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異世界短編

濡れ鼠は空を見上げる


 雨が降るのは自然なことだと誰かが言ってた。


 そんな事を考えていた8歳の誕生日。

 座ったまま見上げた空は灰色で、木々の合間からただ降り頻る雨を見つめていれば突然に太陽が目の前に現れた。


「君はそんなところでしているの?」

「お日様の……目」


 その私より幼い彼の目は空に輝く太陽のような色をしていて、答えにもならない私の呟きにその子はあははと屈託なく笑った。


「ウチにおいでよ。カゼ、ひいちゃうといけないからさ」


 気付けば髪までもお日様みたいな色をしていて、浮かべる笑顔までもお日様みたいに暖かなその子に手を取られると、濡れ鼠のような私を躊躇いなくその傘の下へと入れてくれる。そんな事をして自分も濡れてしまっているのにも構わず、使用人の制止も無視してそのまま豪華な馬車へと私も一緒に乗り込ませた。








 ────あれから12年。



「ローレンスおぼっちゃま。起きてくださいませ」

「あと10分かあと5時間寝かせて」

「なんですかその自由な時間設定は……」


 今朝もメイドの私が厚いメガネを通して見るのは、ベッドから声こそ聞こえるにしても起きる気のないという意思表現なのか、そこには頭までかけられた布団。

 躊躇いなく剥がせばその下から出てきた不満気なその人は、二十歳になる私より2つ年下で、雇い主の息子であり……私の拾い主。


「今日は御用があると旦那様からお聞きしておりますよ」


 その言葉に今度は更に唇を尖らせて不満をあらわにされてしまう。

 出会った頃に太陽と思った彼は身体ばかり大きくなって、中身は子供のようなまま……この様子だ。


「お出掛けですよね。お支度お手伝いいたしますから」

「やだ。ドロシーが代わりに行って」

「そうはいきませんよ」


 呆れたとため息混じりに言えば、彼は渋々起き上がりのっそりと布団から出てくると、また今日もバスローブのまま眠っていたらしくその胸元は大きくはだけている。


「寝る前には着替えて下さいと申し上げたじゃないですか。お風邪を召されてしまいますよ。それにたとえ朝とはいえどだらしがないです。ほら、ちゃんとして下さい」


 戸惑うことなくその前を整えてあげれば、なんだか不満気な様子に「なんですか?」と眉を顰めて聞けば、「なんでもない」とやはり不満気に応えられた。


「とにかく、旦那様とはあと1時間後のお出掛けのお約束でしたよね。服はそちらに準備してあります。今、タイピンなどをお好みに合わせてお持ちしますのでその間に顔を洗ってきて下さい」

「はいはい」

「宜しくお願いしますね」


 淡々とそう告げてから私は準備の為に隣の衣装部屋に入れば、そのまま扉に沿って座り込む。



(はぁぁぁぁっカワイイッッッ!!)



 あばたもえくぼも何が何でも寝起きでも、私を拾ったあの頃の面影を残すほどに優しい容姿はそのままのくせして、鍛えられた筋肉も、その金にも見える色を宿した瞳も、朝だけは寝癖でふんわりと広がるその髪もまだ幼さの残したその性格も、全て全てが愛おしいと、湯気の出そうな頭に忍ばせておいたタオルを乗せて、鼻血は出るまえの予防だと、顔は天を向けて熱くなってしまった頬を手で煽ぐ。


「顔洗ったよ〜」

「畏まりました。直ぐにご用意いたします」


 私も勢いよく立ち上がると顔と意識を切り替えて、決してゆるまぬように眉間に皺を寄せてると実はすでに用意しておいたものを手に取り、またその扉を開けて彼の前へと出れば、そこにはすでにズボンを履き替えてワイシャツを着ようとしているその横に、幾つか宝石のついたタイピンやカフスボタンなどの飾りを並べれば適当な様子で指されたものをつけてあげると、おぼっちゃまはそのままため息混じりにその言葉を呟いた。



「お見合い……ですか?」


 言われた言葉を鸚鵡返しすれば嫌そうにこちらを見て頷かれた。


「そっ。僕ももうすぐ18で成人だからね。一度くらいは親父がしろってうるさくって」


 その言葉に私も頷きと言葉を返す。


「そうですね。貴族では適齢期。そろそろ出会いも大切かと思います」

「それならドロシーはテキレイキ過ぎてない?」

「喧嘩売られてます?」

「ただの質問」


 失礼この上ない質問に引き攣りそうな顔はなんとか留めて、一つ息を吐いてから答えを告げる。


「庶民の適齢期なんてあってないようなものですよ。仕事してれば遅いですし。ほら、ここのメイドだって私より歳上の方も多いですよ」

「怒られるよ」

「言わせたのはおぼっちゃまじゃないですか」


 さすがに酷いとその目を見れば太陽のような瞳は外を見つめ、もう一度深い溜め息を吐いてそのまま会話は終わり、無言のまま部屋を出て行かれてしまった。



 そしてその後、嫌々を絵に描いたようなおぼっちゃまが乗った馬車が出発して直ぐ、私は旦那様に呼び出された。





  ⁂⁂⁂⁂⁂




「わっ!ドロシーさん」

「はい……ドロシー・クリンストンです」


 身分不相応なおめかしをさせられてそのレストランの案内された席に座れば、向かいには歳の頃こそあまり変わらないようだが、呼び出したくせに驚くなんて失礼な始まりながらも目が合えばニコニコと笑った少しぽっちゃりとした男性が座っている。



「ローレンスの元クラスメイトのダンソンです!覚えてないですかね?」


 言われてみても思い当たる節がないと思うが目が合えば、嬉しそうな笑みを浮かべられた。


「学園にいた頃にローレンスの荷物を届けてくれたでしょ?」

「そんなこともありましたね。……ふふっ」


 思わず懐かしいと思い出すのは、それは少し遠い記憶だから。

 ローレンスおぼっちゃまが学業に必要な忘れ物をしたのはその一回きり。

 まだ中等部に入りたての頃、確かに一度だけ学園まで届けたことがある。


「あっ、えっと、その時に灰色の髪のローレンスのメイドって話題になったんですよ!」

「……そうですか」


 雨雲のような灰色の髪に灰色の瞳。あの頃と変わらず濡れ鼠のような華やかさもないこの姿。そういえばあの頃にローレンスおぼっちゃまから眼鏡を渡され、人前に出る時は掛けてと渡されてあの頃から顔を隠すためにずっとかけている。


「そうそうそれでっ、いつかまたその使用人の方にお会いしたくて」


 微笑みだけ貼り付けてそのまま暫くその話を聞けば、褒め言葉の中にやはり時折出る『使用人』の言葉。


「こうして向かい合って話せるなんて嬉しいなぁ。是非また会って欲しいんだ。いいでしょう?」


 メイドだから、使用人だからと、無理を通せばなんでも通ると思っているのかどんどん砕けていく言葉。


「えぇ、そうですね」

「本当に!? 大公殿下に頼んだ甲斐があったなぁ!」


 嬉しそうに権力を使ったと笑われて、私の心は冷めていく。

 それでもお世話になった旦那様の顔を立てねばなるまいと頷こうとしたその時、背後から突然手のひらで目を押さえられてその動きを止められた。



「なに頷こうとしてるのさ」

「おぼっちゃま?」


 その声に驚いて声を上げても、その視界は塞がったまま。


「お前も……、俺を通して許可が出ないからって親使って見合いだなんてつまんないことしやがって」

「や……やぁローレンス。たまたまホラ、お父様が、そろそろ結婚をしろ見合いをしろって言うから」

「結婚!!?私と!?妾とかではなくて!?」


 こんなメイドが貴族の結婚相手になんて思っておらず、声を上げればその手のひらに力が入る。



「お前……!」

「ごっ誤解だって!!!それじゃ、えっと、ま、また連絡するから!!」


 怯えたように去っていく空気を感じるが、それよりも気になるのは横から出るのは今朝よりも深い深い溜め息。


「あの、離して頂けますか?」

「……なんで来たの?」


 なんでと言われても貴方のお父様からの指示だったから仕方ないと言うべきか、これが『お見合い』だなんて知らずに、ただ顔合わせだと聞いていたとか、それよりもおぼっちゃまのお見合いこそどうしたのか、どうしてここにいるのかと疑問が過ぎる。



「『俺』……?」


 そんな脳内の疑問やなんかはすっ飛ばし、口から出たのはいつもと違うその話し方。

 開けぬ視界のままに口に出せばゆっくりと光を取り戻してゆく。

 そしてそこに見える太陽はいつもの優しげなものではなく、突き刺すような可視光線。


「おぼっちゃま……?」

「もうその呼び方も変えてもらわなきゃいけないな」

「何故……でしょう……」


 眩しいと目を細めれば、その光は真っ直ぐにこちらへと向かう。


「可愛らしいおぼっちゃまでいるのも限界だって言ってるんだよ」

 

 ただ眩しくて耐えられないと目を瞑り開いても、その光は変わらずにこちらを突き刺す。



「ドロシーは俺のでしょう?」

「拾われたその日からそう思っております」

「そうじゃなくて……」


 少し困ったように弱まったその光にホッと笑みを浮かべれば、眼鏡に手をかけられる。


「君の眼鏡、今でも毎日かけてるのは僕を真っ直ぐ見るのを誤魔化すためにかけてるんでしょう?」

「いえ!!そんな事は……!」


 そんな誤魔化しの言葉は外された眼鏡の下の赤い顔が白日に晒されては無意味な言い訳。


「ははっ!その顔じゃもう言い訳出来ないよね!」

「もうお返しくださいっ、おぼっちゃ……」


 その呼び方は最後までさせないとその指で唇を押さえられてしまう。


「おぼっちゃまは卒業だ」

「……!!」


 確かにその顔からは今朝まで見えていた幼さが消えている。


「もう可愛い振りはやめる」


 私の見開いた目に映るのは大人の顔。


「幼さで君を留められるのはもう終わりの時期のようだから」

「そんな……」

「君が望むなら二人きりの時なら、またしてあげてもいいよ。もう……流石に少し恥ずかしいけどさ」


 それでも照れたような笑みは確かに彼で。


「ドロシーがあの頃のままの俺を大事にしてるから、君の前ではそのままでいたけど、誰かに奪われるならもうやめる。好きだよ。君は俺の隣にいて欲しい」

「身分が違います。私のような平民と公爵家のおぼっちゃまでは」

「あのさ……」


 告げた言葉に呆れたような声が返される。


「君の生まれがどこかなんて調べてないとでも思ってる?知られたくないみたいだから言わないだけで、家に入れる人のことあの親が調べないわけないでしょう?」


 知られていたと私の身体が震えれば、優しい笑みが近付き抱きしめられる。


「伯爵家の虐げられた可哀想な次女様。綺麗で傲慢な愛人が子供を連れてやってきて、2人はその家を乗っ取り崩壊しました。母親は早々に家を出てしまい、父親はそれを見て見ぬふりをして外へとまた愛人を作り、残された少女は絶望し家を飛び出した。そんな時に国からの使いでやってきたのが俺の父親。……そしてそれについて行った俺は、そんな君を見つけた」


 優しげな声で綴られた物語に震える声でその結末は私が綴る。



「ではやはりもう身分も何もないその少女では公爵家のおぼっちゃまとは結ばれませんね」


「……君の父親はひとつだけ最後に頼みごとをした。家を顧みなかった自分の愚かさを反省したのか、ただ家を潰したくなかっただけかは知らないけれど、自分の伯爵家の地位は娘であるドロシーが成人したら権利を譲る、と」


 驚いてその顔を見れば優しい視線はこちらを見つめ、



「でも君が伯爵家のお嬢様だとバレれば君の身分も、美しさも隠す必要が無くなってしまうからね。駄目だと思いながらも君が成人しても黙っていて……俺の成人が成人するまで待たせた、俺の我儘」


 そう言って眼鏡にキスをする様子は、きっと彼から渡された度の入っていない眼鏡は、幼い頃美しくないと虐げられていた私にとっては顔を隠せるとありがたく受け取ったものだと思い出すが、彼にとっては逆の意味だったと告げていた。



「それに君が俺を守っているつもりでいるうちは、よそにはその目を向けないと思ってね。かわいこぶってみたよ」

「な……!」


 可愛くウインクされたその顔は確かに今朝までのおぼっちゃまの顔だと顔を赤くすれば、そっとその唇を寄せられる。



「なっ、何するんですか!」


 慌てて顔と顔の間に手を入れてそれを防げば、一瞬出た不満げな顔は微笑みへと変わる。


「何って誘惑」

「……っ!!!」


 突然の代わりように目を瞬かせれば、私が背を向けていたテーブルに両手を乗せて逃げられないように挟まれてしまう。


「おぼっちゃま……!」

「だからおぼっちゃまは卒業だよ。この先は外面も内面も綺麗な自慢の君に俺の横に立って欲しい」

「そんなことは出来ません!」

「綺麗だよ。見た目だけじゃなくて、中身も全部」


 ハッキリとお断りしたのに、その顔は余裕とばかりに笑みが消えずに「綺麗」と言葉を続けてくるのに「そんな事ない」と首を振れば、今度は不満げな顔に変わる。


「そっちはおぼっちゃま可愛い可愛いって言ってくれてたじゃないか」

「そ、それはまた違った意味で……って知って!!?」


 出来るだけ口には出さないようにと心掛けていたが、お昼寝している姿や遠目で見ていた時くらいは油断して出てしまっていたかもしれないと、思わず自分の口を塞いだ。


「最近は誘惑しようと鍛えてたのに、表では気にしてませんって態度も寂しかったもんだよ」


 あえてのバスローブ姿だったのかと今更ながらに気が付けば、その顔はニヤリと笑う。


「まんざらでもなかったでしょ?」


 熱い頬を隠そうと手で覆えば、覆いきれていなかった額に柔らかなソレが触れる。



「おぼっちゃまっっ!」

「ローレンスだよ。ドロシー」

「ローレンス……おぼっちゃま」


 必死で呼ぶがつい癖で『おぼっちゃま』を付ければ、顔を抑えた手を外されて、


「ただのローレンスっていってるだろう」

「そ、そうは言われましても!!」


 まだ太陽を直視する心の準備が出来てないと視線を逸らせば、あっという間に両頬を掴まれて視線を合わせられてしまう。



「好きだよドロシー。もう僕の我儘なんて聞かなくていい。これからは俺にドロシーの我儘を聞かせてくれ」

「ローレンス……さま」


 真っ直ぐな視線は誤魔化すことの出来ないほど大人で。


「そ、それならお離しください」

そう必死に告げた時、ふわりとその身は持ち上げられた。



「それなら僕の最後の我儘だ。ずっと君を手放すことだけはしない。さぁ、俺へ他の願いは?」

「……ずるいです」


 急な成長をみせられてもついていけないと、抱かれたまま暑い頬も隠せずその顔を見上げれば、嬉しいそうな温かな陽だまり。



「沢山わがまま聞いてもらってきたからね」

「それはメイドの仕事です」

「でも俺は君をメイドだなんて思ったことないから、だからあとの一生は君のわがままを聞いていくよ」



 そう言ってまた額に頬にとキスを落とされる。


「あの、ならその、それはもうちょっと控えて頂けると」


 熱くなる体温に対応しきれないと、目が回りそうだと願いを言えば、ローレンス様は頷き微笑み……私の唇へとキスをした。


「……!!?」


 パクパクと口を開ければ、ローレンス様はニコリと笑うと、


「仕方ないよ。これでももう控えに控えて10年以上。ホントならさっきからもう100回はしたいのをこれだけに抑えてるのだから、願いは叶えてるよね」

「そ、それは屁理屈です!!」

「いいや、理屈だし、ドロシーの願いは聞いてるよ」

「なら暫くは無しで!」

「聞けない願いもあるよ」


 さっきと言ってることが違うと言おうとすれば、やはりまた額にまぶたにとキスを落とされる。


「君は僕の目を太陽みたいといったけど、僕は君を見つけた時、雨の妖精がいたのかと思ったよ。渇いていた僕の世界を潤してくれた君は、やはり俺の雨の妖精だったんだ」



 そう嬉しそうに笑う姿は、きっと幼い頃から学び、友と呼べる人も少なく、継ぐ家のことを考えて孤高だったのだと告げていた。


「私はただの濡れ鼠ですよ」

「なら俺はただのドラ猫かもね。可愛いネズミを捕まえたから」


 その言葉に互いに笑い私はその腕から降ろされると、輝くその瞳を見上げる。



「ドロシー、大好きだよ」

「はい、適齢期過ぎた私で宜しければ」


 その言葉に今度はローレンス様が一度目を瞬かせると今朝のことを思い出したのか苦笑いすると、



「だってドロシーは俺がもう居たんだから、もう出会ってるって気付いてほしくてさ」

「言い方ってものがありませんか?」

「そうだね。ごめん」


 ローレンス様は素直に謝ると改めてこちらを見て、



「俺が成人する日が2人の適齢期なんだ」



 その言葉に私は少し笑ってから、お日様を見上げてキスをした。







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