第22話 キャンベラ、ベアトリスからの贈り物
紫の契約 ―孤独なる瞳の奥に―
キャンベラ=フェルノは、いつも独りだった。
特待生。天才。冷血。寮内でも、学院内でも、そんな風に囁かれることに慣れていた。誰も寄せ付けなければ、誰にも傷つけられない。そう教えてくれたのは、人生だった。
そして今も、誰にも言えない秘密を抱えている。
妹――ティナ。
病に侵され、日々衰えていく命を、キャンベラは文字通り、命を削って守ってきた。〈身代わりのペンダント〉。それだけが、最後の保険。彼女のすべてだった。
そんな日々の中で――あの少女は現れた。
「あなたの妹さんのことです」
名前も知らない少女が、扉の向こうからそう言ったとき、キャンベラの心は確かに揺れた。
誰にも話していないはずの秘密を、彼女は知っていた。しかも、手には銀の瓶――〈星露のエリクシル〉。
「本気で言ってるの……?」
初対面の少女が、命がけで死の森に踏み込んでまで、誰かのために霊草を手に入れたというのか?
「……信じられないわ」
けれど、彼女の目――その奥にあったものは、たしかに真実だった。計算や取引ではない。誰かを救いたい、という、まっすぐな願い。
(信じてはいけない。けれど、拒みきれない)
葛藤を抱えながら、キャンベラは彼女と共に、ティナの家へと向かった。
「どうして、そこまで?」
道すがら、口に出した言葉は、自分でも意外だった。ずっと胸に押し込めていた疑問が、自然と零れ落ちていた。
彼女――ベアトリスと名乗った少女は、笑って、こう言った。
「病気で苦しむ辛さは知っている。だから、助けたいの」
その言葉は、鋭く胸に刺さった。
(この子も、誰かを、あるいは自分を、苦しみから救えなかった過去があるのか……?)
「わたしも、分からないわ。でも……あなたのそのペンダントは、わたしには必要なの」
単なる慈善じゃない。それでも、彼女の目的は卑しいものではなかった。危険を冒し、命をかけてでも行動する――そういう人間は、嫌いじゃなかった。
ティナの寝室で、ベアトリスは本当に慎重に霊草を扱った。まるで壊れ物に触れるように、愛おしげに。
その姿を見たとき、キャンベラはふと思った。
(――この子なら、信じていいかもしれない)
そして、朝。
奇跡が起きた。
ティナが目を開け、呼吸が整い、弱々しく笑った。
その時、キャンベラは気づいた。
涙が止まらなかったのは、病気が癒えたからだけじゃない。
誰かが、本気で自分たちを「救おうとしてくれた」から。
「……約束は、守る」
ペンダントを差し出すとき、迷いはなかった。
大切な物を託せる相手が、確かに目の前にいたからだ。
けれど、それ以上に――自分がこれまで信じようとしなかった「他人」という存在が、こんなにもあたたかく、自分を変えてくれるとは思わなかった。
(ベアトリス……あなたは、何者なの?)
数日後。
キャンベラは一人、学院の中庭に佇んでいた。春の風が、静かに髪を揺らす。
「あら、こんなところにいるなんて珍しいわね」
後ろから声がして、振り向くと、ベアトリスがいた。屈託のない笑顔で、小さな花束を抱えていた。
「……妹に? それとも私に?」
「両方に、かな。ティナさんが元気になったって聞いたから、お祝いに」
(本当に、変な子)
心の中で呟いて、思わず口元が緩む。こんなふうに笑ったのは、何年ぶりだろう。
「ねえ、ベアトリス」
「ん?」
「……また、来てもいい?」
「もちろん」
その瞬間、確かに心の扉が――ほんの少しだけ、音を立てて開いた気がした。
ベアトリスは、戦士ではない。剣も、魔法も、ろくに扱えないように見える。
だけど、彼女には人を変える力がある。
それは優しさなんて曖昧な言葉で済ませられない。
愚かしいほどに真っ直ぐで、不器用で、それでいて――
(誰よりも、強い)
気づけば、キャンベラは彼女のことを目で追っていた。
歩く姿も、言葉を交わす様子も、心に残る。
そしてふと気づく。
(ああ、わたし……この子に惹かれてるんだ)
それは恋と呼ぶにはまだ早い、でも確かに胸を満たす感情だった。
かつてのキャンベラなら、絶対に関わろうとしなかっただろう。
けれど、今は違う。
ベアトリスがいれば、自分の世界は少しだけ広がっていく。
ティナの笑顔も、自分の心も、確かに癒えていくのを感じた。
(次は、わたしが――あなたを助ける番かもしれないね)
そう思ったとき、心の奥底で何かが芽吹いた。
紫の契約は、交わされた。
それはただの取り引きではない。
新しい絆の始まりだった。




