第19話 露店のエルフ、風変わりな少女ベアトリス
「風変わりな少女――ベアトリス」
あの日の昼前、街の陽射しは珍しく優しかった。露店通りには活気があふれ、人々の声と、焼きたてパンの香ばしい匂いが行き交う。そんな中で、私の店はいつもと同じように、ひっそりとその一角にあった。
誰に見つけてほしいわけでもない。けれど、探す者には確かに届く。それが〈選ばれし品〉というもの。
そして彼女――ベアトリス=ローデリアが、初めて現れた。
長い栗色の髪を後ろでゆるくまとめ、高貴さと慎ましさの合間を漂わせるような制服姿。表情は一見穏やかだったが、瞳の奥に潜むものが違っていた。
“傍観者ではない”、とでも言うのかね。
誰かに導かれたように、ふらりと店先に足を止め、あの子は「万年筆の剣」を手に取った。普通の学生ならスルーするような、ネタとしか思えない一品。それを選び、しかも気に入って買っていくあたり――彼女はただの令嬢じゃないと、すぐにわかったよ。
私は時折、そうした“分岐点に立つ者”を見かける。そして、ほんの少し背中を押す。それが私の役目だから。
――そして数時間後。
まさか、再び姿を見せるとはね。
彼女は警戒もせず、まっすぐに歩いてきた。目元に迷いはなかった。いや、あったのかもしれない。けれど、それよりも強い“意志”が、彼女の背を押していた。
「さっきのお嬢ちゃんじゃないかい」
そう声をかけたとき、ほんの一瞬驚いたような顔を見せた。でもすぐに、あのくすっとした笑みを浮かべた。そう、あれは……覚悟を決めた人間の笑いだ。
“身代わりのペンダント”を探していると知って、私は少しだけ、心の底でため息をついた。奇妙な巡り合わせだよ。数時間前に、他の少女がそれを買っていったばかりだったのだから。
紫の髪の、実直そうな子。あの子もまた“運命の分岐”にある者だった。
けれど、面白いのはここからだ。
私は袖から、もうひとつの品――“契約式身代わり護符”を取り出した。
これは、ただの代替品じゃない。真に選ばれし者でなければ扱えない、リスクと報酬を天秤にかける者のための品だ。
ベアトリスは、それを見つめた。
その視線には恐れもあっただろう。だが、それ以上に、彼女の瞳は……光っていた。まるで、“この世界の歯車を、自分の手で回してみせる”とでも言いたげに。
「面白そうじゃない。買わせてもらうわ」
その言葉を聞いたとき、私は確信した。この子は、自ら望んで“運命の檻”を壊しに来たのだと。
ペンダントを渡しながら、私は最後の忠告をした。
「その勇気、後悔しなきゃいいけど」
だが、その背を見送るとき――不思議と、心が温かくなっていた。彼女が正面から世界を切り開こうとしている姿が、まぶしかったのだろう。
「運命の“分岐点”が、またひとつ増えた……か」
思わず、独り言が漏れた。
*
その夜、私は静かな灯火の中で、古い水晶球に目を落とした。
占いの道具ではない。これは“観測器”だ。私の関与した者たちの行方を、ほんの少しだけ追うことができる――いわば、運命の記録装置のようなものさ。
すると、球の中に映ったのは――学院寮の一室。貴族らしい調度の中、机の上に置かれた琥珀のペンダントが淡く光っていた。
その光を見つめるベアトリスの瞳には、疑いも、迷いもなかった。
ただ、“選ぶ覚悟”だけがあった。
(彼女はすでに、この世界の“外”を知っているのだろう)
誰にも気づかれぬよう、記憶の裏側をなぞり、歴史の歯車を一つひとつずらしている。
彼女は、プレイヤーなのだ。この世界に生まれ、そして、それを“乗り越える者”。
“契約式護符”がその身を守るとき、代償に払うものは“可能性”。
一度選べば、それは戻らない。誰かとの出会い、あるいは恋。友情、信頼、栄光、または別の道。
だが、それを理解した上で選ぶのなら――
きっと彼女は、この世界で“真の結末”を見つけるだろう。
*
再び露店の奥で、私は静かにローブの裾を整える。
今日は、また新しい者が来るかもしれない。明日は、誰かが後悔の涙を流すかもしれない。
だが、それでもいい。
私はただ、分岐の鍵を渡す者。誰かが歩み出す瞬間に、そっと灯をともす者。
――そして、あの子の物語が、この先どう繋がっていくのか。
それを見届けることが、私のささやかな楽しみなのだ。
「がんばりな、ベアトリス=ローデリア。君の選んだ契約が、世界を変えることを――願ってるよ」