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第14話 ベアトリス、死者の森グラズヘイム

紫の契約 ―死者の森グラズヘイムへ―



グラズヘイム――。かつて戦争の最前線となり、幾千の兵が倒れ、その怨嗟が大地に刻まれた場所。朝日すら届かぬ密林の奥、瘴気に満ちたその森に、今、二人の影が足を踏み入れた。


「この森……息が詰まりそう……」


ベアトリスは薄紫の外套に身を包み、懐に魔導書を抱え、リュシアンの背後にぴたりとついて歩いていた。森の木々は歪にねじれ、常に何かが蠢く音が辺りに漂っている。


「平気平気、まだ序の口さ。出迎えも来てないじゃないか」


リュシアンは軽口を叩きながらも、白銀の弓を肩にかけ、目は鋭く周囲を見渡していた。


「でも、本当に大丈夫……?わたし、戦えないのに……」


「戦えなくたっていいさ。あんたの目的は“星露のエリクシル”を見つけて持ち帰ること。それだけに集中してくれればいい。護衛はわたしの役目さ」


そう言って、リュシアンは手首をくるりと回し、一本の銀色の矢をつまみ上げる。


「ただし、あんたが“死ぬ”と面倒だ。なるべく、わたしの目の届く範囲にいな」


「……わかったわ」


森を進むうちに、徐々に空気が変わっていく。吐く息が白くなり、霧の中に浮かぶ影が動く。


「来たね……《影喰い》だ」


リュシアンが弓を引き絞った瞬間、森の奥から黒い犬のような影が何匹も、ぬるりと現れた。毛並みは霧のように揺らぎ、眼光は赤く燃えている。


「……お願い、リュシアンさん」


「任せときな」


次の瞬間、銀の矢が宙を裂き、一体目の《影喰い》を貫いた。続けざまに、もう二本、三本。ベアトリスはその場にしゃがみこみ、震える手で魔導書を握りしめる。


(わたしには……何もできない。でも……)


「――“記録せよ、時の観測者”」


彼女の呟きとともに、魔導書のページが光を帯びる。ベアトリスは“魔法学者”であり、“観測と記録”を得意とする非戦闘系の魔導士。直接攻撃はできないが、敵の性質を読み解き、仲間に伝えることで支援する。


「リュシアンさん!弱点は後ろ足の間よ、そこに瘴気の結晶核がある!」


「ふぅん、いい観察眼じゃないか!」


リュシアンは影のように動き、次の矢で《影喰い》の核を正確に貫く。黒い煙を上げて、一体、また一体と倒れていく。


十数分後、静寂が戻った森に、二人の息遣いだけが残った。


「……助かった」


「助かったのはわたしの方さ。あの観察魔法、かなり便利だよ。正面から戦ってたら時間がかかってた」


「でも、やっぱり……わたし、怖い。身体が震えるの。心臓が潰れそう」


「当然だよ、ここは生きる場所じゃない。死者が眠るところだ」


それでも前に進む二人。その先に、希望があると信じて。


***


三時間後、彼らは“結晶の谷”と呼ばれる一帯にたどり着いた。


「ここ……こんなに、綺麗……」


瘴気の合間に差す光が、青紫の水晶を反射し、谷全体がほのかに光っていた。中央の水たまりのような泉には、一本だけ、小さな草が生えている。その葉先から、夜露のような雫がぽたりと落ちた。


「これが……〈星露のエリクシル〉……!」


ベアトリスが駆け寄ろうとした、そのとき。


「ストップだ」


リュシアンが手を広げて、彼女の前に立つ。


「ここには……番人がいる」


その声と同時に、地面が揺れ、谷の奥から巨体が姿を現した。灰色の甲殻に包まれた四足の獣、《霧狼王マグラグ》である。


「まさか、まだ生きてるとは……!」


「この森を守る“記憶の番犬”さ。やっかいなことになったね」


ベアトリスはすぐに魔導書を開き、分析を始めた。


「霧狼王の核心は首の後ろ、ただし……五秒に一度、霧で守りを張るわ。タイミングを見て!」


「了解」


リュシアンは矢を構え、狙いすました一撃を放つ。だが、霧がそれを逸らす。


「くっ……!」


「まだよ、次のタイミングまで待って――いま!」


叫ぶベアトリスに応じ、リュシアンが飛び、跳ね、風を切るように矢を射った。


それが、霧が消える一瞬を貫いた。


巨体が地響きを立てて崩れ落ち、静けさが戻る。


「……終わった」


ベアトリスはふらりと膝をついた。戦っていないはずなのに、全身の力が抜ける。


「お見事」


「リュシアンさんがいてくれたから……」


彼女は静かに、〈星露のエリクシル〉の雫を採取する。これが、キャンベラの妹――ティナの命を救う希望だ。


***


帰路の中、リュシアンがぽつりと呟いた。


「願いが叶ったね。あのペンダント、本当に“叶えて”しまったみたいだ」


「ええ……でも、叶ったのはわたしの願いじゃない。キャンベラの……ティナの命。誰かの“未来”を守りたいっていう、ただそれだけ」


リュシアンはにやりと笑った。


「まったく……アーベルの娘らしいよ。あの人も、同じことを言ってた」


薄紫の霧の向こう、光がわずかに差し込む――グラズヘイムの森にも、希望は差すのだ。

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