第13話 ベアトリス、白銀の髪のリュシアンに会う!
紫の契約 ―ベアトリスとキャンベラの取引―
朝靄が薄く街を包むなか、ベアトリスは革の鞄を背に、街へと足を踏み出していた。目的地は冒険者ギルド。キャンベラの妹ティナを救うには、“死者の森”と呼ばれるグラズヘイムへ向かう必要がある。そこに、魂を蝕む病“魂喰み”を癒す唯一の霊草〈星露のエリクシル〉が眠っているのだ。
「さすがに……たった一人じゃ無理ね」
そう独り言を呟きながら、ベアトリスは石畳を踏みしめていく。求めるのは、信頼できる“戦える仲間”。心当たりはひとりしかいなかった。
ギルドの扉を開けると、朝の酒場はまだ静けさの中にあった。冒険者たちはまばらに席を埋めており、カウンターの奥の影――そこに彼女はいた。
白銀の髪を編み上げたエルフ、リュシアン。琥珀の瞳は冷ややかで、どこか底知れぬ気配を漂わせている。彼女は、かつてゲーム内イベントで“深紅の月夜に現れる影”と呼ばれた隠しキャラクター。その実力はプレイヤーたちの間でも伝説だった。
「おやおや、可愛らしいお嬢さんだこと。もしかして依頼かい?」
「おはようリュシアンさん、わたしはベアトリス。あなたにお願いしたいことがあるの。……手伝ってくれない?」
「おやおや、誰にわたしのことを聞いたのかな?」
リュシアンは薄く笑いながらも、その瞳には鋭い光が宿っていた。ベアトリスはその視線を真正面から受け止める。
「わたしは、ローデリア辺境伯の娘なの。これでわかるかしら?」
一瞬、リュシアンの眉がピクリと動いた。
「……アーベルトかい?」
ベアトリスは静かに頷く。彼女の父アーベルトとリュシアンは、ゲーム内設定ではかつて同じ冒険者として名を馳せた仲間だった。
「父が、大変お世話になりました」
「ふぅん……なるほどね。で、どんな依頼なんだい?」
「友達のキャンベラ=フェルノの妹、ティナが“魂喰み”に侵されているの。救ってあげたいの。グラズヘイムに一緒に行ってほしい」
「まったく、変わらないわね……アーベルと同じ。甘っちょろいことを言う」
リュシアンは小さく肩をすくめ、ワイングラスを傾けた。そして、目だけを鋭く向ける。
「で、肝心の報酬は?」
「これでどうかしら?」
ベアトリスはポーチから小さなペンダントを取り出した。琥珀色の石がはめ込まれた古びた銀の枠。街の露店で手に入れた、エルフの手によるとされる品。
リュシアンはそれを見るなり、ぷっと吹き出した。
「あはははっ! 面白い! それ、わたしがエルフ仲間のフリーダンスに“願いが叶うペンダント”って売りつけたやつじゃないか?」
彼女はテーブルを叩きながら笑い続けた。その様子に、ベアトリスは少しむっとした表情を浮かべる。
「……でも、これを渡してくれた人、わたしにこう言ったの。“願いを託すにふさわしい人にだけ、この石は応える”って」
リュシアンは、笑いを収めると、再び真顔に戻った。
「ふふ……それで本当にあんたの願いが叶ってしまうわけだ。面白いじゃないの。いいわ、つき合ってあげる」
その言葉に、ベアトリスは小さく息をついた。
「ありがとう、リュシアンさん。……本当に感謝するわ」
「ただし、三日後。準備を済ませておくこと。グラズヘイムは、半端な覚悟で行ける場所じゃないわよ」
三日間、ベアトリスは準備に奔走した。解毒薬、瘴気対策の護符、魔法触媒、非常食――そして、リュシアンが手配した“沈黙の外套”。それは、死者の森に潜む“感知型魔物”から身を隠すためのアイテムだった。
リュシアンは意外にも段取りに厳しく、日が沈む前には野営の方法から撤退ルートの確認まで徹底させられた。
「この森には、“二度死ぬ獣”がいる。“倒したと思った瞬間に背後から喉を裂かれる”っていうやつね。楽観するなら、ここで終わりよ」
「うん……覚悟はしてる。ティナを救うためだもの」
「ふうん……あんた、覚悟って言葉を軽く使うタイプかと思ってたけど、案外、目は死んでないのね」
「目が死んでたら、きっと誰も救えないもの」
リュシアンは無言で肩をすくめ、懐から小さな封筒を取り出した。
「これ、封魔の薬。瘴気の濃い場所では一滴舌に垂らすといいわ。ただし、三回まで。それ以上は“副作用”で記憶が飛ぶ」
「……ありがとう。覚えておく」
「借りはつくるんじゃないわよ。わたしが楽しめそうだから乗っただけ。……さ、行こうか、アーベルトの娘」
そして、約束の三日後。二人は、グラズヘイム――死者の森の入口に立った。
月の光が木々を照らし、冷たい風が髪を揺らす。森の中からは、不気味な獣の鳴き声と、低いうなり声が響いてきていた。
「ここが……」
「ええ、“生者が踏み入れてはならぬ地”。でも――」
リュシアンは薄く笑った。
「生きて帰れば、ただの通り道よ」
ベアトリスは強く頷き、足を一歩踏み出した。
「行こう、ティナのために」
死者の森は、静かにその口を開け、二人を迎え入れた。