第40話 ベアトリス、天然氷のかき氷を食べる!
夏陽の風 ―ナースソルト高原
「ふわあ……見て、あれ……雲が下にある……!」
感嘆の声をあげたのはベアトリスだった。彼女は馬車の窓から顔を出し、遠く下に広がる雲海を眺めている。標高の高い峠道を抜けて、ついに目的地のナースソルト高原へと到着したのだ。
王都よりもずっと涼しい風が、頬をなでる。どこか草の香りを含んだ風は、夏の日差しとは別物の、澄んだ冷たさをまとっていた。
「うーん、やっぱり高原は涼しくていいなぁ……これなら一日中外にいても汗ひとつかかないぞ!」
ランスロットが背伸びをしながら深呼吸する。白いシャツにベージュのズボン、そしてストローハットという出で立ちは、田舎の少年のように見えた。
「海もいいが、こっちも悪くないな。静かで、空気が澄んでる」
アルフレッドも馬車を降り、荷物を担ぎながら辺りを見渡す。見下ろせば谷間には銀色の川が流れ、遠くに放牧された牛や馬が小さく見える。
ベアトリスは青いワンピースに麦わら帽子をかぶり、まるで童話から抜け出してきたような風情だった。
「……ああ、ほんとに来てよかった」
彼女が思わず呟いた声に、隣に立つキャンベラがちらりと視線を向ける。
「王都の暑さに耐えられなくなって、急に“避暑に行きたい”って言い出したのはあなたでしょう?」
「だって……かき氷の話してたら、本物の天然氷で作ったやつ、食べたくなったんだもん……」
「ふふ。ま、私も温泉に惹かれたから、文句は言わないけど」
キャンベラは薄い羽織を翻し、宿へと歩き出した。
今回の宿は、地元でも有名な温泉旅館だった。天然の湧水を使った露天風呂と、山から切り出した氷で作る「天然かき氷」が売りである。広い庭園の先には足湯があり、夜になれば満天の星空が見えるという。
「……これが、本物の天然氷……!」
午後、旅館の縁側で出されたのは、まさに芸術のようなかき氷だった。透明感のある氷がふんわりと盛られ、上には地元産の苺や桃、抹茶蜜がかかっている。風に舞う風鈴の音と、ひぐらしの鳴き声が耳に心地よい。
「おいし……っ! 口に入れた瞬間、ふわって溶けた……!」
「これが本当の“氷の魔法”かもな。キャンベラ、負けてるぞ?」
アルフレッドが冗談めかして言うと、キャンベラは肩をすくめた。
「これは自然の力よ。私の魔法でも真似できないわ」
ベアトリスは両手で器を抱え、至福の笑みを浮かべていた。額にかかった前髪を軽くかきあげながら、隣のキャンベラを見る。
「ねえ……このまま、ずっとここにいたくなっちゃうね」
「わかるわ。明日から戻るの、ちょっとだけ嫌かも」
彼女たちの背後では、ランスロットが「ミックス全部のせください!!」と元気よく注文し、店主の老人を笑わせていた。
その日の夕暮れ、四人は露天風呂へと向かった。温泉は旅館の裏手、小高い丘の中腹にある岩風呂。木々に囲まれ、湯けむりがゆらりと立ち上るその場所は、まるで自然の懐に抱かれているようだった。
「ぅぅ~……極楽、極楽……」
ランスロットが湯に浸かりながら、肩まで沈み、心底幸せそうな声をあげる。隣のアルフレッドもまた、湯面に顎をのせて目を閉じていた。
「騒がないでくれ、せっかく静かなんだから」
「いやー、でもこれは騒ぐだろ~。だってこのお湯、なんか……心の奥まで温まる感じするんだぜ?」
一方、女性風呂側でも、湯気の中から楽しげな声が聞こえていた。
「……あははっ。こんなにゆったりお湯に浸かるなんて、王都じゃできないよね」
「体の芯までほぐれていくわ。肌もすべすべになりそう」
湯船の縁に肩肘をついて空を見上げながら、キャンベラがぽつりと漏らす。
「……ねえ、ベアトリス。今度は雪の温泉とか、どう?」
「いいね、それ! 雪見風呂……ロマンだよね。あったかいお湯と、冷たい空気……最高じゃん」
「じゃあ、次の旅先は決まりね」
二人は笑い合い、しばしの沈黙のあと、また静かに湯に身を委ねた。
夜。広間で簡単な夕食を終えた四人は、庭の縁側に腰掛けて、冷たい水出し茶を飲みながら星空を眺めていた。
「……すげぇ……星が、こんなに……」
ランスロットの声が、心なしかいつもより小さく響く。
「まるで、夜空が近づいてきたみたいだ……」
星々は確かに手を伸ばせば届きそうなほど近く、きらめいていた。流れ星が一筋、天を横切る。
「願い事、しなくていいの?」
ベアトリスがぽつりと尋ねると、キャンベラが首を横に振る。
「しない。……今、十分すぎるほど幸せだから」
「……うん、わたしも」
静かな夜に、波の音も、街の喧騒もない。ただ、虫の音と、遠くの木の葉が揺れる音が心地よく響く。
アルフレッドが、ゆっくりと立ち上がる。
「……明日、少し早起きして、あの谷の方まで散歩してみないか?」
「いいね、それ。朝霧のなか歩くのって、気持ちよさそう」
「じゃあ、また朝も早起きだな。キャンベラ、起こしてくれよ」
「自分で起きなさい。寝坊したら置いていくわ」
笑い声が、再び広がった。
こうして、彼らの“もうひとつの夏休み”――高原の休日は、ゆっくりと夜の静寂のなかへ溶けていった。
その空には、またひとつ流れ星が落ちていた。




