第9話 ルーク=キリトから見たりんご狩り体験
紅く実る、約束の果樹園 ―ルーク視点―
学院の中庭は、秋の匂いに満ちていた。
風に揺れる木々の葉が赤や黄に染まり、石畳の上に踊るように影を落としている。昼休み、ベンチに腰かけた俺――ルーク=キリトは、ぼんやりとそんな景色を眺めていた。
耳に届く笑い声に、自然と視線が向く。
ベアトリスとキャンベラが、パンと果物の入った籠を前に談笑していた。彼女たちの楽しげなやりとりは、まるで小鳥のさえずりのように心地よく響く。
「ねえ、キャンベラ。そろそろリンゴの季節だと思わない?」
ベアトリスがタルトを見せながら言った。その笑顔を見た瞬間、胸の奥が微かにざわついた。
彼女は本当に季節に敏感だ。いや、敏感というより――愛しているのだ。四季の色も、味も、匂いも。
「ハニーアップルって品種だったと思う」
キャンベラの言葉に、「あれ好き」と無邪気に頷く彼女。目がきらきらと輝いていた。
……あんな顔、俺にはできない。
そんなことを考えていた時だった。
「今週末、時間ある? 一緒にリンゴ狩りに行かない?」
その言葉に、少しだけ心がざわめいた。
けれど、それは俺に向けられたものではなかった。最初に誘ったのは、キャンベラ。だけど、やがて話は広がり、ランスロットが冗談めかして割って入り――
「ルークも、行く?」
彼女が、俺の方を見てそう言った。
正直、興味はなかった。果物を採るだけの行事に時間を費やすなんて、効率が悪いとさえ思った。
――でも。
「アップルパイとかにして振る舞えるかも。食べたい?」
「……まあ、食べたいって言えば、ちょっとだけ……」
そんな言い訳じみた返事をしながら、俺は自分が甘いのを自覚していた。
彼女のためなら、少しくらい非効率でも構わない。
そう思っている自分がいた。
***
週末の朝、馬車の窓の外に広がる紅葉は、驚くほど鮮やかだった。
ベアトリスは、厚手のマントを羽織って、目を輝かせながら外を見つめている。
「今年は、実りがいいらしいよ。果樹園の当主さんが言ってた」
キャンベラが新聞を畳んで言うと、彼女はうれしそうに微笑んだ。
「やっぱり早起きは正解だったわね。いい実が残ってるうちに行かなくちゃ」
「リンゴに全力なの、あんただけだと思う」
そう返しながらも、心のどこかで安心していた。
彼女が元気でいてくれる。それだけで、十分だった。
「だって、せっかく異世界に転生してまで生きてるんだもん。楽しんだもの勝ちでしょ?」
その言葉に、一瞬、言葉を失った。
前世のこと――彼女がたまに見せる、儚げな瞳。その奥に、どんな時間を過ごしてきたのか。俺は、まだ知らない。でも、少しずつ分かってきた。
彼女は、生きることを、心から大切にしている。
***
果樹園に着くと、目の前に広がる景色に圧倒された。
赤や黄金色のリンゴが、木々いっぱいに実っている。陽光に照らされて、宝石のようにきらめいていた。
「わあ……!」
馬車から飛び出したベアトリスの背を、思わず目で追う。
「見て! あれ、枝がしなってるくらい実ってる!」
あんなふうに笑う彼女を見るのは、なんだか少し悔しいようで、でもうれしくて。
「まったく……元気すぎるだろ」
そう呟いて、自然と足が動いた。
果樹園では、それぞれが籠を持ち、リンゴを選び始めた。
俺は最初、どうでもいいと思っていた。どれも同じだと。
でも――彼女は違った。
「これは焼きリンゴ向きね……こっちはジャムかしら」
目を輝かせ、真剣にリンゴを選び、香りを確かめ、色の濃さや形のバランスまで吟味している。
「おまえ、本当にリンゴマスターかよ……」
思わず漏れた言葉に、ベアトリスは笑って振り返った。
「前世では、秋はほとんど病室の窓からしか見られなかったから。こうして、季節を五感で味わえるのが、何より嬉しいの」
その言葉が、心に静かに染み込んだ。
俺はずっと、剣と力と名声ばかりを追いかけてきた。
だけど彼女は、リンゴひとつに、秋の陽射しひとつに、こんなにも真剣だ。
「……だから、君はこんなに輝いてるのか」
思わず、心の中の声が漏れそうになる。
けれど、その声は秋の風と葉音にかき消された。
***
ひとしきりリンゴを摘んだあと、東屋で休憩した。
ベアトリスが、明日アップルパイを作ると言い出し、皆が「楽しみ」と頷いた。
「じゃあ俺、火起こし手伝うわ。……いや、魔法でやるけど」
照れ隠しに冗談めかして言うと、皆がくすくすと笑った。
空は高く、澄んでいた。
空気に混じる甘い果実の匂い、木々のざわめき、そして仲間たちの笑い声。
こんな日が、続けばいいと思った。
そしてふと、隣に立つベアトリスの横顔を見た。
――この穏やかな時間のすべてを、守りたい。
それが今、俺の一番の願いだった。




