第35話 ランスロット・グラディウス視点
秋空の下、紫の宝石と恋心と ―ランスロット・グラディウス視点―
王都の北東に広がる丘陵地帯。秋の陽を浴びて黄金色に揺れる草原の向こう、ぶどう畑が美しい曲線を描いている。
ルミナ農園。王都の貴族たちにとっては高級果実の名所であり、普段は入れないその場所が、今日だけは学院生に開かれている。
馬車の扉が開くと、最初に飛び出したのは、もちろんベアトリスだった。
「着いたーっ!」
彼女のマントがふわりと風を受け、金髪が秋の光を反射してきらめく。その姿を見るたび、俺は思う。ああ、まぶしいな、と。
「空気が、おいしい……」
隣のルークがぽつりと呟いた。彼の銀髪も、陽を受けて淡く光っている。剣士然とした雰囲気とは裏腹に、こういう自然に囲まれると、妙に静かで落ち着いて見えるのが不思議だ。
俺は思いきり腕を広げて、深呼吸した。
「こういう場所って、心が洗われるよねぇ〜。試験も剣術大会も忘れて、今日は食べることに集中しよう!」
ベアトリスが笑った。俺もそれに笑い返す。
「賛成。今日は“食”が目的です」
普段から食にはうるさい彼女にとって、こういう日がいかに特別かを、俺は知っている。
小道を歩き出すと、ベアトリスが目を輝かせて言った。
「奥の斜面にある『月影ぶどう』っていう品種がおすすめ。皮ごと食べられるし、香りも甘さもすごいの」
「ベアトリスがそこまで言うなら、もうそれ一択だな」
そう言って笑うと、ルークもわずかに口角を上げた。その微笑みが、ほんの一瞬、揺らいだように見えたのは――気のせいだっただろうか。
* * *
「……これが、月影ぶどうか」
斜面の棚にずらりと並ぶ濃紫の房。光を受けて、粒ひとつひとつが宝石のように輝いていた。
ルークが感心したように眺めてから、魔力を込めた風刃で一本の房を丁寧に切り取る。
「器用だね」
「父の教えで、食材も丁寧に扱えって言われてる。剣も果物も、基本は同じだって」
ルークがそう答えて、摘んだぶどうをベアトリスに差し出した瞬間、俺はふと立ち止まった。
「……よければ、最初にどうぞ」
ベアトリスは驚いたように目を見開き、それから笑顔でその粒を受け取った。
――そのやり取りが、妙に印象に残った。
彼は「確認してほしい」と言っていたが、あれは本当に、それだけだったのか?
「……おいしい……!」
ベアトリスの声が弾んだ。
「だろ? よし、次は俺も!」
俺は気を取り直して、別の棚に手を伸ばす。甘酸っぱい系の品種が好みだ。
品種の名前を聞きながら摘んで回るうち、ベアトリスが「陽炎ぶどう」「星雫ぶどう」と次々に紹介してくれる。彼女は本当に楽しそうだった。果物ひとつひとつに思い出が宿っているようで、話を聞いているとこっちまで胸が温かくなる。
「ねえ、ベアトリス」
摘みながら、ふと聞いてみた。
「前に言ってたよね。果物って、前世でもよく食べてたって」
「うん。病院でね。食欲ない時でも、ぶどうだけは食べられたの。……だから、今こうやって自分で摘んでるのが、すごく不思議」
そして――彼女は笑った。
「でも……ちょっと嬉しそうだ」
「だって本当に、幸せなんだもの」
その笑顔が、胸に刺さった。なんだろう。嬉しいような、切ないような、どうしようもなく温かい気持ち。
けれどその横で、ルークが沈んだ目で別の房を選んでいたことに、俺は気づかなかった。
* * *
休憩小屋に戻ると、テーブルには摘んできたぶどうと香りのいいハーブティーが並んでいた。秋風がカーテンを揺らし、穏やかな時間が流れる。
その中で、ルークがふいに口を開いた。
「ベアトリス」
静かな声だったが、何かを決意したような響きがあった。
「もし……もしよければ、来年も……また、一緒に来ないか?」
その言葉に、ベアトリスと俺は顔を上げた。
「来年?」
「ああ。……この場所、すごく気に入った。だから、また来たい。君と……ランスロットとも、だけど」
照れくさそうに言いながらも、視線はまっすぐに彼女を見ていた。
ベアトリスは、やさしく笑った。
「うん。来よう、来年も。また三人で」
その言葉を聞いたとき、不思議と胸が痛んだ。
きっとそれは――この時間がずっと続くとは限らないと、どこかで分かっているからだ。
秋風がカーテンを揺らし、ぶどうの香りがふわりと漂う。
俺たちは今年の秋を胸に刻んだ。甘くて、少しだけ、苦い味とともに。




