いたいの、いたいの、とんでいけー
試合前の練習中に、球団の広報スタッフが声をかけてきた。
「ちょっといいかな。この前の試合のことなんだけど」
選手は快く応じる。
でも、この前の試合? どの試合のことを言っているのだろう?
「覚えているかい? 少し前にあった、自打球が足に当たった試合」
「ああ、あの試合ですか」
自打球の当たり所が悪くて、すぐには打席に入り直すことができなかった。ベンチ裏での治療が必要だった試合だ。
でも、どうしてこんなタイミングに、あの試合のことを言ってくるのか。
もしかして、あれで怪我をしていると疑われている?
それで今日の試合、スタメンから外されるのかも。このスタッフは監督から伝言を頼まれたのかもしれない。ここ数試合はヒットを打てていないので、不安が大きくなっていく。
慎重に言葉を選びながら、探りの質問をしてみると、
「ああ、不安にさせたようなら、ごめんごめん。そういうことじゃないんだ。ある手紙が球団に届いているんだよ」
手紙はファンからのもので、あの試合を娘と一緒にテレビで観戦していた、そんな内容らしい。娘はまだ五歳だが、プロ野球の試合を見るのが大好きなんだとか。
「その女の子、直前のお誕生日のプレゼントが、お医者さんごっこのおもちゃだったそうでね」
で、あの自打球の場面で、次の行動をとったという。
手に持っていた人形を、痛がっている選手に見立てて、治療を始めたのだ。「いたいの、いたいの、とんでいけー!」と言って、人形のおなかにおもちゃの聴診器をあてたり、足に包帯を巻いたりしたらしい。
「これが手紙に同封されていたよ」
広報スタッフが数枚の写真を見せてきた。
小さな女の子が真顔で、人形の手当てをしている。
その正面にあるテレビには、はっきりと映っていた。あの試合の、あの場面だ。
「で、君は治療後すぐに復帰しただろ」
選手はうなずいた。よく覚えている。治療後にベンチから出ると、両チームのファンから温かい拍手をもらった。球場全体を覆う拍手だ。ああいうのは本当に嬉しい。
「でね、その拍手が君に対してだけでなく、自分にも向けられているものだと、この子は勘違いしたみたいで」
さらにもう一枚、スタッフが写真を見せてくる。
さっきの女の子が、ものすごく照れているところだ。痛がっている選手(に見立てた人形)を治療したことで、自分も褒められている、と思ったらしい。
その写真を見て、選手はにこやかに笑った。
「いやいや、あの試合ですぐに復帰できたのは、この子のおかげもあるかもしれませんよ」
そんな魔法みたいなこと、実際にはないと本心では思っている。
でも、こういうファンが見てくれているのだから、今日の試合も元気にがんばろうと、心に誓うのだった。