第23話 ルーク=キリトからみたベアトリスと文化祭
――今日、彼女に笑ってもらいたい。
そんな小さな願いを胸に、ぼくはエプロンの紐をきゅっと締め直した。
秋の風が吹き込む、学院の塔の一角。教室を改装した「メイド&執事喫茶」は、すでに多くの生徒や市民で賑わっている。
喫茶の一角に立つ、ひとりの少女。
金の巻き毛にエメラルドの瞳、淡い紅のメイドドレスが眩しい――ベアトリス=ローデリア。
「……きれいだな」
気づけば、ぼくはまた彼女を目で追っていた。
彼女の笑顔は、特別だ。
どんな貴族のドレスよりも、どんな宝石よりも、ただあの笑顔が、ぼくの世界を照らしてくれる。
「ルーク、注文入ったよー! クリームのせ林檎パイと紅茶!」
「は、はいっ!」
厨房からアルフレッドの声が飛ぶ。ぼくは慌てて返事し、トレイを取った。
……緊張で、手が震える。
客の前で皿を落としたらどうしよう。紅茶をこぼしてしまったら。ベアトリスに、がっかりされてしまったら。
そんなことばかりが頭をよぎる。
でも、それでも、彼女のそばにいたい。彼女が楽しそうにしているこの喫茶で、何か力になりたい。
皿を運び終えた後、ふと気づけば彼女が隣にいた。
「ありがとう、ルーク。丁寧に運んでくれて助かったわ」
「え……あ……い、いえ……」
言葉にならない。まともに顔を見れなくて、思わず俯いた。
「ふふっ、そんなに緊張しないで。あなたがいると、みんな安心できるのよ」
「……ほんとに、そう思いますか?」
小さく尋ねると、ベアトリスは少しだけ首をかしげたあと、真っ直ぐにぼくの目を見つめた。
「ええ。少なくとも、私はそう思ってる」
――その一言で、全てが報われた気がした。
***
喫茶は忙しく、時間が過ぎるのはあっという間だった。
途中、厨房から煙が上がったり、キャンベラが黙々とフォークを補充していたり、アルフレッドがカラメルを焦がして絶叫したり――
どこを見ても、にぎやかで、笑顔があって、どこか「家族」みたいだった。
……ああ、ぼく、こういうの、知らなかった。
剣の修行ばかりだった日々。父の背中ばかりを追っていた日々。
でも今、少しだけ思う。
剣では守れないものが、ここにはあるのかもしれない。
「ルーク、こっち、お願い!」
ベアトリスの声に、思わず笑みがこぼれた。
「うん、すぐ行くよ」
***
陽が傾き、ラストオーダーが終わった頃。
教室の中は、どこか柔らかな静けさに包まれていた。
使い終えた皿を拭きながら、ベアトリスの背中をそっと見つめる。
彼女は、変わった。
冷たい氷姫だなんて呼ばれていた頃が、今では信じられない。
笑って、怒って、みんなの中心にいて――
でも、それでもぼくには、彼女がとても遠く見える。
きっと、自分には届かない。
剣聖の息子としてではなく、誰かの憧れとしてではなく。
ただの、ぼくとして。
「……あの、ベアトリス」
声が、思わず出ていた。
彼女が振り返る。きらめく金の髪が、夕日に溶ける。
「今日……ありがとう。すごく楽しかった。初めてだったんだ、こんなふうにみんなと一緒に笑ったの」
ベアトリスは、一瞬驚いたように目を見開いて――
「……そう。私もよ」
そっと微笑んだ。
「あなたが来てくれて、本当に良かったって、思ってる」
――その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。
「ぼく、まだ全然ダメだけど……でも、もっと頑張る。あなたの隣に立てるように」
「……うん」
それだけで、充分だった。
ぼくの言葉を、まっすぐに受け止めてくれた彼女の姿が、今日という日の宝物になった。
***
喫茶の片付けを終えたあと、ベアトリスが最後にカーテンを閉める。
「おつかれさま、ルーク」
「うん。おつかれさま、ベアトリス」
言葉のあと、静かに並んで外へ出る。
空は群青。星がひとつ、またひとつ。
「……来年も、こんなふうに一緒にできたらいいな」
ベアトリスの言葉に、ぼくは頷いた。
「うん。来年も、再来年も。……ずっと、あなたのそばにいたい」
その願いが、いつか届くようにと、ぼくは夜空を見上げた。
きらり、星が流れた。




