第11話 キャンベラは見た、アップルパイ作り
紅く実る、約束の果樹園
―キャンベラ視点:秋の魔法とアップルパイ―
黄金の魔塔のてっぺんにある学院の食堂に、甘くて香ばしい匂いが広がりはじめたのは、秋の夕暮れが近づく頃だった。
焦がしバター、シナモン、そしてたっぷりの果汁を含んだ林檎の香り。そのどれもが、記憶の奥を優しくなぞるようなあたたかさをもっていた。
「おーい、こっちのバター、足りるかー?」
ランスロットがエプロン姿で声を張る。その手には、果樹園で収穫したばかりの林檎のスライスが載っている大皿。
「ちょっと待って、それまだ砂糖絡めてないわよ」
そう言って指摘するベアトリスの横顔を、わたしはふと見つめた。
金のリボンで髪を束ねた彼女の横顔は、いつもより少しだけ柔らかくて、けれど変わらず真剣で。何かを「大切に」している人の目をしていた。
「これが“王都の金の薔薇”の本気……」
ルークが思わず呟いて、それを打ち消すように慌てて視線をそらす。ふふ、こういうのって、見てる方がちょっと照れる。
「なんか、文化祭みたいだね。こういうの」
わたしは言った。笑いながら、台に置いたパイ生地を均等に伸ばす。
「ほんと。材料持ち寄って、みんなで台所を借りてって。ちょっとしたイベントね」
そう言って笑うベアトリスは、まるで季節の真ん中にいるみたいだった。
「でも、せっかく果樹園で収穫したんだもの。ちゃんと“かたち”にしたくて。季節の記憶って、味に残るから」
彼女の言葉に、ルークが小さくぼやいた。「詩人かよ」って。
ベアトリスはちゃんと聞いていて、「聞こえてるわよ」って返す。
変わらないやりとり。けれどそれは、変わってきた証だった。
――だって、ほんの少し前までの彼女なら、こんなふうに誰かと笑い合ったり、台所でパイを作ったり、しなかったと思うから。
***
林檎の甘酸っぱい果汁が弾ける。砂糖とレモン汁、シナモンが香り、あたたかなバターの香ばしさが魔塔の食堂を満たしていく。
「ルーク、シナモン多すぎない?」
「え、これくらいじゃないのか?」
「味見してないでしょ。やり直し」
「はい……」
小さなやりとりに、ランスロットが「了解、女王陛下!」とちゃかす。
「誰がよ!」
その声に、笑いながらわたしは型に生地を敷いていく。手を動かしながらも、ふと思ってしまう。
(……ほんとに、不思議だな)
昔のわたしは、こんな空間にいる自分を想像すらできなかった。天才、冷血、孤高。そんな風に言われて、ずっと一人でいた。
けれど今、こうして誰かと台所に立ち、同じお菓子を作って、笑いあって――。
「……前は、こんなの、想像もできなかったな」
口に出してから、自分でも驚く。隣にいたルークが「え?」と聞き返すが、首を振ってごまかした。
「ううん、こっちの話。さ、焼きに入ろうか。タイマー、お願い」
炉にパイを入れてからの30分間。みんなで笑ったり、くだらない話をしたり、果樹園のことを思い出したりした。
「祈る相手は?」
「リンゴの神様?」
「シナモンの精霊?」
バカみたいで、だけど優しい会話。
そして、ふいに問いかけてみた。
「焼き上がったら、誰に食べてもらう?」
沈黙が流れた。わたし自身、なんでそんなこと聞いたのか、ちょっとわからなかった。
だけど――もしかして、こういう風景が、消えてしまうんじゃないかって、少し怖かったのかもしれない。
「……そういうの、苦手」
ルークが目をそらして答える。
「ふうん、そういうとこが不器用って言われるんだよ?」
「別に言われてない」
「言われたいの?」
「いや、別に……」
その会話が、わたしたちの“今”だった。
そして、ベアトリスが言った。
「私は、みんなに食べてほしいな。この学院で出会った人、果樹園で笑った人。みんなが、季節の味をひとつ、覚えていてくれたらって思うの」
「それって……」
「うん。ひとつの記憶って、いつか誰かを救うから」
その言葉が、胸にじんわり染み込んでくる。
わたしが、妹を救ってもらったあの日。あの味噌粥の味と一緒に、記憶に残っているのは、ベアトリスの優しい目だった。
***
「焼けたみたい」
そう言って立ち上がったわたしに、ルークが魔法で炉の扉を開けてくれた。
湯気の奥、金色のパイ。甘くて、あたたかくて、秋の記憶が詰まった魔法の一皿。
「……いただきます」
四人で囲む、小さなテーブル。
パイを切り分けて、ナイフの音が響く。ふわっと立ちのぼる甘酸っぱい香り。
「ん、これ、うまっ!」
ランスロットが思わず声を上げる。
「これ、ベアの味だ」
「え、どういう意味?」
「なんとなく、上品で、あったかくて、ちょっと手間がかかってて」
「手間って言わないで」
みんなが笑った。
わたしも、一口。サクッとした生地の中、とろける果実の甘み。
「ねえ、また来年も……果樹園、行こうか」
その言葉は、自然に出てきた。約束というより、願いに近くて。
みんな、うん、と頷いた。
ルークが、そっとベアトリスの横顔を見ていた。その視線に、少しだけ切なさが混じっているのが、なんとなくわかった。
でも、それもきっと、青春の味なんだと思う。
――たったひとくちで、季節が胸に刻まれる。
それは、魔法よりも魔法らしい、放課後のアップルパイだった。




