8・1 夜会の前日
お使いを終えてシルヴァン様の執務室に戻ると、ラスボスは姿見の前に立っていた。鏡に対して斜めになっている。
「どうかされましたか?」
シルヴァン様はこの世のものとは思えないほど、美しい。
だけど彼はナルシストではないので、用もないのに自分の姿に見惚れたりはしないのよね。
「別に」と、ラスボスはぶっきらぼうに答えて、椅子にすわる。「……インクが飛んだかと思っただけだ」
「私が確認しましょうか?」
「必要ない。それより茶」
「ただいまお淹いれしますわ」
キャビネットに向かい、茶器を用意する。
「シルヴァン様は歓迎会にはどんな服装で参加しますの?」
「答えるはずがないだろうが」
「残念。こっそりおそろいコーデにしようと思ったのに」
明日の夜、王宮では大きな催しがある。新任の隣国大使を歓迎するもので、都に住む主だった貴族・名士が招待されている。
正式な夜会は、私がオラスに軟禁されたときのもの以来。誰もが明日を楽しみにしているし、気合も入っている。
だけど私は――
「どうせ壁の花になるだけですもの。服装ぐらいは遊びたかったのですけどね」
オラスが私をエスコートすることはないはず。
兄夫婦はそれぞれの交友関係で忙しい。気遣ってくれるけど、頼ってばかりでは申し訳ない。
唯一の友達ルシールは不参加。
ほかに私に声をかけてくる人はいない。
私はいまでも、『氷の令嬢』のままだから。どうしても、顔の筋肉がうまく動かないのよね。シルヴァン様と家族の前では大丈夫なのだけど。
「前回の夜会は、シルヴァン様と踊ることができて僥倖でしたわ。あのときはまだ、本当のお顔を知らなかったことが悔やまれます」
「予知夢を見たのは、そのあとか」と、シルヴァン様。「明日は? 事件は起きないのか?」
「恐らくは」
「近頃、なにも予知をしていないな」
「近々、オラス殿下とピア・パッティは、視察を名目に街中でお忍びデートをしますわ。ちょっとしたハプニングに見舞われますけど無事に解決しますし、私は興味がありませんの」
「なるほど」
正確に言えば、ヒロイン・ピアにとってはデートではない。友人に、貧しい地区の実態を見せるという使命感に燃えている。だけどオラスにとっては、デートのはず。だって小説の中では、いい雰囲気になっていたもの。
「明日は美味しい料理をいただきながら、上司の素敵な『慈愛の天使』ぶりを堪能しますわ。――はいりましたわ」
トレイにカップを乗せて、上司のもとに運ぶ。
かぐわしい林檎の香りがただよってくる。
「どうぞ。アップルティーです」
カップを手にしたシルヴァン様の表情がやわらぐ。
いつものことなのよね。よほどアップルティーが好きみたい。
シルヴァン様はきっと顔の変化に気づいていない。
私だけが知っている、秘密なの。




