午後の静寂を破り、アルバイトの桃香がスマホを片手に叫んだ。
カウンターで伝票整理をしていたコオタ店長は、ピクリと眉を動かす。
「『ディオールバッグでわかる、あなたの深層心理!』ですって! 面白そうなので、私、オリジナルの『時の蔵』バージョンを考えてみました! 題して、『ディオール・アイコンバッグ性格診断』!」
高らかに宣言する桃香に、コオタは
「くだらん…」
と深いため息をつく。
そこに、いつものようにふらりと現れた田崎さんが
「ほう、それは面白い試みですね」
と興味を示した。
「でしょ! まずは私から診断します! 私は、一度はトレンドの陰に隠れたけど、マリア・グラツィア・キウリによって復活し、再び輝いたサドルバッグタイプ! 浮き沈みはあっても、自分を信じていればまた輝けるって信じてるんです!」
ユニークな馬の鞍のフォルムのように、我が道を行く桃香らしい自己分析だ。
「そして田崎さんは、ディオールの歴史が始まったアドレスをその名に冠した、知性と品格の30 モンテーニュタイプです! まさに歩くディオールミュージアムのような方です!」
「ふふ、買いかぶりですよ」
と田崎さんは優雅に微笑む。
「さて、お待たせしました! コオタ店長は……」
桃香は少しもったいぶってから、指をさして発表した。
「かっちりした構築的なシルエットで、ビジネスシーンにも強い、ディオール エヴァータイプです!」
「俺がそんなお堅いだけの男に見えるか?」
コオタは意外にも、心外だという顔で反論した。
「俺はどっちかというと、今はもう廃盤になった、ラフ・シモンズのディオラマみたいな、少しひねくれた反骨精神を心の内に秘めているつもりだが」
「えー! でも店長、その二つは似て非なるものですよ!」と桃香が食い下がる。
「エヴァーの金具は押すだけの『プッシュロック式』で合理的。店長みたいです。でもディオラマはひねって開ける『ツイストクラスプ式』。そんなに回りくどくはないじゃないですか!」
思わぬ形で、桃香の金具知識が披露された。
「じゃあ、こういう人は何タイプでしょう?」
と田崎さんがお題を出す。
「いつも荷物がたくさんで、実用性もデザインも、決して妥協したくないという現代的な方は?」
「はい! それはもう、ディオール ブックトートタイプですね! 大容量で美しく、マリア・グラツィア・キウリが生んだ現代女性の最高のパートナーです!」
と桃香が即答する。
「では、気品があって、でもどこか守ってあげたくなるような可愛らしさも残している、お嬢様タイプなら?」
とコオタが少し意地悪く問う。
「それはパーティーにもぴったりのミス ディオールです! 香水のように周りを幸せにする女性ですね! じゃあ、そのお姉さんで、そこにいるだけで空気が変わるような、誰もがひれ伏すオーラを持つ絶対的な女王様タイプは!?」
「それはやはり、ダイアナ元妃も愛したレディ ディオールをおいて他にないでしょうね」
と田崎さんが静かに答える。
カナージュステッチの風格と、揺れる『D.I.O.R.』チャームは、まさに王家の気品だ。
「じゃあじゃあ、最近デビューしたばかりで、フレッシュな魅力にあふれたニューフェイスタイプは、どうです?」
「2020年登場の、CDクラスプがモダンなディオール カロや、丸いフォルムが愛らしいディオール ボビーあたりでしょうか。どちらもこれからのディオールを背負っていく、新しい時代の息吹を感じさせますね」
一通り診断を終え、桃香は満足げに胸を張った。
「なんだか、ディオールバッグがいろんな性格の人に見えてきて、もっともっと好きになっちゃいました!」
コオタはフンと鼻を鳴らす。
「どんなお上品なタイプのバッグだろうが、うちの査定台に乗ればただの『商品』だ。傷や汚れ、付属品の有無を厳しく見るだけだ」
最後までクールな店長に、田崎さんが優しく微笑んだ。
「しかし、そのバッグがどんなタイプの方に愛されてきたのか、想像しながら価値を見極めるのも、この仕事の醍醐味なのかもしれませんね」
その言葉に、桃香は目を輝かせる。
「そうですよね! ちなみに、私がダイエットに成功して、知的でクールな大人の女性になった暁には、どのバッグが似合うようになりますかね〜?」
「その話は痩せてからだな」
とコオタは冷たく言い放った。




