第2話 ベアトリス、ルークと挨拶する。
『月光の剣士、再会の朝』
新学期初日。王都学院の朝は、どこか浮き立つような喧騒に包まれていた。
寮の食堂では、夏休みの土産話や噂話が飛び交い、パンの香ばしい香りと紅茶の香りが入り混じる中、生徒たちは思い思いの笑顔で再会を喜んでいた。
その中央に、ひときわ目を引く姿があった。
銀髪がさらりと揺れる。制服の上着はぴしりと整えられ、その背筋は凛としてまるで剣のよう。切れ長の瞳が人波を静かに見渡し、その瞳の奥に、迷いもためらいもなかった。
「――ルークだ!」
誰かの声が上がる。
食堂の一角が、ざわめきに包まれた。
「えっ、あの転校生って……ルーク=キリト!? あの剣聖カール=キリトの息子……!」
「てか、女の子じゃなかったの……?」
「違うって! 男の子! ていうか、なんで銀髪!? カッコよすぎんだけど……!」
騒ぎの中心にいるのは、明らかに場慣れしていない様子の転校生――ルーク=キリトだった。彼は額に一筋の汗を浮かべながら、目を逸らして言った。
「……騒ぐな。別に目立ちたくて来たわけじゃない」
ツンとした声音。だがその口調の端には、わずかな照れが混ざっていた。
「夏休みに見た時より、髪が伸びたわね」
その柔らかな声に、ルークの肩がびくりと動く。
ベアトリス=ローデリア。王都学院の金の薔薇と謳われる令嬢は、白いマントをはためかせ、すらりと立っていた。夏の日の光のように、優しく、そして確かな自信を漂わせた姿。
「……ああ。切る暇がなかっただけだ。別に、君の好みに合わせたとか、そんなんじゃない」
ルークはわざわざ否定してから、そっぽを向いた。
「ふふ、言ってないわよ。――でも、よく来てくれたわね、ルーク。新学期からこっちの学院って、結構な決断だったんじゃない?」
「……ま、まあな。親父に無理やり押し込まれた感はあるけど……」
そう言いながら、ルークの表情にふと懐かしさがよぎる。
「――ベアトリス。あのときのこと、覚えてるか?」
「あのとき?」
「夏の森だよ。フリューゲンとゲルマンドの国境近く。――お前が親父と戦った、あの窪地」
食堂の周囲が水を打ったように静まり返る。
ルークの父、剣聖カール=キリト。剣の達人として名高い彼と、学院生でありながら一戦交えた少女――それがベアトリスだった。
「……ええ、覚えてるわ。あの時は……ほんとに、恐ろしい戦いだったわ……」
「まー、強烈な戦いだったな」
ルークの声はどこか誇らしげだった。けれど、それだけではなかった。
「親父がさ、その場所に最近行ったんだって。そしたら、窪地に水が溜まってて、池になってたって言ってた」
「池に?」
「ああ。剣気で地形が変わって、水脈が流れ込んで、静かな水面になってるって。親父、言ってたよ。『あの子は、ただの貴族令嬢じゃない。自然すら形を変えるほどの力を持った子だ』って」
ベアトリスは少し目を伏せた。夏の記憶が、心の奥に蘇る。
あのとき、自分の魔力と剣気をぶつけることで精一杯だった。でも――
「そんな場所が、今も残ってるんだ……」
「親父、あそこを“月影の池”って名付けたんだ。……お前と戦った時の月が、忘れられないんだとさ」
「……変な人ね」
「まあ、あいつなりの敬意ってやつだよ。――それに、池のほとりに咲いてた花の名前、覚えてる?」
「ええ。ミリシア。夜明けにだけ咲く、青白い花」
「親父、それ持って帰ってきた。今、家の庭に植えてある。……お前が咲かせたって言ってた」
沈黙が流れた。
でもそれは、ぎこちないものじゃなかった。むしろ、優しさと懐かしさが同居した、ふたりだけの間に流れる静かな時間だった。
「……まあ、そんな感じで。親父から“挨拶しとけ”って言われてる。お前と戦えたこと、一生誇りに思ってるってさ」
「……こちらこそ、光栄だわ。ふふ、カールさんらしい言い方」
ルークは一つ咳払いをすると、再び照れ隠しのように視線を逸らす。
「べ、別に、思い出話をしにきたわけじゃない。ただの報告であって……それ以上の意味なんかないからな!」
「ええ、わかってるわ。でも……会えて嬉しい。こうして、また同じ学院で学べるなんて、思ってなかったもの」
「っ……!」
ルークの顔が、途端に真っ赤になる。
「そ、そんなこと、……急に言うなよ!」
「なにを? 素直に言っただけよ?」
「くっ……この女、ホント、どこまでも油断ならない……!」
アルフレッドとランスロットが、端の席で同時にコーヒーを吹き出した。
「やっぱ、あいつら……夏休みになんかあったな……?」
「確定だな。にしても……なんだこの甘酸っぱさ」
キャンベラは冷静な顔でパンにバターを塗りながら、ぼそりと呟いた。
「――この学院、もう静かには過ごせない気がする」
そして、食堂の窓の外、東の空に、朝日が差し込んだ。
新学期は始まったばかり。
ベアトリスとルーク。夏に芽吹いた“なにか”は、静かに、けれど確かに、新たな季節を迎えようとしていた。