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9・4 シルヴァン様のお心

 シルヴァン様のまぶたがかすかに震える。


「んっ……」

 と、色っぽい声を漏らしたかと思うと、ゆっくり目を開いた。

 アイルブルーの瞳が動き、私を捕える。


「……休んでいなかったのか?」

「休んでいましたわ。シルヴァン様の貴重な寝顔を堪能しながら」

「よく飽きないものだな」


 呆れたようにため息をついて、シルヴァン様は「帰るぞ」と立ち上がった。

 私も「はい」と答えて後に続く。

 だけど、体がふらつく。


「おいっ!」

 背中に手を回され、引き寄せられる。

 私は勢いよく、シルヴァン様の胸に倒れこんでしまった。


「だから休めと言ったのに!」

 頭上から、怒りに満ちた声がする。

「ごめんなさい。今のは、足に力が入らなかっただけですわ。ずっと座っていたから」


 本日二度目の僥倖とはいえ、さすがに申し訳なさが募る。

 急いで彼から離れようとしたのだけど――


「ひゃぁっ!?」


 なぜなのか、シルヴァン様に横抱き――いわゆるお姫様抱っこをされている!


「あ、あの! 大丈夫ですから。歩けます!」

「倒れられたら迷惑だ」

 シルヴァン様がギロリ、と睨む。

「でも、重いですよね。シルヴァン様は魔術師ですし!」

 重いものを抱えることなんて、絶対にしないはず!

「うるさい、黙れ」


 そう冷たく言い放ったシルヴァン様が、転移魔法の呪文を唱え始める。

 仕方ないので――でも、ものすごく嬉しいけれど――、おとなしく縮こまる。


 すぐに術が発動して、私はよく見慣れた場所に転移した。

「え? ここは」

 ベルジュ邸のエントランスホールだわ!

 居合わせた従僕やメイドが驚いて、慌てて奥へ駆けていく。


「シルヴァン様?」

 そのお顔を見上げると、『慈愛の天使』の表情になっていた。穏やかな笑顔で、慌てふためく使用人たちに名乗っている。


 やがて奥から、青ざめたヴィクトルお兄様が早足でやって来た。

「ドパルデュー公爵、一体何がございましたか」

 お兄様が心配そうに私を見る。


「突然の訪問をお許しください」

 ラスボスが、柔らかな声で告げる。

「私の出張に彼女も同行していたのですが、無理をさせすぎてしまったようです。申し訳ありません」 


 私は首を横に振って、お兄様に『そんなことはない』と伝える。

「シルヴァン様が大袈裟なのですわ!」


「ですから本日は早退ということで」と、猫かぶりのラスボスは私の言葉をまるっと無視して続ける。「ゆっくりと休ませてあげてください」

「わかりました。ご配慮に感謝します」と、お兄様。


 私の「自分で歩けますわ!」という主張を無視して、ふたりは私を受け渡しする。

 荷物ではないのだから!

 お兄様なんて、絶対に無理をしてるわ。腕がプルプルしているもの。


 それでもなんとかお兄様に抱えられた私に、シルヴァン様がようやく顔を向けてくれた。

 外面用の柔らかな笑みが、すっと消える。


 え?

 目の錯覚?


「いいですか?」とシルヴァン様。「自分を過信せずに、絶対に安静にするのですよ?」

 言葉は丁寧でも、声が固い。

「はい」と、素直にうなずく。


 シルヴァン様は小さくうなずくと、ヴィクトルお兄様に暇を告げて、転移し去った。


「どうしましょう、お兄様。私、シルヴァン魔術師様を本気で怒らせてしまったみたい」

 どんなときだって、人前では『慈愛の天使』の演技を崩さないひとが、あんな顔と声をするなんて。


「いや、違う」

 腕を震わせているお兄様は、私を体格の良い従者に受け渡す。そして私と視線を合わせると、

「ロクサーヌ。あの方は、本気でお前を心配(・・)しているんだよ」と、言った。


「でも」

「シルヴァン魔術師様は、消えるまでロクサーヌを見続けていたじゃない。マナーとしては良くない。そして王族である彼が、それを知らないはずがない」


 ヴィクトルお兄様が優しく微笑む。


「ロクサーヌ、今日は彼の言ったとおりにしなさい。そして明日、心配をおかけしたことを、きちんと謝るんだよ」

「……はい、お兄様」



 本当に?

 シルヴァン様は私を心配してくれているの?

 散々迷惑だって言っていたけど。私のこともうるさいドブネズミと思っているはずだけど。


 でも、『自分を過信せずに、絶対に安静にするのですよ』と告げたときのシルヴァン様は、外面用の演技をしていなかった。偽りの優しい笑みも、嘘の甘い声も。


 胸の奥がキュッとなる。


 あれは本心からのお言葉だったの?


◇◇


 翌日いつもどおりに出勤をすると、シルヴァン様は盛大なしかめっ面で出迎えてくれた。

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」


 心を込めて、真摯に謝る。

 それでも絶対に、『心配などしていない』と返されるだろうと思っていた。


 だけどシルヴァン様は、

「次から気をつけろ」とだけしか言わなかった。

 それも、目をそらして。


 ヴィクトルお兄様の言葉は正解だったみたい。

 どうしよう。迷惑をかけてしまったのに、すごく嬉しい。


「茶をいれろ。昨日はお前のせいで飲みそびれた」

 ぶっきらぼうに命じるシルヴァン様。

「はい、ただいま」

 

 壁際のキャビネットに向かう。

「魔法でいれなかったのですか?」 

 昨日は自分がいっぱいいっぱいで気づかなかったけれど、もしかしてシルヴァン様は、それもできないほどお疲れだったのかしら?


「……ベルジュがいれたものが、一番おいしい」

 え? 今、なんて?

 シルヴァン様を見る。

 だけど彼は、そっぽを向いていてどんな表情をしているのか、わからない。

 でもこれ、褒められたのよね?


「ありがとうございます」

 今日のシルヴァン様は、シルヴァン様ではないのかしら。

 いつもとまるで違う。

 嬉しいことばかりを言ってくれる。


 胸がひどくドキドキしている。

 なぜだかすごく、照れてしまうわ。

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