第21話 ベアトリス、ルークにメイド服を褒められる
学園祭の一日目が終わるころ、夜の魔塔は嘘みたいに静かになっていた。
屋台の灯りは消え、歓声も遠くへと薄れていく。代わりに、星空と虫の音が辺りを包む。
B組の教室では、メイド&執事喫茶の片付けがちょうど終わったところだった。
「椅子よし、テーブルよし……あとは花瓶を元に戻して……っと」
そう言いながら、ベアトリス=ローデリアは、椅子をきちんと整え、空のティーカップをひとつずつ片づけていった。
長い髪はほどかれて、いつもの彼女の気品ある雰囲気に戻っていたけれど、まだメイド服は着たままだった。
「ベアトリス様、今日はお疲れさまでした」
声をかけたのは、静かに教室へ戻ってきたルーク=キリト。
銀色の髪に夜の月光が差し込み、彼の表情をやわらかく照らす。
「あら、ルーク。あなたこそ、遅くまでありがとう。……接客、上手だったわよ」
「……いえ。僕のほうこそ、今日一日……ほんとうに、いろんな意味で驚かされっぱなしでした」
「ふふ、たとえば?」
彼女がいたずらっぽく笑うと、ルークは少しだけうつむいた。
この一日、彼はずっと言いたかったことを、言えずにいた。
彼女の笑顔を見て、あのメイド姿を見て、心の奥が強く揺れた。でもそれを、言葉にするのが怖かった。
けれど今、教室には二人だけ。夜の静けさが、そっと背中を押してくれる。
「……メイド服のことです」
その一言に、ベアトリスはぴたりと動きを止めた。
「……あら、変だったかしら?」
「いえ、そんなこと、ありません」
ルークは顔を上げ、真っ直ぐに彼女の青い瞳を見つめた。
「すごく、綺麗でした。まるで……夢を見ているみたいで。まぶしすぎて、言葉が出なくて……だから、ちゃんと伝えられなかったんです」
ベアトリスは少し目を見開いたあと、ふっと笑った。
「あなた、意外と……率直なのね。ちょっとびっくり」
「……すみません。言うべきか迷って……でも、伝えたくて」
「ありがとう。そう言ってくれて、嬉しいわ」
彼女はそう言って、スカートの裾をつまみ、小さなお辞儀をした。
「本日ご来店、ありがとうございました、ご主人様」
冗談っぽくそう言う彼女に、ルークは一瞬たじろぎながらも、柔らかく笑った。
「……似合ってました、本当に」
「ふふ、ありがとう」
ふたりの間に、そよ風が通り抜ける。
言葉のかわりに、秋の夜の静けさが心地よく満ちていた。
ベアトリスは少しだけ椅子に腰かけ、隣の椅子をぽんと叩いた。
「ルーク、少しだけ座っていかない? 今日はずっと立ちっぱなしだったでしょう?」
「……はい。少しだけ、お邪魔します」
ルークは彼女の隣に腰かけた。ふたりの間には、使い終わったティーカップがひとつ。紅茶の香りがほんのりと残っている。
「実はね、私、最初はあんまり乗り気じゃなかったの。メイド喫茶なんて、って」
「……そうだったんですね。でも、やってよかったんじゃないですか?」
「そうね。……こんなにたくさんの人が笑ってくれるなんて、思ってなかった。楽しかったし、いい思い出になったわ」
「僕も……同じです」
ベアトリスが彼を見て、目を細めた。
「ねえ、ルーク」
「はい?」
「今日、わたし、綺麗だった?」
その問いに、ルークの目が見開かれる。
でも、すぐにふっと真剣な眼差しに変わった。
「綺麗でした。……今日だけじゃなく、いつも。でも今日は……特別に、」
「……」
「まるで、物語の中の姫君みたいでした」
ベアトリスは一瞬、ぽかんとしたあと、思わず吹き出した。
「姫君って……あなた、本当に面白いわね」
「……冗談じゃありません」
ルークの声は真っ直ぐだった。だから、ベアトリスもそれ以上は茶化さなかった。
秋の夜、静かに過ぎていく時間の中で、ふたりはただ隣に並んで座っていた。
やがて。
「……来年の学園祭は、何になるのかしらね」
「そうですね。また一緒にできたら、嬉しいです」
「ええ、わたしも」
そう言って、ベアトリスは立ち上がった。
「そろそろ、着替えに行くわ。待たせてごめんなさいね」
「いえ。……楽しかったです」
そして、彼女が教室の扉へと向かうとき。
ルークは、小さく呟いた。
「……本当に、綺麗だった」
それは、誰にも聞こえない声だったけれど――
不思議と、ベアトリスの歩みに一瞬だけ揺らぎがあった気がした。
彼女の背中は、どこか少しだけ、嬉しそうだった。




