第3話 ベアトリス、転校生ルークのツンデレに笑う
月光の剣士、再会の朝
鐘の音が響き渡る。重厚な石造りの廊下に、朝一番の音が染み渡っていく。
ゲルマンド王都学院・魔塔学科第三講堂。長い机と椅子が整然と並ぶ広い教室に、生徒たちのざわめきが広がっていた。
「聞いた? 転校生来るって」
「どこからだっけ、フリューゲン?」
「いや、キリトって名字、聞いたことある気が……」
そのとき、教室の扉が音もなく開いた。
風が吹き抜けたような静寂。その中に、彼は現れた。
銀色の髪。切れ長の目。しっかりと整えられた制服の襟元。姿勢も歩みも一分の隙もなく、その場にいた誰もが言葉を失った。
まるで月光をまとったかのような佇まいだった。
「おお、来たか」
教壇の前に立っていたのは、学院教師のひとり、ヴァルト=ブリューナ教授。魔導理論と剣技融合術の第一人者として知られる老教師だ。厳しそうな顔つきの中に、どこか生徒を慈しむような温かみがある。
ヴァルト教授は教室を見渡し、ひとつ頷いてから言った。
「さて、みな、静かに。紹介しよう。この秋から我が学院に編入することになった転校生だ」
教室内がざわつく。前列の女子生徒が小さく声を上げ、後ろの男子たちがそれを冷やかすような視線を送っていた。
「名前は――ルーク=キリト。フリューゲン王国よりの留学生であり、剣聖カール=キリトの嫡男だ」
「っ……!」
教室が再び凍りつく。
「あのカール=キリトの息子……!?」
「剣聖様、キターーーーーー……!」
「マジで転校してきたのかよ……」
ざわめきが、やがて尊敬と緊張に変わっていく。
だが、その中心にいるルーク本人は、至って無表情だった。教壇の前に立つ彼は、まるで騒ぎなど存在しないかのように淡々と頭を下げる。
「ルーク=キリトです。今日からこの学院に編入します。……別に目立ちたくて来たわけじゃないので、放っておいてくれて構いません」
言葉の最後に、少しだけ声音が尖った。見れば、視線は生徒たちではなく、教室の右奥――ベアトリス=ローデリアの席のほうを向いていた。
ベアトリスは、何も言わずに、静かに微笑んでいた。
月光と薔薇のようなふたりの間に、一瞬、誰も入り込めない空気が流れる。
「よろしい」
ヴァルト教授が声を張る。
「ルークの席は、そこの空いているところだ。――ローデリア嬢の隣だな」
「……は?」
ルークが小さく漏らした。ほとんど聞き取れないほどの声だったが、ベアトリスの耳にははっきりと届いた。
彼女は軽く椅子を引いて言う。
「ようこそ、ルーク。……隣、空いてるわよ?」
「っ……ちょ、別に……だからって……!」
ルークは何か言いかけて、唇を噛むと、無言でその席に腰を下ろした。
そして、机の上に視線を落としたまま、そっぽを向いた。
「……油断ならない女だ、本当に……」
その呟きも、ベアトリスは聞いていた。
授業が始まる。ヴァルト教授の魔導理論の講義が始まると、生徒たちは一斉にノートを取り始めた。だが、隣に座るふたりの間だけ、微妙な沈黙が漂っていた。
やがて、ベアトリスがそっと小声で囁く。
「ねえ、あの夏の夜の肉料理。また食べたいわね」
「肉があればな」
即答だった。
「……そんなことより、今は授業中だろ」
「ふふ。真面目ちゃんなんだから……」
「べ、別に君と話したくて隣に来たわけじゃない! 席が指定されただけで!」
「そう。――でも、ちょっとだけ嬉しいわ。あなたがここにいること」
「……!」
ルークはもう一度、机の上を見つめた。
耳まで真っ赤になっていた。
前の席にいたランスロット=グラディウスが、それを盗み見て、笑いをこらえながら後ろを向く。
「おーい、ローデリア嬢。新学期早々、肉の匂いが香ってる気がするぞ」
「ランスロット、うるさい」
キャンベラ=フェルノが冷静に言い放った。だが、その声のトーンは、どこか楽しんでいるようだった。
「……まったく。あのふたりが同じ教室とか、今年の学院、静かにはならなさそうね」
窓の外、朝の光が塔の中庭を照らしていた。
教室の片隅、銀色の髪と金色の髪が、静かに並んで揺れている。
まだ、何も始まってはいない。
けれど――何かが、始まりそうな気配だけは、誰の目にも明らかだった。




