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変わる世界

作者: 柚緒駆

 午前の仕事中、田中さんが消えた。僕の目の前で、突然光に包まれて。ああ、まただ。田中さん本人だけじゃない。彼女が使っていた文房具も椅子の背もたれカバーも。おそらく給湯室にあったはずのマグカップも消えているだろう。


 驚く人はいない。と言ってもみんな慣れてるからではない。田中さんが消えた瞬間、彼らの記憶の中からも田中さんは消滅したのだ。


 こういうことは昔からときどきあった。人が消え、でもそのことを誰も気付かない。たずねても、そんな人は知らないと口を揃えて言う。どうして僕をだまそうとするのだろうと最初はいぶかっていたのだが、やがてそれが嘘でも冗談でもないことを理解した。


 あるとき、僕の親戚が消えたのだ。子供の頃から兄弟のように育ってきた従兄弟が。僕は痕跡を探した。この世界に彼がいた痕跡が何か残っているはずだと。そして役所で戸籍をたどったところ、それを見つけた。彼がいた証拠ではない。


 見つけたのは彼の父親が若くして病死したという情報だった。未婚で亡くなっており、家系はその弟である僕の父が継いでいる。すなわち、僕の従兄弟はこの世に生まれてくるはずがなかった人間だった。彼の父親は僕もよく知っている人なのに。


 ここで僕の中に一つの仮説が生まれた。今この世界では過去が改変され、それによって世界そのものが変容しているのではないだろうか。誰がそんなことをしているのかは知らない。一人の悪人が歴史を変え続けているのか、それとも消えた人々がタイムスリップを起こし、過去の時代に飛び込んだことによって何らかのパラドックスを発生させてしまったのか。だが何にせよ、その影響はいまの世界に現れている。


 不思議なのは、その世界の変容した過程を僕が記憶しているということだ。僕だけがたった一人、変容して行く世界を知覚し、認識している。これも何故だかわからない。僕はこの世界のバグのような存在なのだろうか。


 職場を定時に上がり、外に出て空を見上げれば、見事な夕焼けに浮かぶ雲。その姿を自在に変えながら。もしかしたら、あの雲も過去改変の影響を受けているのかも知れない。


 学生の頃、SFに詳しい友人は言った。「タイムスリップなんて起きないし、タイムパラドックスさえ怪しいものだ」と。いま彼は存在しているだろうか。それとも存在はしているが、周囲で起こっている変異に気付かないまま暮らしているのだろうか。


「観測者が誰もいないのなら、空に月は存在しない」


 量子力学の世界では有名な言葉らしい。もし僕という観測者が存在しないのなら、タイムスリップも存在しないのかも知れない。僕はそのためにいまここに生かされている可能性もある。それは時間の闇を走る犯罪者に? それとも神に?


 信号待ちをしていると、道の向こう側には親子連れが三人、楽しそうに手をつないでいる。その子供の姿が突然消えた。けれど両親はそのことに気付いていない。信号が青に変わると両親は、ニコニコと笑顔のままでこちらに渡ってきた。この人たちの過去に何があったのかは知らない。でももしかしたら、それは知らない方がいいことなのかも。


 変容を続ける世界の中で、誰とも分かち合えない現実を前に、僕は孤独に黄昏れていた。

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