第8話 ベアトリス、エルフのお姉さんに会う
契約式身代わり護符
露店通りを一通り巡ったあと、再び気になっていた一角に足を運ぶと、そこには昼前と同じ――いや、それ以上に怪しげな雰囲気を漂わせた露店がぽつりと立っていた。
店主は相変わらず、魔女のような大きなつばの帽子に、フードを深くかぶった長身のエルフ。灰色のローブは陽の光を吸い込むように黒ずみ、年齢不詳の声がふわりとベアトリスの耳に届く。
「さっきのお嬢ちゃんじゃないかい。また来てくれるとはね」
ベアトリスはぴたりと足を止め、少し驚いたように目を瞬かせた。
「……覚えていたの?」
「そりゃあ、ただの学生が“万年筆の剣”なんて、物好きな代物を嬉しそうに買っていくんだもの。印象に残らない方が不自然さ」
エルフの唇が、フードの奥でにやりと笑った気がした。
「で、今度は何をお探しだい? もしかして、“身代わりのペンダント”とか言うんじゃないだろう
ね?」
その言葉に、ベアトリスの目が見開かれる。
「……あるの?」
「“あった”んだよ。さっきまではね」
エルフは肩をすくめてみせ、露店の奥を指さす。そこには小さな空箱――展示棚の名残が、ぽつんと寂しげに置かれていた。
「朝一番で、別のお嬢さんが買っていったよ。紫の髪をした、真面目そうな顔の……」
ベアトリスの眉がぴくりと動いた。
(紫の髪……まさか、イベントルートの“あのキャラ”?)
その名が頭をよぎる前に、エルフはさらに言葉を続けた。
「でもね。もう一つだけ、似たような品があるにはある。ただし、これは……ちょっと特殊でね」
ごそごそとローブの袖から取り出されたのは、薄い琥珀色のペンダントだった。中に小さな魔法陣が封じられており、普通の“身代わり”とは少し構造が違うように見える。
「これは“契約式身代わり護符”。簡単に言えば、使用者の意思では発動できない。ある条件下で自動的に発動する仕組みさ。しかも――代償がつく」
「代償?」
「そう。命じゃないよ、安心しな。けど……」
エルフはベアトリスをじっと見た。その視線は、まるで心の奥を覗き込んでくるようだった。
「“一度だけ”の選択で、運命が変わる。君のような子には、おあつらえ向きかもしれないね」
少しの沈黙。
だが、ベアトリスはその視線を正面から受け止め、微笑んだ。
「面白そうじゃない。買わせてもらうわ」
「ふふ……その勇気、後悔しなきゃいいけど」
そうして、ペンダントを購入したベアトリスは、袋を手に露店を後にした。
――その背に、エルフの視線がいつまでも残っていた。
「運命の“分岐点”が、またひとつ増えた……か」
街を後にし、学院への帰路を歩きながら、ベアトリスはペンダントを手に取る。
それは、彼女がこの世界を攻略するための、もう一つの鍵となるだろう。
(次はダンジョンね。地下2階――いえ、できれば3階まで一気に行きたい)
かすかに笑みを浮かべ、彼女は白亜の塔を見上げた。
その瞳には、モブ令嬢ではなく、プレイヤーとしての覚悟と決意が灯っていた。
学院に戻ったベアトリスは、寮の自室――石造りの壁と白いレースのカーテンに囲まれた、貴族らしい優雅な部屋に入ると、即座に扉に結界を張り、机の上にペンダントを置いた。
琥珀色の護符は、夕日を反射して淡い光を放つ。その中心に描かれた魔法陣が、時折ゆらめくように揺れていた。
「契約式……自動発動で、代償あり」
ベアトリスは小さく息を吐き、椅子に腰掛ける。
(代償とはいったい何か。レベルダウン? 魔力消失? それとも、記憶や感情の一部を代価に取られるタイプ?)
この手の契約アイテムは、ゲームでも「やり込み勢向けのリスクアイテム」として登場していた。だが、その効果は絶大で、通常なら即死する攻撃を一度だけ防ぐ上、発動と同時に魔法反撃が自動で発動する――いわば、一発逆転の切り札。
(私が覚えている限り、これは“グロリア=カイン”ルートでしか手に入らないアイテムだった。つまり、この世界は分岐済み……)
目を細めながら、ベアトリスは護符を宝石箱に入れた。
(使いどころを見極めないと。けれど、装備だけしておけば自然に発動するのはありがたい)
次に彼女が向かったのは、学院本館の中庭に面した一角――魔道具管理室だ。
この学院では、訓練用の魔道具や補助アイテムを一定条件のもと貸し出しており、特別クラスに属するベアトリスにはその優先使用権が与えられていた。
「次のダンジョン攻略のために、必要なのは……」
彼女はリストを見ながら、手早く魔道具を選別していく。
・魔力感知眼鏡:隠された罠や偽装扉を見抜く ・簡易魔力ポーション×3:連戦用の回復手段 ・魔法制限解除符:一時的に制限された魔法を開放する ・魔力共鳴石:緊急時に寮へ警報を飛ばすための通信手段
(本来は三階層目に挑むのは早い。でも、私はゲームの情報を知っている。最短攻略も可能)
装備の調整が終わると、寮に戻り、自作の地図やメモを広げる。
(地下三階には、試作型オートゴーレムが配置されているはず。動きは鈍いけれど、防御力が高い。通常攻撃では厳しい……でも、“万年筆の剣”のクリティカルなら、AIの弱点処理ルーチンを抜ける可能性がある)
まさに、ネタ武器が真価を発揮する瞬間。
彼女の唇に、ぞくりとするような笑みが浮かんだ。
「さあ、攻略開始よ――“ベアトリス=ローデリア”の、逆転劇を見せてあげる」
夜の帳が学院に降りる頃。
ベアトリスは装備を整え、静かに白亜の塔の地下入口へと歩みを進めていた。