第38話 ベアトリス、夏はやっぱりアイスです!
冷却魔法と、はじまりのアイスクリーム
魔導薬学研究室の窓から、初夏の柔らかな陽射しが差し込んでいる。
「……で、なぜ私は朝から、甘いものの話を聞かされているのかね?」
研究台に腕を組んで座るエレンストの顔は、いつにも増して難解な表情をしていた。その前で、ベアトリスは両手にノートと、何やら色とりどりの材料を載せた籠を持っていた。
「先生、この研究はれっきとした“応用魔導科学”の一環です! 目指すは――冷却魔法を使った、最高に美味しいアイスクリームの開発です!」
「…………」
「ちなみに、王都の貴族子女たちの間で最近、流行ってるらしいんです。『氷の菓子』って名前で」
「はあ……また俗っぽい話を……」
エレンストはため息をついたが、それでも結晶によって記憶を取り戻してからというもの、どこか以前より柔らかくなったように思えた。かつての冷たい表情ではなく、今の彼は“目の前の生徒の提案”を一応は聞くくらいの余裕を持っている。
「まあ、いいだろう。どうせ今日は結晶の分析装置も調整中だし、君の“菓子作り”に付き合ってみようじゃないか。で、君の案というのは?」
「はい、こちらです!」
ベアトリスは勢いよくノートを開いた。そこには「冷却魔法応用案:低温持続フィールドによる魔導冷却装置試作計画」と、真面目とも悪ノリとも取れるタイトルが走っていた。
「冷却魔法は通常、対象の温度を一時的に下げるだけですが、それではアイスを作ってもすぐに溶けてしまいます。そこで、私が提案するのは“冷却の持続性”を高めた新術式。これで、氷菓を安定して冷やすことができます!」
「ふむ。術式の設計図……いや、これは……面白い着眼点だな」
エレンストは目を細め、ノートに記された複雑な魔法陣と、温度推移の予測図に目を通していく。単なる思いつきではない。ベアトリスは本気で研究していたのだ。
「ただ凍らせるだけではない。温度を“零下三度”付近で制御し、素材の食感を保つ……この制御術式は、魔導保存技術にも応用できるかもしれない」
「でしょう!? 実用化できれば、魔導食堂で冷たいメニューが増えるだけでなく、魔法薬品の保存にも――」
「……よし。やろう。だが君、実際に“材料”は?」
「あります!」
籠の中から、ベアトリスは手早く材料を取り出していく。山羊乳、甘味草から精製した魔導糖、希少なバニラの種子、そして冷却媒体となる魔石。
……そして、実験は始まった。
◇ ◇ ◇
「温度安定……よし、魔法陣起動……っ!」
研究台の上に描かれた魔法陣が、淡い青光を放つ。エレンストが展開した冷却持続魔法〈フロスト・セル〉が、実験用の魔導鍋に宿る。
「攪拌開始!」
ベアトリスは、鍋の中の白く濃厚な液体を、魔力を帯びたスプーンでかき混ぜ続ける。魔法の冷気が鍋の外周をゆっくりと包み、じわじわと素材が凍り始めていく。
「おぉ……これは……!」
「うまくいってる……“滑らかな凍結”が成功してる……!」
エレンストの眉が上がる。これまでの冷却魔法では“急冷”によって氷の結晶が粗くなり、味や食感が落ちるのが常だった。しかし、ベアトリスが設計した魔法陣は、凍らせるというより“緩やかに凝固させる”冷却を可能にしていた。
「さあ、先生……試食タイムです!」
彼女は銀のスプーンに、白いアイスクリームをすくって差し出す。エレンストは少し警戒しつつも、一口、それを口に含んだ。
「……ッ……!?」
その瞬間、思わず目を見開く。
濃厚な甘みと、バニラの香り。口の中でふわりと溶けていく滑らかさ。ひんやりとした冷気が舌を包み込み、最後には、ほのかな余韻を残して喉の奥に消えていった。
「……これは……本物だ……
「ふふん。言ったでしょう? “最高のアイス”だって」
ベアトリスが得意げに胸を張る。
それを見て、エレンストは思わず笑ってしまった。
「まったく……君という生徒は、常に私の予想の斜め上を行く……」
「だって、先生の助手ですから」
ふたりは、しばし研究の緊張を忘れ、静かに笑い合った。結晶に宿っていた記憶の闇とは対照的な、淡く、やさしい時間。
◇ ◇ ◇
そして、翌週。
魔導薬学研究室の前には、なぜか長蛇の列ができていた。
「先生! あのアイス、ほかの生徒たちにも試食させたら、すっごく評判で……!」
「……どういうことだ、これは……?」
驚くエレンストをよそに、ベアトリスは手際よく魔導鍋に魔力を流し、再び冷却魔法を起動させる。
「研究資金の足しになるかもしれませんよ? “魔導冷菓・第一号”。学院限定販売です!」
冷却魔法と、ひと匙の魔法菓子。
忘れられた記憶の先で、確かに彼女たちの“今”が動き出していた。




