第8話 ベアトリス、秋といえばリンゴ狩り
『紅く実る、約束の果樹園』
昼休み、学院の中庭は秋の陽光に包まれていた。色づき始めた葉がさらさらと風に揺れ、ベンチの上に、赤や黄色の影を落としている。
ベアトリスはパンと小さな果物の入った籠を広げ、対面に座ったキャンベラと談笑していた。
「ねえ、キャンベラ。そろそろリンゴの季節だと思わない?」
ベアトリスは、木陰で口にした小さなリンゴタルトを見せながら、少し嬉しそうに言った。
「……うん。今朝、市場の前を通ったら、赤い実がたくさん並んでた。ハニーアップルって品種だったと思う」
「わぁ、あれ好き。すごく甘くて、皮までしゃきしゃきで……!」
話が弾むと、ベアトリスの目はきらきらと輝く。前世の記憶からか、彼女は季節の味覚に強いこだわりがあった。
「ねえ、今週末、時間ある? 一緒にリンゴ狩りに行かない?」
ベアトリスの提案に、キャンベラはわずかに目を見開いた。
「……私と?」
「もちろん。他のみんなも誘っていいけど、まずはあなたと行きたいって思って」
キャンベラは少し考えてから、ふっと笑った。
「……いいよ。最近ちょっと、秋を楽しむ余裕なかったから」
「よかった!」
ベアトリスは手を打って喜んだ。その音に、近くのベンチにいたルークとランスロットがちらりと視線を向ける。
「なんだなんだ、また何か甘いもんの話か?」
ランスロットが言いながら近づいてくる。
「今度は甘いもんじゃなくて、甘くなる前の話よ。リンゴ狩り、今週末行こうって話してたの」
「ほほう、秋の果実狩りとな。風流じゃないか!」
ルークは少しだけ興味なさそうにしていたが、ベアトリスがこちらを見ると視線をそらした。
「ルークも、行く?」
「……別に、興味はないけど」
「でも、たくさん採れたら、アップルパイとかにして振る舞えるかも。食べたい?」
「……まあ、食べたいって言えば、ちょっとだけ……」
「ふふっ、決まりね」
キャンベラが肩をすくめる。
「相変わらず、否定しきらないよね。素直じゃない」
「うるさい」
結局、話はあれよあれよという間にまとまり、土曜日に学院から馬車で一時間ほどの場所にある〈レーヴ果樹園〉へ行くことになった。
――そして週末。
秋の朝は少し冷え込んでいたが、空は見事に晴れ渡っていた。果樹園へ向かう馬車の中、ベアトリスは厚手のマントを羽織りながら、窓の外に広がる木々の紅葉に見入っていた。
「今年は、実りがいいらしいよ。果樹園の当主さんが言ってた」
キャンベラが、道中に読んでいた新聞を畳んで言う。
「やっぱり早起きは正解だったわね。いい実が残ってるうちに行かなくちゃ」
「リンゴに全力なの、あんただけだと思う」
「いいじゃない、秋なんだもの。栗もリンゴも葡萄も――命短し、味わえ乙女、ってやつよ」
ルークはその言葉に思わず笑いそうになって、咳払いでごまかした。
「……変なところで真剣になるな、おまえは」
「だって、せっかく異世界に転生してまで生きてるんだもん。楽しんだもの勝ちでしょ?」
やがて馬車が果樹園の門をくぐると、一面に広がるリンゴの木々が出迎えた。どの枝にも赤や黄金色の実がたわわに実り、木漏れ日を受けて宝石のようにきらめいている。
「わあ……!」
ベアトリスは馬車から降りると、まるで子供のように駆け出した。
「見て! あれ、枝がしなってるくらい実ってる! こっちは小ぶりだけど、色が濃い!」
「まったく……元気すぎるだろ」
ルークが呆れながらも後を追う。
キャンベラとランスロットもそれぞれ籠を持ち、手分けしてリンゴを摘み始めた。
「これ、糖度高そうだな……」
「こっちのは焼きリンゴ向きね……」
ベアトリスは完全に“選定モード”に入っていた。一本一本の木を見ては、形と色のバランスを吟味している。
「おまえ、本当にリンゴマスターかよ……」
ルークが思わずつぶやくと、ベアトリスはふふっと笑って振り返った。
「前世では、秋はほとんど病室の窓からしか見られなかったから。こうして、季節を五感で味わえるのが、何より嬉しいの」
その言葉に、ルークはしばし言葉を失った。
「……だから、君はこんなに輝いてるのか」
ルークの小さな呟きは、果樹の葉音にまぎれて誰にも届かなかった。
やがて、籠いっぱいにリンゴを摘んだ彼らは、果樹園の東屋でひと休みした。
「これ、持ち帰って明日のおやつにしようか」
ベアトリスが提案すると、皆が頷いた。
「焼きリンゴにシナモンを振ると絶品なんだって。明日は、私が作るわ」
「じゃあ俺、火起こし手伝うわ。……いや、魔法でやるけど」
ルークのその言葉に、皆がくすくすと笑った。
秋の空は高く澄みわたり、紅葉と果実の香りが空気を彩っていた。
果樹園で交わされたこの静かな約束が、やがて彼らの絆をひとつずつ深めていくのだった。




