1・3 よみがえった記憶
どうしてかしら。
またも、シルヴァン様と並んで廊下を歩いている。
一曲踊ったあと、お互いに「では」と一礼して別れたはずなのだけど。
私が待合室に故意的に閉じ込められたことが、大広間で話題になって。
お兄様が激怒し、陛下に「一刻も早く犯人捜しを!」と迫って。
そこにオラスが乱入。「ベルジュ公爵、うるさいぞ! 騒ぎ立てるほどのことじゃない」なんて言い出したから、もう大変。
陛下によって、騒ぎの大元である私は帰されることになった。
ひどくないかしら。被害者を排除って。加害者をなんとかすべきじゃない?
でも仕方ない。私の扱いなんて、いつもこんなものだもの。
ため息をつきたいのを我慢して、となりを歩くシルヴァン様に顔を向ける。
「申し訳ありません。巻き込んでしまって」
彼は、たまたまお兄様のそばにいた。だから、陛下が私に帰宅を命じたとき、お兄様に「ロクサーヌを馬車まで守ってください」と頼まれてしまったのよね。「あなたなら、監禁に関わっていないと信じられるから」と。
「とんでもない。あのような目に遭った令嬢を、ひとりで歩かせるわけにはいきませんよ」
シルヴァン様は穏やかな声で返す。
ほんと、私の婚約者と違って、優しい人ね。
「シルヴァン様がご一緒だと、心強いです」しっかりと、感謝の気持ちを伝える。「最強の魔術師様ですものね」
「いえ、まだモンベル筆頭魔術師様の足元にも及びません。まだまだ精進しなければならない身です」
モンベル様は、他の追随を許さない技量で国を支えてきてくださった、偉大な魔術師だ。
でもシルヴァン様も、モンベル様と同等かそれ以上の魔術師だという。
高齢のモンベル様がご勇退されたら、新しい筆頭魔術師はシルヴァン様になる――と、多くの人が考えている。それも近いうちに。
「シルヴァン? どこへ行く?」
どこからかそんな声が聞こえて、当のモンベル様が現れた。
齢七十を超えるお年だけど、背筋はピンとして、かくしゃくとしている。
私が挨拶を終えると、シルヴァン様が
「ベルジュ公爵令嬢を馬車まで送ります」と説明した。
モンベル様は不思議そうに首をかしげる。
「だが、これから発表のはずだが?」
「そういうモンベル様こそ、どちらへ」
「部屋を片づけていたんだよ。私物が多くてなあ」
今度は私が首を傾げる番だわ。なんの話なのかしら。
そんな私の疑問に気づいたのか、モンベル様は私を見てにこりとした。
「これから発表するのだよ。私は引退、新筆頭魔術師は、シルヴァン・ドパルデュー公爵だとね」
「まあ! そんな大切なときに、申し訳ありません!」
シルヴァン様は優しく微笑む。
「お気になさらず」
「そうそう、私なぞ大遅刻だ」と、モンベル様は笑う。
「お声がけくだされば、お手伝いしましたのに」
「シルヴァンが夜会に出ないと、泣く女性があまたいるだろ?」
ふたりの会話に、心の中でうなずく。彼のモテっぷりはすごいもの。
「これからは、ますますモテるぞ。『シルヴァン筆頭魔術師』となるのだからな」
モンベル様がそう言った直後、突然頭を殴られたような衝撃があった。
割れそうに痛い。ズキンズキンと激しく脈動して、痛みを感じる以外なにも考えられない。
それでありながら、なぜか頭の中では、『シルヴァン筆頭魔術師』という言葉がぐるぐると回っている。
「ベルジュ公爵令嬢!?」
私の名前が呼ばれている。
けれど、答えられない。
頭が痛い。痛くてどうにかなってしまいそう――
◇◇
王宮で倒れた私は、三日三晩寝込んでいたらしい。医師によると、原因は不明。
でも、私はわかっている。
『シルヴァン筆頭魔術師』の言葉を引き金に、前世の記憶が蘇ったせいよ。
その衝撃で、脳に負担がかかって倒れたのだと思う。
どうやら私は、異世界に転生したらしい。前世の私はなんらかの理由で死に、今度は、小説『落ちこぼれ令嬢は己の力で成りあがる!』の世界に生まれたの。
そんな私、ロクサーヌ・ベルジュの作中の役割は、悪役令嬢。
容姿にも設定が反映されている。
鏡に映る私は燃える炎のような赤毛と瞳。だけれど凍り付くような冴え冴えとした美貌で、いかにも悪役といったところ。
そんな派手な容姿の私が、陰では『氷の令嬢』と呼ばれているのは、表情がないせい。
でも、無表情になるのは仕方ないと思わない?
何年も前から、婚約者に疎んじられているのよ?
しかも仕事を肩代わりさせられて、手柄は横取り。
このことをオラスの側近たちは知っているけれど、王太子に歯向かうのが怖くて黙っている。
陛下はオラスに甘く、彼の主張を全部信じている。
後妻である王妃様は、オラスの真実の姿に気づいているみたいだけど、陛下には逆らえないのでこっそり私に謝るのが関の山。
そして、卑怯な婚約者のせいで忙しい私は、令嬢たちの集まりに出る時間がない。気づけばお友達ゼロのぼっち令嬢。
表情もなくなるっていうものよ。
家族は私の味方だけど、ここ数年は辛くて苦しい思いをしてきた。
それなのに私には悪役令嬢で破滅する未来が待っているなんて、ひどい話だわ。
――といっても。
心配することはないと思うの。私が悪役令嬢として本格的に活躍するのは、主人公ピアに片思いをしているオラスが、婚約破棄をしてからだから。で、それは恐らく数ヵ月先のはず。
問題は私のことなんかより、記憶がよみがえるきっかけとなった『シルヴァン筆頭魔術師』のほうよ。
ハイスペックで超絶美貌の持ち主で、『慈愛の天使』と呼ばれるほどの菩薩様であるシルヴァン様。
誰にでも紳士的で、人気者。社交界の、いえ、国中の女性が彼に恋しているといっても過言ではないほどに、よくモテる。
だけど。
小説における『シルヴァン筆頭魔術師』の役割はラスボスなのよね。
笑顔の下に苛烈な性格を隠しているだけ。おまけに我が国や近隣諸国で禁止されている、黒魔術にも手を出している。
そんな彼の望みは、一番残酷な方法で国王を絶望させること。なんと少年のころから二十年近くの間ずっと、その機会を伺っているのよ。なかなかに粘着質!
そんな彼は、前世の私の最推しだった。
と、いうことで。この世界に転生したからには、私のやることはたったのひとつ。
最推しシルヴァン様のほの暗い復讐生活を間近で見守り、彼を助け、あわよくば手に入れるのよ!