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第10話 ベアトリス、深夜に外出する!

忘れられた記憶の結晶



 月が雲間に姿を覗かせると、学院の中庭に薄青い光が差し込んだ。夜の帳が降りて久しく、寮の明かりもすでに落ちている。時刻は――まもなく、午前零時。


「あと少し……」


 ベアトリスは、黒のローブを肩までしっかり羽織りながら、中庭の古びた噴水の前に立っていた。真夜中に外出することは明確な規則違反。けれども、それを咎める教師も、生徒も、今はどこにもいない。


 彼女の手の中には、懐中時計があった。小さく、可愛らしい金の細工が施され、かちり、と音を立てながら短針が“12”を指し示す。


 ――0時。


 その瞬間だった。噴水の裏手、苔むした石壁に淡い光が灯る。まるで何かが目覚めたように、柔らかな光がゆらりと揺れた。


 「来た……!」


 彼女が息をのむと、光はひとつ、またひとつと増えていく。まるで月の涙がこぼれ落ちたかのように、ふわり、ふわりと舞い上がる蝶たち。光の蝶――古文書に記されていた通りだ。真夜中の十五分間だけ、この学院の結界の隙間を縫って現れる存在。


 ベアトリスはそっと一歩踏み出す。蝶たちは逃げるでもなく、彼女の周囲をゆったりと舞った。幻想的な光景に、思わず目を奪われそうになる。けれど――彼女は忘れていなかった。


 「追うの。蝶の先に、結晶がある……!」


 光の蝶は一定の間隔を空けながら、静かに宙を進んでいく。ベアトリスは足音を忍ばせながら、石畳の小道を抜け、学院の裏庭――今は使われていない古い温室へと誘われる。


 扉は鍵がかかっていなかった。蝶たちがその先を舞っているからか、ベアトリスも迷わず扉を開く。そこには、枯れ果てた花壇と、蔓草に覆われた石像が並ぶ静寂の空間が広がっていた。


 そして――その中央に、それはあった。


 蝶たちが集まり、ひとつの光の球へと姿を変えていく。その球体は徐々に輝きを増し、やがて、透き通るような淡紫の結晶へと姿を変えた。


 「……〈忘れられた記憶の結晶〉……!」


 彼女はその名をそっと呟いた。結晶は手のひらほどの大きさで、中央にはまるで花の蕾のような模様が浮かび上がっている。触れれば、過去の誰かの記憶が流れ込んでくると言われている、秘匿の魔道具。


 だが、ベアトリスがこれを必要とする理由は――他人の記憶を覗くためではなかった。


 「これで……エレンスト先生を、助けられる。そして、アイテムも手にはいる」


 エレンスト。魔導薬学の第一人者にして、学院の教壇に立つ名教師。だが、彼は今、ある禁術によって記憶を失っていた。研究中の事故……と報告されているが、ベアトリスは違和感を覚えていた。


 「先生は何かを隠してる。自分の記憶を――自ら封じた。そうでしょう?シナリオ通りなら」


 この結晶があれば、封印された記憶を取り戻せる。彼の真意も、何を恐れ、何から逃れようとしていたのかも。ゲームのシナリオ通りであれば、間違いない展開になるはずだ。


 ――カチリ。


 再び懐中時計が鳴る。午前0時15分。蝶の姿はすでに消え、温室に光はない。だが、ベアトリスの手の中には確かな結晶のぬくもりがあった。


 (あとは、先生の元へ……)


 そのとき、温室の奥から、小さな気配が動いた。


 「誰……!?」


 ベアトリスが構えた瞬間、闇の中から現れたのは一匹の黒猫だった。赤い瞳が、じっと彼女を見つめている。……いや、それは猫ではなかった。


 「……精霊……?」


 小さな姿を持ち、人の言葉を持たない存在。それは彼女の手元の結晶を見つめ、かすかに尻尾を揺らした。


 ――その記憶は、選ばれし者にしか開かれない。


 そんな声が、どこからともなく響いた気がした。


 (私は……選ばれたの? え? ゲームにこんなシナリオあった? あれ?)


 違和感を覚えながらもベアトリスは結晶を胸に抱きしめ、温室を後にした。この場から早く離れなければならない。夜の風がそっと吹き、髪を揺らす。帰寮までの道のり、誰にも見つからずに戻らなければならない。けれど、彼女の足取りは迷いなかった。


 〈忘れられた記憶の結晶〉を手にしたその瞬間から、ベアトリスの運命は変わり始めていた。

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