第46話 キャンベラ、ナースソルト動物王国の思い出!
ナースソルト動物王国 ―キャンベラの手記―
山の空気は、肌を冷やすほどに澄んでいた。
ナースソルト高原での戦いのあとは、汗と血の臭いがわたしたちを包んでいたけれど、それを洗い流した今は、まるで違う世界に来たかのようだった。陽光はやわらかく、風は涼やかで、馬車の車輪が草を踏みしめるたびに、心がゆるむような音がした。
「ついたーっ!」
ランスロットの声が、世界に色を塗るように響いた。
馬車から降り立つと、目の前には大きな木造ゲート。その上には、笑顔の動物たちが描かれた看板――《ようこそ! ナスソルト動物王国へ》。
ベアトリスが歓声を上げながら駆けていく。その背中を目で追いながら、私はゆっくりと歩き出した。旅の疲れは、まだ足元に残っている。でも、ここではその疲れすら、少しずつ癒えていくような気がした。
最初に現れたのは、氷の小屋でくつろぐペンギンたち。
ふらりと立ち止まったベアトリスは、しばらく言葉もなくその姿を見つめていた。
「……わたし、小さい頃、母に連れられて田舎の動物園に行ったことがあるの」
ふいに話し始めた彼女の横顔は、どこか懐かしさに包まれていた。
ペンギンが手袋を拾ってくれた話、泣いてしまったこと、そして嬉しかったこと。
そのすべてを、彼女は淡々と語った。けれどその声は、揺れていた。
「……優しい子ね。あなたも、そのペンギンも」
気づけば、自然とそんな言葉が口からこぼれていた。
私はベアトリスのように素直に感情を語ることができない。だからこそ、彼女が過去の思い出を打ち明けてくれたことが、心に深く沁みた。
ふれあい広場では、アルパカがのんびりと草を食み、ヤギたちが首をのばして柵の外を覗いていた。
ランスロットはアルパカに顔を埋めようとし、アルフレッドは静かにポニーのたてがみを撫でている。
私はといえば、その喧噪から少し離れたところで、柵の向こうに見える狼のエリアを見つめていた。
――北方の灰色狼。
噂では、凶暴で、人の気配にさえ牙をむくという。けれど、目の前の狼は違った。確かに体は大きい。でも、その瞳には静かな光が宿っていた。まるで、すべてを受け入れているかのような、そんな優しさがあった。
「うん……でも、なんだか目が優しい気がする」
隣に立つベアトリスがぽつりと呟いた。
彼女の言葉が、わたしの思いと重なるのが、なんだか少し嬉しかった。
午後の牧羊犬ショーでは、笛の合図に合わせて犬たちが駆け、跳び、吠えた。
観客席に座るランスロットは、ひとつひとつの演技に大きな声で反応している。普段の彼の剣の腕前からは想像できないほど、子どものようなはしゃぎぶりだった。
「ランスロット、もう少し落ち着いて……って言いたいけど、まぁわかるわ」
誰よりも純粋に楽しんでいるその姿に、自然と微笑みが浮かんだ。
昼食は園内の小さなレストランで。
地元のチーズやミルクをふんだんに使った料理は、どれも滋味深くて、舌だけでなく心までも満たしてくれた。わたしはミルクシチューを選び、ベアトリスは野菜のキッシュ、ランスロットは肉料理に舌鼓を打っていた。アルフレッドは、食事中もどこか静かで、しかし満足げに微笑んでいたのが印象的だった。
「このチーズケーキ、ぜったい買って帰る!」
ランスロットはそう言って、スイーツ売り場で箱入りを即購入していた。子どもみたい、と言えばそうだけれど、その素直さが、どこか羨ましくもある。
ショップでは、わたしもつい手が伸びた。
灰色狼のイラストが描かれたマグカップ。よく見ると、瞳まで丁寧に描かれている。妹が狼好きだったことを思い出し、そっと手に取った。
「ふふ、それ似合ってるわ。私は……この狼のマグカップにしようかな。妹が狼好きだから」
誰にともなく呟いた言葉に、ベアトリスがにこりと笑った。
彼女は、幻の猫「ナールイネコ」のトートバッグを選んでいた。耳がくるんと丸まった猫。そのイラストは、なんとなく彼女に似ているような気がして、わたしも思わず笑みをこぼした。
帰り道。馬車に揺られながら、空は夕焼けに染まり、頬を撫でる風が一層冷たくなっていた。けれど、心は不思議と温かかった。
「今日は……いろんな命に触れた気がする」
ベアトリスが呟いたその言葉に、わたしは大きく頷いた。
「それを忘れないようにしたいわね。魔術も剣も、命を守るためにあるものだから」
――そう。わたしの魔術も、学びも、そしてこの旅も。
何かを壊すためではなく、誰かを守るためにあるものだと、改めてそう思った。
宿に着くころ、空にはいくつかの星が瞬き始めていた。
夜風に混じって、微かに風鈴の音が聞こえた。
どこか、遠い日の記憶と重なるような、優しい音だった。




