2・1 推しの破壊力
軽く深呼吸をすると、『筆頭魔術師』の札がかかっている扉をノックした。
「どうぞ」の声に、扉を開ける。
と、数冊の本を手に、棚の前に立っているシルヴァン様の麗しき姿が目に入った。
トクンと跳ね上がる心臓。
でも、落ち着くのよ?
なにがなんでも、彼のおそばに置かせてもらうのだから!
扉をしっかりしめると、部屋の中に進んだ。
「突然お邪魔して申し訳ございません。お願いがあって来ましたの。私を筆頭魔術師様専属の雑用係にしてくださいませ」
◇◇
ラスボスへの奇襲が見事成功。無事に雑用係として採用してもらえることが決まった。
これで最推しシルヴァン様のお姿を毎日堪能できる!
ああ、なんて幸せ……。
「お前、そんな性格だったのか?」
口裏合わせのために話しているさなかに、シルヴァン様が、呆れたような声を出した。『慈愛の天使』でも『高潔な聖人』でもない、口調とお姿で。
執務机の向こうで彼は、椅子に浅く腰かけ背もたれに身を預け、両腕を組んでいる。顔にはいつもの微笑の代わりに不機嫌そうな表情が浮かび、目つきは鋭い。魔術師の濃紺の制服が、色素の薄い彼の姿を引き立てる。
これがラスボス・シルヴァン様の真のお姿!
小説後半とおまけの番外編の挿絵でしか見られなかったものが、今、目の前に。
ああ、生きていてよかった!
なんて麗しいお姿なのかしら。神々しい美貌に、冷淡で酷薄そうな振る舞い。なにより、悪役の迫力。
素敵!
素敵すぎるわ!
「おい、ベルジュ!」
鋭い声に、ハッと我に返る。
「ごめんなさい。みとれていましたわ」
シルヴァン様はため息をつくと、左手で額を押さえた。
ああ、その姿もいいわ!
素敵!
やや俯いたおかげで、立っている私には彼の睫毛がよく見える。『マツエクでもしたのですか?』と尋ねたいほど長く、綺麗なカーブで上を向いている。
「これから毎日おそばで見られるなんて。幸せ……」
シルヴァン様が顔をあげて、私をキッとにらみつけた。
「あ、そのお顔も好きっ!」
思わず両手で口を覆う。そうでもしないと、口から魂が出て行って昇天してしまいそうだわ。
「……お前、本当に役だってくれるのだろうな?」
「もちろんですわ」
「ただの変態にしか見えないのだが」
「あなたのファンではありますが、変態ではありませんわ。見ているだけで幸せと申したでしょう?」
シルヴァン様は、また嘆息した。
「お前は本気で素の俺が……、いや、そんなことはどうでもいいか」と、シルヴァン様。「念のために言っておくが、私は女性と交際する気も結婚する気もないからな」
「ええ。耳にしておりますわ」
シルヴァン様は二十五歳にもなるのに、女性の陰がまったくないのよね。ものすごくモテるのに、妻どころか婚約者も恋人もいない。
どんな女性にも紳士的に、公平に、そして節度を持って接している。
誰も特別扱いしない。
そのことを彼は『初恋のひとを悲しい形で失ったので』と説明している。だけどそれが本当なのかは誰も知らないし、小説でも明らかにならなかった。
とても気になるけれど、今はまだそれを尋ねるような仲ではないわ。
それに私には、オラスという婚約者がいる。いずれ婚約破棄をしてもらうつもりだけど、現状はほかの男性を口説くことはできない。オラスと違って、常識があるもの!
今の私にできることは、時が来るのを待ちながら彼を鑑賞し、ついでに好感度アップを目論むことだけ。
……今のところ、ダダ下がりのような気がするけれど。大丈夫、先は長いわ。
「どうぞ、ご安心なさってくださいね」
と言えば、シルヴァン様は不愉快そうに目を細める。
「……全然安心できない。というかお前は、本当に『氷の令嬢』のロクサーヌ・ベルジュか? 段々疑わしくなってきた」
「もちろん、本人ですわ。憧れの人を前に、浮かれているだけですの。今までは厳しい王妃教育を守って、貞淑にしていただけです」
「なるほど」
「大切な人が無念の死を迎えるなんて耐えられませんから、シルヴァン様を全力でアシストしますわ」
「ならば――」
シルヴァン様が、引き出しから白紙を取り出した。それを私の前に置き、ペン立ても押しやる。
「お前の知っていることを、全部書き出せ」
「まあ。私を見くびらないでくださいな」
微笑むと、彼はまた私を睨み上げた。
「そんなことをすれば、一瞬でお払い箱ではありませんか。雑用係の席につけず、へたしたら命も失う。私まだ、シルヴァン様を全然堪能していませんのよ?」
ペン立てと紙をシルヴァン様のほうへ押し戻す。
「情報は小出しにお教えしますわ。こちらには、任命書をお書きになってくださいな。私を雑用係に取り立てる、と」
シルヴァン様は、まだ私を睨んでいる。
「では、まずは、ひとつ」と、人差し指を立てる。「あなたに危険が及ぶのは、半年以上先のことです」
「つまり、最低半年はお前を雑用係にしていなければならないのか」と、シルヴァン様は心底嫌そうな顔をした。
「よろしくお願いしますね」にっこり。
「……はやまった気がする」
そう言ってシルヴァン様は前髪を書きあげるとペンを取り、任命書を書き始めた。
流れるような美しい文字。美麗な人は、字までも素晴らしいらしい。
最後には『筆頭魔術師 シルヴァン・ドパルデュー』の署名。
それが済むと、シルヴァン様は
「ほら」と任命書を私に向けた。手に取り掲げる。
「額装してお部屋に飾りたいわ! シルヴァン様のお名前を見ながら寝起きしたら、きっと幸せですわよね」
「俺のもとで働くのなら、不気味なことは言うな」
「かしこまりました」
簡単なお約束ね。私は不気味なことなんて、言っているつもりはないもの。
「それから先ほどの質問に、お答えしておきますね」
シルヴァン様が首をかしげる。
「私は心の底から、素のあなたが好きですわ。『慈愛の天使』には、興味がありませんの」
「……」
シルヴァン様は信じてないのか、無言で私を睨んでいる。
わずかに寄せた眉、鋭い眼差し、引き結ばれた形の良い唇。まったく温厚さのない表情は、私の好みど真ん中。
「そんなに見つめないでくださいな。そのお顔、とても好きですから胸が高鳴ってしまいますわ」
「……いっそ爆発したらどうだ」
「まあ、素敵な嫌味」
これから毎日がこうなのだわ。
推しの素の顔を見て、本音を聞いて。
なんてバラ色の日々なのかしら!